アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.459
大学理事会の役割を明確に アメリカとの比較から
日本の私立大学の理事会制度はどのような特徴があるのか。ここではアメリカの私立大学と比較しながらこの問題を考えてみたい。
日米の違い―役割分担と理事構成
日本と比べた場合、アメリカの理事会には二つの点で特徴がある。第一は、理事会は意思決定・執行・監督機能に関する役割分担に関することだ。アメリカの大学において、理事会の役割は、Guardians(守護者)と言われ、たとえば、スタンフォード大学のホームページにも「大学の過去・現在・将来を守ること、とくに大学の将来を守ることが理事会の重要な役割である」と書かれている。最高意思決定機関であり、大学全体の利益を考慮し、教職員や政府に対するチェック&バランス機能が求められている。理事会は長期的な観点から大学が進むべき方向性やミッションについての意思決定を行い、短期的な課題として実現する学長を選ぶ。執行機能を担うのは学長であり、学長の執行を理事会が監督し、サポートするといった役割分担が明確である。学校としての長期的な維持・発展と短期的な課題の解決という二つの目標に応じて責任の主体を分けているともいえるかもしれない。
第二は、理事メンバーの構成である。アメリカの大学の理事会は「素人支配」と呼ばれることが多いが、これは現職の教職員が理事になっていないことを意味している。大学の卒業生や地元の名士など、他に職業を持つものが理事になり、理事としての報酬を受け取らないケースが多い。大学が行う意思決定によって直接利害を受ける教職員が公平な判断を行うのは難しく、閉鎖的になりがちなので、世間の風をいれて個人の関心から切り離した形で運営することが重要だという理念があるためだ。ガバナンス論における最も根本的な問いは「大学は誰のものなのか」であるが、私立であっても「大学は社会のものなのだ」という認識が強くあることがこうした制度の基盤にあり、だからこそ税制優遇などの社会からのサポートを得ることができると考えられている。
日本の理事会のあり方とはかなり異なるが、以下で考えてみたいのは、日米の大学の理事会制度のどちらが望ましいのかといった問題ではなく、それぞれの社会の文脈に応じて発展してきた制度の違いが何をもたらすのかということだ。
経営人材の調達ルート
日本の私立大学においてこの10年ほどで経営環境は急速に厳しさを増してきたが、アメリカの大学では、1970年代半ば頃に同様の経験をした。18歳人口の減少や政府財政の緊縮などで経営機能の強化が強く求められたが、そこで起こった大きな変化が経営人材に関することであった。学長、副学長や学部長などは経営陣として明確に位置づけられ、一定のマーケットが成立していった。彼らの多くはアカデミア出身で博士学位を持つが、あくまでも経営上の手腕をもとに選ばれ、評価される。他の大学で学部長や副学長などを歴任し、経営上の手腕(たとえばコストカットに成功、寄付募集に成功など)を買われて、選ばれる。有能な学長であればあるほど、給与もきわめて高額だ。トップマネジメント人材に限らず、たとえば入試、財務、広報などの一定の分野における専門職(教員外プロフェッショナル)市場も発展した。彼らも一定分野で経験や訓練を積んで、専門職として他の大学に異動しながらキャリアアップをしていく。過去30年ほどで、経営幹部や教員の数は2倍程度に増えたが、この専門職はそれ以上で、四倍ほどに増えた。アメリカ高等教育新聞(The Chronicle of Higher Education)のホームページでは両者合わせて、1000件以上の求人情報が掲載されており、経営人材についての一定の外部マーケットが成立していることがわかる。アメリカの大学の学長など経営幹部が専門職化した背景には様々な理由があるが、上述の理事会の特徴からもたらされた面が大きいように思われる。
素人支配vs玄人支配?
日本の私立大学において、こうした経営人材の外部市場が成立する兆しもないし、今後も急速に発展していくとも考えにくい。「素人支配」のアメリカの理事会とは逆で、日本の私立大学では職業として大学の理事になるケースも多くみられるし、実際に日常的な意思決定と執行において彼らが担っている役割は極めて大きい。一部の私立大学では理事会やそれを支える学内の事務局が大学経営に一層の責任を持ち、経営能力を高める方向(「玄人支配?」)をさらに目指す動きが模索されているようにも見える。少し古いデータだが、2005年に私学高等教育研究所が行った理事会運営についての調査で、2004年の私立学校法改正後の改革として、理事会の議事の充実(28%)、理事会の開催回数の増加(15%)、常勤理事の増加(10%)、担当理事制の導入・拡充(10%)など、理事会の意志決定・執行機能をより強化する方向に舵が取られている。その一方で、1990年代から幾度と答申等で学長のリーダーシップの強化が議論されたわりに、選任方法、学内での役割などの学長のあり方の面で大きな変化は起こってこなかったようにも見える。多様な私立大学が存在しているので一概には言えないが、学内から学長が選ばれる大学が大半を占めている。日本の私立大学で意思決定と執行の未分離があるからこそ、執行機能を強化するための方策が複雑にならざるを得なく、学長の経営能力が向上すればよいという単純な問題でないからだ。上述の理事会調査では、今後の経営課題も尋ねているが、学生募集(86%)、人件費削減(52%)に次いで、経営組織・管理運営体制の改革(43%)が上がっており、その大学にあった役割分担の方策が模索されている。
各大学においての模索と並行して、学術的な観点からも、外部の経営人材市場がない中で、理事や学長など広い意味での経営人材をどのように発掘して、育成し、評価していくのかを改めて考えていく必要があるだろう。とりわけ歴史が浅く、規模の小さい大学では、学内の人材プールが小さいために、こうした問題(学内に経営幹部の候補が見つからない等)も生じやすい。同時に小規模な大学ほど、トップ人材のあり方が経営状態に与える影響も大きく、切実な問題である。大学間での連携や大学団体などが果たすべき役割も含めて検討する必要があるだろう。多様な私立大学の運営形態を考えれば、一つの望ましいモデルを想定することは現実的ではないが、シンプルに考えれば、大学という組織を経営していく上で必要な機能には共通の要素があり、要はそれを誰がどのように分担するのかという点で国や機関による違いがあるだけである。日本の私立大学のガバナンスにおいて、監督機能が弱いことも先に述べたが、理事会や学長の評価がほとんど行われていないのも、どのような観点で評価をするのかが先に明確にされていないためだ。まずは各法人においても、理事会の構成や役割についての特徴を明確化し、その上で、学長に何を期待するのか、あるいは権限や専決事項を明確化することが必要ではないか。