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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.472
大学進学率再考 高校教育を支えるものに学ぶ

研究員 浦田広朗(名城大学 大学・学校づくり研究科教授)

 筆者は最近、桜美林大学の矢野眞和教授が主宰する教育財政および費用負担の比較研究プロジェクトに参加し、我が国の高校進学と大学進学に対する政府支出の役割を分析する機会を得た。分析の過程で、戦後の高校進学率と大学進学率は、対照的な動きを示していることを改めて認識したので、報告しておきたい。
 高校進学率は、1950年には40%台にすぎなかったが、90年代半ばに至るまで順調に上昇し、現在は96%前後で安定している。60年代までは私立セクターを中心に、70年代以降は公立セクターを中心に高校教育の供給量が拡充されてきたためである。
 これに対して4年制大学進学率は、順調に上昇してきたとは言い難い。50年代には10%未満であり、60年代前半には10%を超えて上昇したものの、第1次ベビーブーム世代が入学する66年には、その前々年よりも4ポイント近く低下した。翌年から再び上昇するが、27.3%に達した76年以降、90年に至るまで低下・停滞を経験する。
 およそ15年間にわたった大学進学率低下・停滞の原因は、経済の高度成長が止まったことと大学の新増設を抑制した高等教育計画にある。他方、91年以降の大学進学率上昇は、大学新増設と少子化による大学合格率の上昇、および高卒者の失業不安によると説明されている(矢野眞和『「習慣病」になったニッポンの大学』日本図書センター)。
 高校と異なる大学の特徴は、進学率の上昇期に、県間格差が拡大している点である。高校の場合、進学率が60%程度であった60年代はじめまで、進学率最高県と最低県の間には40ポイント近い差がみられた。この格差は、進学率が93%を超えた80年代には10ポイント以内に縮小している。2011年は5.6ポイントである。これに対して大学進学率最高県と最低県の差は、進学率が24.3%まで低下した90年には18ポイントであったが、進学率が51.0%に達した2011年には39ポイントまで拡大している。
 高校進学率が順調に上昇し、県間格差も縮小したのに対して、大学進学率はなぜ順調に上昇せず、上昇したとしても、県間格差がなぜこれほどまでに拡大したのか。もちろん、全体で50%前後という進学率は、格差が大きくなりやすい水準ではある。しかし、問題は格差の要因である。この問題について筆者は、多くの経済変数や教育システム変数を収集して分析を重ねたが、シンプルなものとして下図をご覧いただきたい。
 この図は、各県の高校・大学進学率(いずれも、該当する中卒者基準)と一人当り県民所得(以下、所得)の相関係数の推移を示したものである。可能な限り過去にさかのぼり、高校は1955〜2008年について、大学は1968〜2008年について算出したが、1980〜2003年の高校は、進学率と所得の相関係数が統計的に有意でないので、図には示していない。
 図の中で最も古い時点である1955年の高校進学率と所得の相関係数は0.66でかなり高い。経済的に豊かな県の高校進学率が高かったことが示されている。この値は70年代はじめまでは上昇傾向にあるが、72年から低下し、高校進学率と所得の相関は弱まる。80年からは前述したように、高校進学率と所得の相関はみられなくなる。豊かな県とそうでない県との間に、進学率の差がみられなくなったことを意味する。
 高校進学率と所得の相関係数が再び有意となるのは2004年からである。しかし不思議なことに、係数の符号は負である。実際、2008年についてみると、所得が最も高い東京の高校進学率は97.1%で全国より高いが、所得2位の愛知は93.5%で最下位である。愛知の他にも、神奈川、静岡、大阪といった豊かな県の高校進学率が低目である。逆に、高校進学率一位は山形(98.5%)であり、石川、岩手と続いている。
 近年において高校進学率と所得の間に逆相関関係がみられるようになった理由は、次のように考えることができる。苅谷剛彦教授が60年代後半以降の小学校と70年代以降の中学校について説明していることであるが、所得水準が低い県は過疎地域の割合が高いことが多く、義務教育標準法が定める一学級の児童・生徒数の標準を大幅に下回る学級が多い。こうした県では教員一人当り児童・生徒数が小さくなって、児童・生徒当り政府支出教育費が多くなる(苅谷剛彦『教育と平等』中公新書)。
 高校についても、高校標準法によって、生徒の収容定員に応じて置くべき教職員数が定められており、小規模な高校が多い県ほど、生徒当りの政府支出教育費が多くなる。相対的に多い政府支出により供給される高校教育によって、所得水準が低い県の進学率が支えられているのである。
 他方、豊かな県の高校進学率が低目となるのは、大規模な高校が多いために生徒当りの政府支出教育費が少なくなることに加えて、中卒者にとって高校進学以外の選択肢もあることが関係しているのではないか。少なくとも言えることは、県別データでみる限り、80年代以降の高校進学は、政府支出の支えによって、所得依存を克服しているということである。
 これに対して大学進学率と所得の相関係数は、図に示されているように、70年代はじめまでの高校と同程度の高い水準を保っている。それどころか、92年以降、上昇傾向にある。豊かな県が大学進学機会に恵まれ、進学率が高いことは当然と思われるかもしれない。しかし、全国学力テストでも示されているように、少なくとも中学校段階までは、県間に大きな学力格差はみられないし、県間の所得水準の差による学力差も認められない。学力からみる限り、所得水準が低い県の大学進学率が低くてよいはずはない。知識経済化の進行に伴い、幅広い視野と高度な知識・技術を身につけた大卒人材は、中央と同等以上に、地方に必要である。
 高校進学率もそうであるが、大学進学率は、所得のような経済変数だけでなく、供給量(具体的には入学定員)という教育システム変数にも左右される。大学の場合、豊かな県とそうでない県との間には、非常に大きな供給量格差がある。この格差を可能な限り是正する政策が必要だ。ただし、政府が直接的に供給する国立大学の入学定員が多くても、当該大学所在県の大学進学率上昇には必ずしも結びつかない。国立大学は、私立大学に比べると、学生が全国から集まる傾向が強いからである。
 したがって、国立大学が拡充されてもよいが、各県の大学進学率上昇に寄与するのは、地域に根ざした私立大学の拡充であり、そのための私学助成である。もちろん、私立大学の側にも、地域人材の育成に貢献し得る学部・学科を設置し、教育内容・方法を改善する努力を重ねる責任がある。そこで学んだ者にも、修得した知識・技術・考え方を活かして働く工夫が求められよう。

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