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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.488
【大学教育部会の審議まとめをめぐって】
単位は「容器」にすぎない 学習を生み出す授業と課題の提供を

研究員  川嶋太津夫(神戸大学大学教育推進機構教授)


 先ごろ中教審大学教育部会から公表された「審議まとめ」では、日本の大学生の授業外の学習時間(本稿では一般的な「学習」を用いる)の少なさが問題として指摘された。そこで、大学設置基準で規定される単位制度との乖離をなくすために、授業外の学習時間の確保を各大学に求め、学生の主体的な学びを促すよう提言している。「まとめ」では、日本の大学生の学習時間は、授業時間を含めても設置基準に定める45時間の標準学習時間の半分程度で、米国の大学生のそれと比べると、はるかに少ないことが指摘されている。
 では、比較の対象とされた米国の大学生は、日本の大学生と比して、授業外学習時間は十分なのだろか。日本では、大学設置基準により1単位は45時間の学習を必要とする内容をもって構成すると規定されている。20世紀初頭にカーネギー教育財団が高校教育の学習量を時間で測定する仕組として提唱した「カーネギー単位」に起源をもつ米国の大学では、一般的な「セメスター単位」は、1週間1時間(実際の授業時間は50分であることが多い)の授業(講義)を1回受講し、学生が15週履修することに対して「1単位」が認定される。さらに、1時間の授業に対して2時間以上の予復習が「期待」されており、日本と同じく1単位には45時間の学習が必要となっている。多くの大学で講義科目は「3単位」科目として開講されており、50分の講義が月水金と3回同じ時間帯に開講されるか、90分の講義が2回開講されるのが一般的である。したがって、1セメスター当たり5科目受講し、15セメスター単位を学習することが「フルタイム」の条件となる。そのため、1週間に15時間(実際には50分×15回=12.5時間)の授業の他に30時間の自習が必要とされる。数字上は日米とも1単位には45時間の学習を必要としている。
 ところが一昨年、American Enterprise Instituteから公表されたPhilip BabcockとMindy Marksによる論文、Leisure College:The Decline in Student Study Timeによると、1週間あたりの授業外の学習時間は、1961年には24時間であったが、2003年には14時間と、10時間も減少したという。14時間という数字は、米国の単位制度が求める水準の半分でしかない。どうやら学習しないのは、我が国の大学生だけではないようである。
 自主的な学習時間が減少した理由として、著者らは、様々な分析をしている。例えば、この40年間に、働きながら大学に通う学生が増えたため、学習時間が減少したのではないかと調べてみたところ、働いてるか、いないかにかかわらず全ての学生で授業外の学習時間が減少していることが明らかになった。また、学習時間の減少は、インターネットが普及する前から始まっている。学習技術の革新とは関係ないようである。代わりに増えたのが「余暇」の時間だという。
 その背景として、著者らは、米国の大学の知的要求水準が低下しているのではないかと懸念している。その現れとして、例えば、学生にAを多く出す教員が学生による授業評価で高い評価を得ている傾向を指摘する。また、2008年のNSSE(National Survery Student Engagement)の分析結果によると、722大学の約38万名の1年生と4年生の回答者のうち、約2割の学生は、課題として出された文献を読まずに授業に出ても、成績がAであったという。学習時間が少なくても単位を修得できている状況は、我が国だけでなく、日本が模範としてきた米国の大学でも起きているようである。
 そのような状況の下、米国で最大の地域アクレディテーション機関である中西部地区のHigher Learning Commissionは、オンライン大学のAmeri can InterContinental Universityを適格であるとしたが、連邦教育省の視学官が、この大学が5週間で9単位を出すコースを開講しているのは、単位の水増しであり、それを認めたアクレディテーション機関は不適格であるとして、政府の認証を取り消すべきだとの報告を提出した。確かに、従来の単位制度の考えを適用すれば、9単位に相当する学習時間は405時間であり、5週間で9単位を得るためには、休日を除くと毎日約16時間の学習を必要とし、現実的ではない。
 このことがきっかけとなり、本研究所の森利枝研究員がすでに様々な機会で報告しているように、昨年、連邦教育省は、奨学金の受給資格に関して「単位時間」を法制化した。それは、従来のいわば慣行であったカーネギー単位を明文化したもので、セメスター制の下では、1単位時間とは、1時間の講義に対して最低2時間の授業外の学習を15週にわたって学生に課すこととされた。
 そこで、各地域のアクレディテーション機関は、各大学に単位制度の順守を求める文書を発出し、注意を喚起するともに、アクレディテーションの訪問調査の際に、@単位制度に関する規則があるかどうか、Aセメスター制の場合18単位以上を履修している学生の数、そしてB各プログラム、分野ごとにコースカタログやシラバスをサンプリングして、2時間以上の課外学習を課しているかどうか、などを確認することとしている。
 ではいったい、2時間以上の課外学習に相当する課題とはいったいどのような課題なのだろうか。米国西部地区のアクレディテーション機関であるWASCは、学生に求める自主的な学習時間という「量」に関する参考として、これまでの教員の経験や学生をサンプリングし、例えば、教科書を一頁読むために必要な時間、学術論文を一頁読むために必要な時間、統計数字を一頁読むために必要な時間などを推定することを提案している。
 しかし、学習を時間という「量」で測定する単位は、今国内外で強く求められている高等教育の「質」の指標として信頼性が低下していると言わざるを得ない。オンラインでの大学教育が普及し、またコンピテンスや学習成果を重視する大学が増えてきたからである。T.Ehrlichが指摘するように、単位は単なる「容器」にすぎない。ある容器は半分しか満たされていない、また別の容器は4分の1しか満たされていない、そしてまたある容器は全くの空っぽ、かもしれないのである(電子版クロニクル誌、2010年10月17日)。
 「審議まとめ」では、学生の主体的な学びを促すために、学習時間の確保を求めている。まずは、設置基準に定められた規格にあった「容器」を整備しようということである。そのためには、American Inter Continental Universityのように、過度な単位数の受講を認めないことである。多くの大学がキャップ制を導入しているとはいえ、1年間の履修単位数の上限が45〜50単位では、上げ底の「容器」であると言わざるを得ない。半期25単位履修したとすると、1週当たり75時間の教室内外での学習を必要とする。土日も含めて毎日10時間以上学習しなければならず、非現実的である。もちろん、履修単位数を4年間にわたって平準化するためには、就職活動の適正化など多くの解決すべき課題があることは言うまでもない。
 そして、次になすべきことはそれぞれの授業科目において、学習成果を獲得できるような授業と課題を提供することである。どのような授業と課題が「容器」にふさわしいのか、最後に先ほどのWASCの考え方を紹介して小論を閉じることとする。
 ▽教科書や参考書などの教材は、批判的思考力の活用を必要とする内容であること。▽作文を課題とする場合は、アウトライン作成、草稿作成、推敲、編集、最終稿作成といった、論文執筆のプロセスを踏み、APAの様式に従うこと。▽授業は、分析的思考や批判的な省察を含む双方向的な討議を含むこと。


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