アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.528
高等教育への公財政支出 OECD統計から考える
OECDは、2013年6月25日に加盟国の2010年度の教育指標を発表した。その中で日本の対GDPに対する高等教育への公財政支出が、0.5%と極めて低いレベルにあることが、明らかとなった。本紙7月3日付号に国際比較グラフが示されているとおり、加盟30カ国で最低となっている。福祉国家フィンランドに至っては、1.9%と日本の4倍近い。
2008年の世界金融危機の後、アメリカの州立大学の多くが、州財政の悪化によって、州予算が大幅に削減され、財政危機に陥った。州立大学によっては、教職員のレイオフによる経費削減や、授業料の大幅値上げによる収入補填がなされたことは記憶に新しい。こういった事態は、日本では今のところ起こっていない。アメリカや一部のヨーロッパ諸国と比べると、日本の公的教育支出の時系列的推移は、安定していることが特徴である。
日本の教育予算の安定性は、経済不況時には長所であるが、短所となることもある。OECDデータによると、加盟諸国は、過去10数年の間、高等教育への政府予算額を伸ばしている。日本が2000年から2010年に、5%の伸びであるのに対して、加盟国平均で40%伸びている。日本より伸びが少ないのは、イタリアとイギリスくらいである。
日本の高等教育予算の安定性は、このところの短期の話である。図の折れ線グラフに示したように、より長期的な時系列でみると、高等教育への公財政支出対GDPは、必ずしも一定ではないことが分かる。1970年代半ばから後半にかけて、著しく上昇している。しかし1980年代には大きく下降し、これは現在まで停滞している。図は筆者の推計で、データの関係上、公財政支出の全てを捕捉できない結果、OECDデータより対GDPの割合が、低めに見積もられている。しかし全てを含めても、時系列的な傾向は、この動きと大きくは変わらないはずである。
図の縦線は、学生一人当たり公財政支出(2008年価格)を示している。対GDP比の折れ線グラフと、変動はあるものの、ほぼ同じ動きをしている。それは1980年あたりをピークとしている。学生一人当たりの公財政支出も、1990年以降、安定してはいるが、徐々に減額されている。
1970年代後半に、対GDP比値および公財政支出額の両方が、高かったのは、国立学校特別会計への一般会計からの繰り入れ(現在の運営費交付金にあたる)と、私学助成の双方が、大きく伸びたためである。前者は高等教育への公財政支出の大部分を占め、この時代、毎年の支出増額幅も伸び率も大きかった。学生数が増加し、かつ学生一人当たり支出が増えているので、その毎年の増額はかなりの規模であった。私学助成は1970年から本格化し、私学の経常費の30%近くをカバーする額が支出されていた。残念ながら現在のそれは、10%余りである。
高等教育への公財政支出対GDP比は、1990年以降、安定的に推移している。しかし公財政支出を構成する項目には、変化が見られる。対GDP比で私学助成はそれほど伸びず、国立大学への運営費交付金は下降している。それを補っているのが、科学研究費補助金と奨学金事業費である。とりわけ前者は、1960年から順調に増額されてきたが、1990年からさらに急速に伸びている。支出項目から見ると、公財政は機関助成から個人助成へ、また基盤的経費から競争的資金配分へとシフトしているといえる。
科研費の配分は、研究者によって申請されたプロジェクトベースになされる。この増額は短期的には研究を活性化させるであろう。しかしこれが中長期的な研究成果に、結びつくかは断言できない。研究は人材、施設、研究費の組み合わせによって、成果がもたらされる。研究費が増額されても、研究人材養成、施設整備が不十分であれば、成果は限定的となる。国立大学への運営費交付金は、学部学生、大学院生教育に必要な基盤的経費である。また運営費交付金は、施設整備費補助金と合わさって、研究のインフラ整備がなされる。科研費はプロジェクト経費であり、人材養成、インフラ整備とは別物である。
OECD統計には、学生1人当たり経費が記されている。それによると、日本は2010年に1万6015ドルであり、OECD平均1万3528ドルより高額である。大学教育経費は、大まかな大学教育の質の指標と考えられるが、それに関して日本の大学教育の質は、OECD諸国と、そん色ない程度とみてよい。しかし日本の国公私立を合わせた、学生1人当たり公財政支出は、2010年に6249ドルである。OECD平均は、8676ドルである。日本の学生1人当たり経費が高額なのは、家計の多大な負担によるものであることを忘れるべきでない。
ヨーロッパの大学での授業料水準は、日本の私学に比べてわずかなものである。国によっては教育無償が原則で、大学が授業料を徴収しようとした時、研究が家計負担によってなされている可能性もある、との議論がおこったことすらある。日本では私学の授業料ははるかに高く、この可能性がさらに強い。
公財政支出は、大学教育の質、大学での科学研究、家計負担、卒業後のローン返済額、等さまざまに影響する。家計負担が増加すると、学生の進学意欲が減少するであろう。OECD諸国の進学率が上昇する中、今後日本のそれが停滞することも予想される。教育費負担の重さは、家計の子どもの数にも影響し、少子化対策にもマイナスである。社会全体の衰退を招きかねない。大学に進学しても、学費や生活費不足からアルバイトに励む学生も出てくる。中教審において、学生の学修時間の確保が求められているが、高等教育費の大きな負担は、授業外で学ぶ時間にも影響しよう。
2013年6月14日閣議決定された第2期教育振興基本計画には、今後の教育投資の方向性として、「OECD諸国など諸外国における公財政支出など教育投資の状況を参考とし」とあり、教育投資の財源確保の必要性が記されている。しかし政府財政は逼迫しており、それは容易ではない。高等教育の機能強化を受けて、より効率的効果的な予算執行が求められる。今後は公財政支出項目のうち何がどれだけ必要なのか、増額がどのような効果を持つのかについての研究や、それに基づいた議論が必要であろう。
公財政支出の少なさが、問題となり、その増額が各方面から求められる。それは以上で検討したように、尤もなことである。より重要なことは、政府民間合わせた高等教育総投資額である。最悪のシナリオは、公財政支出が減少し、家計負担が増加し、家計が高等教育投資をしなくなり、政府民間総投資額が縮小してしまうことである。OECD統計によれば、オーストラリア、カナダ、韓国、アメリカは、公財政支出対GDP比が、日本より高いが、同時に民間支出対GDP比も高く、政府民間支出対GDP比は日本よりも高い。このことについては改めて検討してみたい。
本稿でのより詳細な議論とデータについては、次を参照されたい。丸山文裕「高等教育への公財政支出の変容」広田照幸他編集『大学とコスト―誰がどう支えるのか』岩波書店2013年5月。