アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.538
パラダイム転換
教員から学生へ、教育から学習へ
日本の大学でもパラダイム転換の動きが活発になっている。今年6月、東北大学で開催された大学教育学会第35回大会の統一テーマも「教育から学習への転換」であった。パラダイム転換は、大学教育に何をもたらすのか。アメリカの「教育から学習へのパラダイム転換」は、1995年頃から始まった。これは、高等教育専門雑誌『Change』に「教育から学習へ〜高等教育におけるパラダイム転換〜」と題して発表されたRobert B.Barr & John Taggの論文に端を発したものである。同論文の日本語訳については、雑誌『主体的学び』(主体的学び研究所、創刊号、2013年、東信堂)を参照。この論文は、従来の「教育パラダイム」における大学の取組みを批判して、大学の目的は学生の学習を生み出すことで、教育課程や授業改善は手段に過ぎないとした。その上で、学生の学習を生み出すことを目的とした「学習パラダイム」に基づく大学教育の改善を提唱した。このパラダイム転換で大学教育がどのように変わったかについては、図表「教育パラダイムとの比較一覧」を参照。中教審答申も大学教育の質的転換を促しているが、これもパラダイム転換を示唆するものである。アメリカのパラダイム転換には二つのレベルがあるとPOD元会長ディー・フィンク博士は述べている。一つ目は、個々の大学レベルにおいては良い教授法を推進するだけでなく、どのように優れた学習を促進できるかという視点に立ったものである。二つ目は、認証評価機構のような大きなレベルの動きである。すなわち、彼らの主張はアメリカの認証評価機構の基準にも影響を与えた。それまでは、大学の資金は十分か、教員は高い学位を有しているか、教育方法の研修を受けているか、図書館の蔵書は十分かなど、インプットの側面が重視された。しかし、これに加えて「高い質の学習がどのように行われているか」が問われるようになった。そのため、大学は認証評価機構に対してどのように対応しているか証拠資料の提示が求められ、改善のための具体的な手続きを説明する必要がある。すなわち、インプットに加えて学習成果(ラーニング・アウトカム)が求められている。このような動きが表面化していることは、パラダイム転換が生じている証である。アメリカでは大学そして認証評価機構においても教員から学生へ、教育から学習中心へのパラダイム転換が断続的に行われている。
中教審答申でも能動的学修(アクティブラーニング)を起点として、大学の質的転換を目指している。その結果、多くの大学で学生の主体的学びを促す能動的学修を学士課程教育において促進するために、ディスカッションやディベートといった双方向型学修や自らの課題に取り組む問題解決型学修を中心とした授業への転換が行われている。しかし、能動的学修は双方向型授業やグループ活動だけに限定されるものではない。どのような授業形態でも能動的学修は可能である。フィンク博士は、能動的学習を三つに分けて説明している。一つ目が「情報とアイデア」によるもので、情報あるいはアイデアを何らかの方法で、講義、本や文献によって得られる。二つ目が「経験」から得られるもので、何らかの行動を伴うことでより能動性が生じる。ここでは現実あるいは生活における経験が必要になる。このような行動は、必ずしも、物理的な行動を指すのではなく、知的な行動のことである。例えば、分析して質問をしたり、質問に答えたり、問題を解いたり、決定を下したりする行動である。三つ目が「省察」と呼ばれるもので、二つの振り返りから得られる。一つが主題に対するもので、例えば、地理学などの授業では多くの文献を読み、用語集を作り、主題に関する事柄を集めて小論を書くということである。もう一つが「学習プロセス」について振り返るもので、一般的ではないが最も重要であるとフィンク博士は主張している。学習プロセスを振り返り、自らに問いかけるものである。例えば、何をうまく学べたか。どのように学べたか。それは読書からか、実行からか、あるいはそれ以外から学んだものか。何が学習を助けたかあるいは妨げたか。学習者としての自分にどういう意味が見出せたかなど、これらが学習プロセスへの振り返りである。これをジャーナル日誌やラーニング・ポートフォリオを通して繰り返すことで、自らの学習パターンに気づき、さらに学習についての理解を深め、学習者としての自分を理解できるようになる。そこでは単なる学習者ではなく、「メタ学習者」となる。すなわち、単に地理学を学んでいるのではなく、学習について学んでいることになり、自律的な学習者となる。そのためには、時々、立ち止まり、学習プロセスを振り返る必要がある。これが中教審答申の生涯学び続け、主体的に考える力を育成することにつながると考えている。