アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.416
カレッジ・レディネスを高める
接続力を育む学習プログラムの開発が不可欠
「大学では、高校までの学びと比較すると自ら学ぼうとする自主性がより強く求められる。この学びの円滑な移行には、「聴く」「読む」「調べる」「整理する」「書く」といった学習技術の獲得は必須で、まず、学習技術の重要性や必要性に気づくことが獲得の第一歩になる。更に望むべくは、学生がこういった学習技術を基に「考えることの大切さ・楽しさ」に目覚め、大学での教育やその後の社会活動に向けて大きく飛躍していくことだ」と語るのは、朝日新聞社で「e学び力」という大学1年生向けの学習プログラムの開発を手がける根岸佳代教育プロジェクト担当プロデューサーである。
大学教育を受ける準備ができている、とは何を意味するのか。大学教育における社会経済的価値は良く認識されている。大学で成功を収めるために必要とされる技術と21世紀の労働市場で期待される技術は、これまで以上に密接な関係に置かれるようになる。アメリカ連邦政府は、2009年にアメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act)を可決し、障害のある学生やESLを学習中の学生等も含めて、すべての大学生にとって妥当で信頼のおける質の高い評価の実現や、大学教育はもちろん、就業のための準備としての厳格な水準の実現に向けて前進することを一層確かなものとする法律を施行した。その過程で、大学教育のための準備と就業のための準備の水準は連動すべきである、と明言された。また、ETS(アメリカのテスト開発機関)のA・E・シュミット管理統括部長は、伝統的な認知的学力テストで測れるもの以外の要因もまた、大学での学習を成功に導く上で重要である、と言う。もちろん学習者に意欲があることを前提としての話だが、具体的には、独創力、コミュニケーション力、チームワーク、困難な状況にもうまく適応出来る力(resilience)、企画・組織力、倫理性、誠実性といった特質を何かしら有していることが重要である、と言う。
学校が断片的なカリキュラムに即して授業を行っており、結果として文化リテラシーがやせ細って行く状況を憂いたのはE・D・ハーシュであった。彼は、『教養が、国をつくる(Cultural Literacy)』(1987年)の中で、学校教育システムが目指すべき目標としての文化リテラシー形成の重要性を説き、文化リテラシーがあるというのは、現代世界が繁栄する上で必要な基本情報を有していることであるから、幅広く共有された情報をもっと重視すべきである、と主張した。しかし、実際、今日、学力=文化リテラシーという公式はなかなか成り立ち難いようである。
わが国では、今日、大学受験に寄り添うカリキュラムの影響を強く受ける高校生は、入試の準備はできていても大学教育を受ける準備はできていないと感じている。学力低下論争は熱いが、憂慮すべきはむしろハーシュが指摘する文化リテラシー教育の後退であり、両者の「溝(Chasm)」の深まりである。今や大学での学びには相応の準備が必要であることは周知の事実である。こうした議論は、「ユニバーサル化した段階の」、「志願者全入時代の」と形容される大学教育が現実味を帯びて来た昨今、「すべての子どもたちに大学教育を(Higher Education for All)」の現実化の過程で、ますます熱を帯びている。そこでは、伝統的入学試験に依存する選抜型進学は徐々に後退し、成熟したリテラシーの形成と密接に関わる教育接続による進学が主流となるべきである。そこでは、高大の教育接続の多様性を如何に保証できるかが学校教育システムの有効性を左右することになる。全体の底上げはもちろん大切だが、中でも、「個人の多様な高みをめざす」を支援できる仕組みを学校教育システムの中に如何に内包できるかがますます重要となってきている。
最近のアメリカでの高大接続研究の多くは、高校生が大学入学以前に獲得する学習技術と大学教員が大学での学びに必要であると学生たちに期待する学習技術との間の違いが大きいこと、を明らかにしている。アメリカでは、Reading(読むこと)、Writing(書くこと)、Thinking(考えること)、Listening(聴くこと)、そして、Grit(不屈の精神、気概)、大学教育に対する姿勢、といった諸要素が取り上げられることが多い。大学入学判定に利用されるSATやACTのような標準テストで測られる読解力は、大学における最も基本的な学習技術である。学生は、広範囲の専門分野に渡って膨大な資料を読むことが要求される。そして、彼らは、資料と格闘し理解しかつ思考を深めなければならない。「読むこと」は、大学のあらゆる分野において、成功する基本的な学習技術であるが、成功のための必要条件であって、十分条件ではない。書く力、考える力、聴く力、いずれも大切な力であるが、前述のGrit(不屈の精神、気概)が極めて重要な特質である、と言う。グリットの重要性を説く研究者たちは、この用語に、自己訓練、粘り強さ、熱意の意味を含める。アメリカの若者たちの中で、学業未達成者は、不適切な教師、つまらない教科書、大人数のクラスを非難する。しかし、研究者たちは、彼らの知的な可能性を失墜させる別の理由を提示する。それは、自己訓練の失敗である。アメリカの子どもたちの多くは、長期的な利益のために短期的な快楽を犠牲にできるか、と言う選択で困難を抱えている。自己訓練プログラムは、学業達成を成し遂げる上で、重要である。そして、大学に通う機会は、予測ができないほどの無数の価値との出会いの良き契機であるために、大学教育を受けることへの姿勢も重要である。
カレッジボードは、長年、カレッジ・レディネスに影響する諸要素を特定する研究を実施してきており、大学での成功予測を可能にする新しい因子の検討を行ってきた。その成果として、テストの得点や高校の成績といった所謂アカデミック因子については、粘り強さや卒業との関連を認識しつつ、興味・関心の所産との強い関係が認められている。同時に、高校時代のカリキュラムの厳格さが単なるテスト得点や成績を超えて、大学での成功を予測するのに有効であることが認められている。
カレッジボードの副理事長で研究事業の統括責任者であるW・カマラは、こうした認知的な能力や到達度がカレッジ・レディネスの基本的な尺度であるとしながらも、大学生の学業生活での成功の一部分しか説明できない、と指摘する。そして、十分な説明に至るには、非認知的な能力と言われる、知的好奇心、学習技術(スタディスキル)、自己有用性意識、メタ認知的スキル、等を加える必要がある、と言う。
われわれが、今、真に直面している課題は、入学者特定のための入試選抜の精度を如何に高めるかを考えることではなく、大学進学希望者の誰もが自らの大学での成功をそれぞれの目標に照らして予測できる高大接続の仕組みの創出であり、そのためには、大学教育の準備とは何かに改めて向き合い、大学教育への接続力としてカレッジ・レディネスを育む学習プログラムの開発が不可欠である。