アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.462
“勉強させる仕組み”づくり 大学分科会で早期に議論を
第6期の中教審大学分科会での審議では、教育の質の保証・向上の推進方策、機能別分化と大学間連携の推進方策、大学の組織・経営基盤(ガバナンス)の強化の三つの事項が取り上げられている。
筆者が専門委員として参加している大学教育部会では、体系性・一貫性あるプログラムとしての学士課程教育の構築に関する諸課題について議論が行われている。取り上げられている課題の中では、ガバナンス問題と、教育の質の保証のための教学マネジメント問題が大きな関心を集めている。前者は“学部自治”に代表される、大学の組織・経営基盤の在り方を変えなければ改善は図れないという問題認識である。大規模大学ほどこの弊害が目につくようであるが、専門分野の性格だけでなく、そもそも“授業は教員のもの”といった意識や思い込みをもつ大学教員が少なからずいるからかもしれない。後者は、教育の質の保証・向上のためには、学生が学習に取り組むような仕組みづくりの重要性への問題認識である。124単位の学士課程教育全体が一つの教育として機能するためには、教員の教授過程が体系化したものになる仕組みを構築し、学生の学習過程をモニタリングして学生の視点から充実した学習ができる仕組みを作り上げていこうということである。
筆者個人は基本的には後者の議論を一定程度進めた上で、ガバナンスの問題に戻る方が実質的であるという立場である。教員の教授過程と学生の学習過程をモニタリングし、体系的な教学マネジメントの仕組みを構築できないままであると、表面的な改革の弊害さえ生じかねない。
現在審議中の課題の一つである「単位制度の実質化」について例をあげれば、1単位が45時間の学習によるものであり、10週または15週の学期の期間中に、10時間または15時間の授業を行うべきことは周知の通りである。しかし、年間35週のうち、2学期制であれば授業期間30週とは別に、「定期試験期間」を「設けなければならない」のかどうかという、前後期各1週の設定が、ここ数年大学関係者の悩みの種であった。4月第1週から、オリエンテーションやガイダンスもほどほどに授業を開始しても、15週プラス1週の試験期間を設定すれば8月上旬まで日程を組まざるを得ない。結果的には採点を速やかに済ませようと、定期試験をしないでレポートや平常成績を重視するという問題も出てきている。他方、単位の実質化を支えるもう一つの装置であるCAP制の方は、大学教育を基礎にして行われている医歯薬系や教員養成で求められる指定規則等との両立に課題があることもあってか、あまり大きく取り上げられていない。それ以上に、教室外学習時間が十分取られていない現状を考えると、個人的には、形式的に定期試験のための1週を設けるよりも、シラバスの中に課題や教室外学習の必要時間を明記したり、評価の観点であるルーブリックを作成・活用したりするなど、体系的な単位の実質化を各大学に担保してもらうことが重要であり、形式的な15週+1週の解釈を見直すべきであると考えている。この点は、これから教学マネジメントについて議論すべき課題であろう。
もう一点気になっている課題がある。大学教育部会での審議に先立ち、これまでの審議経過や課題の整理が行われたが、それらのアジェンダの中に、項目のみが記載されているのが「高大接続」問題である。「学士課程答申」で構想された「高大接続テスト(仮称)」は、2008年10月から10年9月まで、北海道大学の佐々木隆生教授(現北星学園大学)を代表者として文科省の委託事業として高大関係者の協議・研究が進められ、最終報告書がまとめられた。しかし、今期の大学分科会では残念ながら“棚上げ”されたままである。確かに、高大接続イコール大学入試の問題となるので、社会問題や政治課題としてデリケートな事項である。
日本の高大接続問題は、@AO入試、推薦入試に代表される「非学力選抜の普及」、A学生の学力低下、B各大学の個別学力試験における「試験の軽量化」(科目数の減少、選択性の増加)と荒井克弘氏は指摘している(荒井2011)。そして、高大接続の在り方は、従来の選抜機能から教育機能が重視されると述べている。
日本の高等教育が量的に私立大学セクターに大きく依存しており、私立大学の財政が学納金収入に大きく依存していることを考えれば、学生確保や受験生を集めることを第一の課題とするのは当然のことであり、18歳人口が減少し、入学定員が拡大してきたことを勘案すれば、高大接続を個別大学の努力や見識に頼るだけで改善することはできない。市場原理に委ねていれば、受験生確保や学生確保のために、「非学力選抜の普及」や「試験の軽量化」が止まることはなく、結果的には高大接続関係はさらなる悪化を見ることになる危険性は大きい。
教育情報の公表の行方は明確ではないが、教育の質保証についての社会的圧力が強まる中で、中退率や卒業率といった入学者の質に規定される側面の強い指標の可視化を求める圧力が強まっていく可能性は高い。その時には、高大接続の仕組みがどのようになっているかが問われることは必至である。
初年次教育の普及率は97%に達し(国立教育政策研究所2009)、入学前教育を実施している大学が84%に達する(河合塾2008)。後者の内容をみると、「高校生として必要な基礎学力の確認・補習」82%が圧倒的である。「大学教育における基礎的能力の習得」38%、「入学後の学部・学科で必要な専門知識の習得」28%がそれらに続くようであるが、入学前教育がリメディアル教育の様相を強めているといえよう。
ベネッセ教育研究開発センターの実施した高校教員向け調査結果(「高等学校からみた大学改革の課題に関する調査」2009年)をみると、「推薦入試やAO入試(以下では「非学力選抜」という)の実施割合を減らすべき」(「そう思う」と「まあそう思う」の合計)と考えている教員は57.8%であるが、進路多様校の教員だけでみると44.8%であり、単純に入試区分の割合だけの問題では解決しないとみていい。これに比べ、「非学力選抜で早期に進路が決まった生徒に対し、卒業まで勉強させるような仕組みを大学と共同して検討する必要がある」と考える教員は、全体で75.4%、進路多様校でも77.5%と、高大接続の学習マネジメントの必要性についてはコンセンサスがある。「非学力選抜に学力検査を課すべきだという」意見への賛成61.5%(進路多様校で52.1%)を上回っている。少なくとも、高校側だけの取組でも、大学任せの取組でも解決できないという認識があるのは、健全な反応であろう。また前述の大学教育部会で教学マネジメントについての発言が多く出され、世界の大学生の5割の学習時間しか確保していない日本の大学生に、どのように学習させるかという金子元久委員等の調査結果に基づく論点と共通する面がある。
“勉強させる仕組み”を考えなければ、問題は解決しない。AOや推薦に学力検査を導入して試験のために学習させるという解決法は、競争倍率1倍を割ってしまえば、その仕組みは機能しない。荒井氏が指摘するように、試験選抜による高大接続が維持できない状況なら、教育選抜の仕組みを高大連携で考えるしかない。この大きな課題を積み残したままでは高等教育の質保証への道は大学だけが割を食う事になりかねず、ひいては学生たちの成長や学習成果にも悪影響が出てきてしまう。早くこの課題が議論されることを念願する。