アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.439
「知」による貢献を 震災の復興と大学
3月11日に起きた東日本大震災によって、わが国の高等教育機関は大きな被害を受けた。亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々そして関係する高等教育機関の皆さんには、心よりお見舞いを申し上げたい。この地震と津波の被害、そして原発を巡る被害状況は、地震発生後1ヶ月を経過した現在も改善しておらず、その帰結は全く予断を許さないが、この災害が高等教育に及ぼす影響は極めて大きいということが徐々に明らかになってきた。まだまだ把握しきれない問題が多いことを承知しつつも、いくつかの事柄について、とりあえずの考察を述べたい。
被災関係者への支援を
まずは、大学の教職員の方々に対してである。被災地域において、自身が被害者でありながらも、学生の安否確認や教育・研究活動の復旧のために献身的な働きをされている方々のことを思うと、心痛むものがある。このたびの震災復興は長期戦になるであろうから、どうぞ心身の健康には十分に気をつけてほしいと呼びかけたい。
また、被災した方々には行政、ボランティアを含め、さまざまな支援がなされつつあるが、このようにして必死の働きをしている教職員に対して、被災地域以外にいる教職員を含め、個人レベルでも緊密なネットワークを組み立てて、物的および精神的支援の輪を広げることが大切である。現状についての情報を共有し合い、また過去の災害経験から学び合うことも、この際非常に重要なことである。私が勤める広島大学高等教育研究開発センターでも、震災発生後間もなくツイッターのアカウント(rihe_hiroshima)を作成し、震災関連情報の収集や発信を行っている。被災地の情報などを個人レベルで共有し、相互に励まし合うべく対処しているので、活用してもらいたい。
次に、各大学の業務の回復についてである。被災地にある大学は、いずれも原状回復に全力を尽くしていることであろう。それは4月が学年の始めであり、教育・研究とくに入学式やオリエンテーション、授業開始という重要な諸日程をこなさなければならないことと関係する。すでに日程を数週間遅らせた大学も多いことだろうが、施設・設備に大きな損害を受けた機関も多いことから、果たしてこれで大丈夫かどうか大いに気がかりである。また、今回の震災は被災地が広域に渡ることから、授業の開始等の問題は決して限られた数の大学の問題にとどまらない。さらに、被災した大学だけではなく、被災地の出身で非被災地の大学で学ぶ学生や入学者も多いことから、むしろ全国すべての高等教育機関に及ぶ問題である。被災地域の大学で学んでいた他大学の学生を、避難のため、あるいは就学のために引き受けている大学もあると聞くが、このようにして大学間の相互協力を行うことによって、少しでも学生の負担を減らすことは非常に大切なことだ。
災害時ならではの高次の判断が必要
今多くの大学では今年度の授業日数をどのように確保するかという難題を抱えていることであろう。成績評価・質保証の厳格化に伴い、15週間の授業期間を確保することは、大学の教務担当者にとって当然の前提になっている。事務的発想に従えば、夏休み期間に授業を行わなければならないことは当然ということになる。しかしそのような形式論理が都合悪いことはいうまでもない。今回、文部科学省が、いち早く、「10週ないし15週の授業期間については、一定の前提の下に弾力的に取り扱って差し支えない」旨、各大学に対して方針を示したことは適切な対応であった。今は非常時であるから、教育の質保証についても、より高次元で考えることが必要である。要は実質的に「45時間の学修量」を確保する手立てを考えればよいのである。
この震災は、大学にとっては危機管理に対する厳しい応用問題である。しかもその危機の程度は想定の範囲をはるかに超えるものである。各大学ではこれまでも危機管理の体制やマニュアルを備えていたことと思うが、単なる原状回復や業務再開のみを目的とした危機管理では不十分である。日常レベルに近い災害では、事務的発想によるマネジメントも可能であろうが、今回のような事態に対処するには、極めて柔軟かつ高度な判断が求められる。まずは被害の現状の把握に努め、かつ地域との関係、資源確保と配分、学生の安否確認、留学生のケア、教職員への適切な指示、行政対応など多岐にわたる行動の相互関連づけを図り、大学が回復すべき機能の何を優先すべきかを考えることが大事である。その際には、全学一体となった体制づくりも必要であるが、現場すなわち部局やそれ以下の細分化された組織の事情に十分配慮することも大切である。現場が動かなければ、大学全体の回復も見込めないことを肝に銘ずるべきである。
改めて「知」による貢献を
いずれにしても、大震災が社会・経済およびその変化に及ぼす影響が極めて大きいことは、歴史が証明している。このたびの震災も、わが国の将来を変えるほどのインパクトをもたらしかねない。いわば国難ともいえる状況にどのように対処するかは極めて重大である。震災のもたらす二次的悪影響を最小限に抑えつつ、以前にも増した復興を遂げるにはどのようにすればよいだろうか。このことから考えると、知の拠点としての大学の役割を再認識することが必要である。つまり大学は、自ら受けた被害の回復をめざすだけではなく、知を通じて社会全体の復興に寄与すべきなのである。
例えば原発の問題について、個々の教授がマスコミで評論するだけではなく、関連する専門分野の組織の総力を挙げて、この問題への効果的な処方箋を提示すべきではないだろうか。また震災後、社会の各般において過度と思われる活動の自粛が見られるようだが、これが経済を萎縮させかえって震災復興の妨げになることを、大学は論理と事実をもって、社会に警告すべきではないだろうか。大学が受けた被害の回復を含め、高等教育に対する格別の資源投入がなされるよう強く望むとともに、改めて大学の果たすべき大きな役割も再認識したい。