アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.471
政策に反映される学生の声 全英学生フォーラムが果たした役割
イギリスの高等教育はここ数年で改めて改革の時代に入ったように見受けられる。たとえば、高等教育を所管とする省庁は2007年6月には教育技能省から革新・大学・技能省へ、さらに2009年6月にはビジネス・革新・技能省へと転換している。
一方で、2010年の総選挙による労働党から保守党・自由民主党への政権交代によって緊縮財政が明確化し、その後ブラウン報告書による大幅な学費値上げ策が提示されるに至って大きな反対運動を招く結果となり、2010年年末の学生暴動も記憶に新しい。
イギリスの場合、特に高等教育改革を進めるに当たり、ステークホルダーとしての学生の声を聴き取り、政策に何らかの形で生かすといった試みが行われてきた。その一つの事例が全英学生調査であり(本欄434参照)、近年における新たな取組が表題の全英学生フォーラムであった。これは2008年に革新・大学・技能省が「学生の声を聴くプログラム」として公表した政策の中枢をなすものであり、学生の声を聴き、高等教育の教育面での改善を図っていく政策を具体化するにあたりモデルとなる「優れた学生の経験」を明確にしようとする試みであった。
フォーラムは大臣によって任命された議長および他に16名の委員が所属する機関の多様性を踏まえた学士・大学院課程の学生集団から選出されている。同フォーラムの活動や中央行政の対応を確認し、日本への示唆を読み取ってみたい。
第1回報告と政府の応答
フォーラムが活動を開始した2008年度は、キャリア開発と学生財務という切実な2つの課題に関する議論を軸として、さらに障がい学生、外国学生、大学院学生の3つのサブグループが編成されて勧告・提案が検討された。議論を通じて、共通の課題としてエンプロイアビリティが議論の焦点となり、この点に関する勧告も公表されている。
キャリア開発(情報・助言・ガイダンス)についての勧告としては、ITを活用した情報ポータルの構築やキャリア・アドバイザーの専門化と改善などが含まれている。
一方、学生財務に関する勧告としては、学生ローン会社の検証、外国学生のためにコース在籍中の学費水準を保証する「キャップ」を設定することなどが含まれている。
議論を通じて設定された課題であるエンプロイアビリティに関しては、全国レベルで大学、カレッジ、雇用者の連携を改善し、個々の大学・カレッジレベルでエンプロイアビリティに焦点を当てさせること等が勧告されている。
その他、3つのサブグループからはそれぞれの現状・課題に基づく提案が示されている。障がい学生については教職員の研修の充実、外国学生に関しては導入(初年次)教育において文化間の移行を適切に行わせるためのワークショップやピア・サポートによる支援のネットワークを構築すること等が提案されている。
さて、こうした報告に対して、革新・大学・技能省による応答文書ではフォーラム側の勧告を基本的に歓迎し、その一部はすでに実施済み、ないし計画中の政策に組み込まれていることを確認している。
大学院学生をめぐる提言についても、特に実践綱領に問題があることの指摘であると認識している政府は、高等教育質保証機構(QAA)と学生代表との間で直接的な情報交換が必要であるとの認識を表明しており、ここ10年にわたりイギリスの高等教育の質保証システムとして機能してきた実践綱領の改定が示唆された。
2年目以降の活動と終焉
2年目の活動にあたり、フォーラムは自らの勧告が個別大学のレベルで達成しがたい状況にあるとの認識を持つこととなった。そこで個別高等教育機関が自らの実践の水準を確認できるような指標を踏まえて議論することを試みている。
議論の対象となったのは指導学習活動、エンプロイアビリティ、大学院学生の処遇、成人・パートタイム学生の処遇、障がい学生の処遇、および学寮の在り方についてであった。それぞれの課題は現状と問題認識がまず示され、それを踏まえた理想的在り方と現実に期待される目標、そして勧告といった内容で報告書が作成された。全体として柔軟性をもちつつ体系性が明確な指導プログラムの必要性、および単位互換やコースの移動といった移動可能性(トランスファラブリティ)の強調が注目される。
一方、同報告書に対するビジネス・革新・技能省の応答文書では、同フォーラムの活動が政府の高等教育政策分析の基礎に重要な貢献を果たしていることが示されている。特に中長期計画と目された「より高い大志・知識経済における大学の将来像」の立案、大学院の教育・研究機能の検証、および高等教育財政と学生の財務状態に関する独立委員会の検証のために有効に利用されることが明確にされている。
しかし、前述のとおり政権が交代することにより、同フォーラムの位置づけも不安定なものとなり、フォーラムは2010年10月に3冊目の、そして最後の年次報告書を刊行して解散している。
ではこうした学生の声は実際にはどのような形で政策に反映されてきたのであろうか。
もっとも大きな変革は2011年12月に公表された実践綱領および高等教育資格枠組の改定である。学生の学習活動をめぐる指標が半年以上の議論と意見聴取を経て改定されている。このうち実践綱領部分については、フォーラムの議論が反映されている。
一方で、制度の充実が提案されていた教育維持手当(EMA)については、政権移動による財政支出カットによってイングランドの学生対象としては制度が廃止されてしまっている。
新政権の下では教育活動を充実させる具体的方策については積極的な改革が進められるのに対して、学費や補助金など中央行政にとって支出を伴う改革は一律に後退しており、財政赤字問題がイギリス高等教育に与えつつあるインパクトを読み取ることができる。全体としてイギリスにおける全英学生フォーラムの取組は成果と限界を明確に示す形で三年間の活動を終えたのであった。
日本への示唆
イギリスの全国学生フォーラムの実践が当初意図した結果を生み出したのか、あるいは学費値上げ問題をめぐる混乱の中で、本来の趣旨を失ってしまったのかについては、今後の改革動向を含めて確認する必要がある。
翻って、日本の高等教育改革をめぐる議論において、学生の視点や視座はどのように理解され、活用されているであろうか。個別大学においてはFDやピア・サポートといった活動で学生の視点が活用されている例を見ることができる。また、一部の大学で試行されていた熟議は限定的だが一つの方向性であろう。学生も巻き込んだ熟議は、適切な議題設定やITを活用した全国的展開が実現されることによって政策立案に寄与する可能性がある。
今後、多様化する学生の声を全体として聴き取り、全国的および個別機関における政策立案に活用していくにあたり、イギリスにおけるこうした経験は参考になるように思われる。