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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.475
英国連立政権下の大学改革 アカデミック・インフラの再構築

研究員  沖 清豪(早稲田大学文学学術院教授)

 イギリスにおける高等教育改革の議論は、中教審などでの審議の過程で、日本における大学改革の文脈に沿った部分が特に強調される形で紹介されてきた。例えば1990年代には研究・教育評価が、2000年代には質保証枠組の問題が注目されてきた。
 2010年の保守党・自由民主党連立政権発足後、財政緊縮の下、いわゆるブラウン報告書に基づいて学費の大幅値上げが進められようとしており、10年の年末には学生暴動が発生している。
 また英国の中央省庁の改編は、特1990年代前半以降、そのサイクルが短くなっている。特に高等教育政策を担う省庁の変遷を確認すると、別図のように改組が頻繁に行われている。現在のBISは、大学政策も含めつつ、研究開発や高度な技能を有する人材育成に裏打ちされた経済の発展とその革新を担う省として設置されている。
 こうしたわかりにくさの中で、新たな改革、あるいは改革の逆行が進んできている。本稿では、学費問題以外の大きな改革である、資格枠組の改訂と格差是正策の廃止について確認してみたい。
資格枠組の再構築
 2008年の中教審「学士課程」答申でも言及されているように、英国では2001年に高等教育質保証機構(QAA)が高等教育資格枠組(FHEQ)を公表している。英国の場合、学位取得者に期待されるアウトカムがこの枠組で示されている。
 また各専門分野で優れた成績での学位取得者に期待されるアウトカムについても、分野別ベンチマーク文書として明文化されている。各大学はこの文書とガイドラインに基づいて教育プログラム(カリキュラム)を設計し、QAAが分野別教育評価を実施してきた。
 さらに2000年前後には専門領域以外の個別課題について具体的な目標を設定した「実践コード(綱領)」が全10種類策定された。この実践コードは大学院レベルの研究プログラムのあり方からeラーニング、キャリア教育、労働を基盤とした学習、学生の苦情申し立てや障がい学生への対応など多岐にわたるものであり、全体として学生が成長するために必要な配慮事項が列挙され、学生の視点を大学教育に組み入れるための望ましいシステムの構築について示した文書となっている。
 これら資格枠組、分野別ベンチマーク文書、および実践コードの3種類の文書はアカデミック・インフラストラクチャーと総称され、英国大学教育におけるプログラム開発や教育実践にあたっての指標として重視され、特に前者二つが日本に詳しく紹介されてきたのである。
 この資格枠組はすでに2008年に一度改訂され、その前段階で分野別ベンチマークのほとんども改訂されている。しかし、全国的な大学教育の水準向上が期待されたレベルに達していないなど、QAAや枠組に対する疑問・批判が議会においても出される中で、QAAの改革と合わせて、インフラの改訂も目指された。その結果、2010年以降、改めて本制度の検証と改善策が検討され、2011年12月に改定案、「英国高等教育質コード」が提示されたのである。
 新たに提案されたシステムは現時点では未だパブリックコメントを募集している段階ですべてが確定したものではないがA、B、Cの3部構成となっている。
 A部は従来の資格枠組と分野別ベンチマーク文書を中心とした専門教育の制度に関する六つの文書から構築されており、さらに従来は実践コードに含まれていた「プログラムの設計」、「外部試験制度」、および「学習成果の評価」に関する文言の一部も組み込まれている。
 一方、B部は従来の実践コードの多くから構成されており、C部は公開すべき情報について示されている。
 全体を概観すると、特にプログラムの編成と学生の評価手法に関する文言や言及がA部でもB部でも増加していることが読み取れる。
エイム・ハイヤー政策の廃止
 英国の教育制度は長く複線型制度が採用されており、大学への進学率は低く抑えられてきた。過去30年で急速に進学率、とりわけ成人の高等教育進学率が上昇する中で新たに問題視されてきたのが、進学率の地域格差、人種格差であった。
 そこで過去20年近く、全体の進学率上昇とともに、社会・経済的に不利な状況にある若者の高等教育進学率の改善が図られてきてきた。特に労働党政権下では2004年以降、それまでの支援策を統合してエイム・ハイヤー政策と呼ばれる進学率上昇・格差縮小政策が、全国的に、および重点的に進学率格差を改善すべき地域で実施されてきた。
 例えば不利な状況にある若者を対象とした奨学金プログラムの導入、大学体験やサマースクール、政府による各種広報といった取組を通じて、従来高等教育への進学を意識してこなかった層に対して進学への意欲喚起が行われてきた。
 その結果、全体の進学率は徐々に向上し、旧ポリテクニクであった新大学が格差縮小に貢献してきたとされているものの、多くの学術調査では、特に伝統的大学において、格差是正が十分進んでいないことが示されている。
 こうした中、連立政権は発足直後に、より迅速かつ総合的な社会流動性促進政策への転換を目的として、エイム・ハイヤー政策の廃止を表明した。本政策の下で実施されてきた全英奨学金プログラムは高等教育財務審議会へと委譲されているものの、現在までの取組は十分とはいえず、今秋からの学費大幅値上げとあわせて、英国の格差問題に対する中央政権の取組全体としては後退しつつあると評価せざるを得ない。
学生志向の「困難な時代」へ
 また、連立政権下での高等教育政策は、国家予算の大幅削減の中で、世界で最も高いとされる公立大学学費を導入し、また批判を受けてきた質保証の枠組みを再転換するとともに、労働党政権の下で進められてきた学生志向の学部・大学院教育改革を、全英学生満足度調査や異議申し立てプロセスの明確化なども活用して進めようとするものである。
 日本から見た場合、専門分野のベンチマーク文書や資格枠組に関心が向きがちだが、そもそもは実践コードを含む、学生支援などの総体として構築されているのが英国の資格枠組(アカデミック・インフラ)であり、今回の改訂では特にその点を改めて注目する必要があろう。
 また英国における進学率格差の問題がどのような影響を大学や地域社会に及ぼすのかも注意しておく必要があろう。こうした動向はまた、中央行政のシステムの違いを含めて、日本が英国高等教育制度の全体像を踏まえつつ何を学ぶかについて考える必要性も示しているのである。

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