アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.401
新しい学生支援制度の提唱 各国の授業料・奨学金制度改革
高等教育における学生に対する経済的支援は、近年の経済の停滞状況のもとで、ますます重要な政策課題となっている。文部科学省など各種の調査でも、大学生の経済的理由による中退や授業料の滞納が深刻な事態になっていることが示されている。他方で、就職状況も出口の見えない状況で、奨学金を借りても、将来の返済の見通しが立たず、奨学金の申請を断念する者も少なくない。こうした状況に対して、中央教育審議会は学生支援検討WGを設置し、様々な角度から学生に対する支援を検討した。その結果は、昨年8月26日の大学分科会「中長期的な大学教育の在り方に関する第2次報告」として公表され、学生に対する経済的支援の重要性が強調された。その直後、政権交代が起きて、新政権はマニフェストやインデックスなどで、大学生に対する経済的支援の重要性を強調したものの、子ども手当や高校授業料無償化などに比べると、大学生に対する支援はまだ具体化されていない。
私はこのWGの一員として、諸外国における奨学制度の調査と既存調査による日本の学生支援の現状の統計分析を行った。それ以前からアメリカ・オーストラリア・イギリス・スウェーデン・中国・韓国の調査を実施してきた。こうした調査の中で、日本の学生支援制度が過去60年間ほとんど変わっていないのに対して、各国では急速に改革を進めていることが明らかになった。それらの諸外国の状況と比べ、日本でも学生支援制度の抜本的な改革が必要だと痛感している。
各国とも、公財政支出の窮迫と進学率の上昇による高等教育に対する支出の増大から、教育費は公費負担から私費負担へシフトし、授業料も高騰している。さらに、大きくは給付奨学金(グラント)から、貸与奨学金(ローン)へのシフトが起きている。しかし、ローンの拡大によって、ローンの過重な負担の問題やひいてはローンそのものに対する回避が特に低所得層で発生している。これでは、本来は低所得層の高等教育機会を拡大するための奨学金がその役割を果せないことになり、日本を除く各国では給付奨学金を拡大する改革が進行している。アメリカでは、オバマ政権が従来の政府保証金融機関ローンへの政府補助を廃止し、それを給付奨学金(ペルグラント)の拡充に充てるとしている。イギリスでは、生活費給付奨学金(Maintenance Grant)が大幅に拡充され、約3分の2の学生が給付奨学金を受給していると推定されている。オーストラリアでも給付奨学金を大幅に拡充する法案が審議中である。中国も、従来の国家奨学金に加え、国家助学金や国家励志奨学金という新しい給付奨学金を創設している。さらに、従来日本と並んで学士課程レベルで給付奨学金がなかった韓国でも給付奨学金が導入された。
返済減免制度
給付奨学金ではないが、各国とも導入しているのが、一定の条件を満たした時にローンの返済を減免する制度である。イギリスでは一定所得以下では返済は猶予され、さらに25年間返済した後、あるいは60歳に達した後の残額があった場合に帳消しにされるほか、ローンを給付奨学金に変更し実質的に減免になる制度や教師や看護職になる場合にも給付奨学金が支給される。オーストラリアでも教師と看護職は、国家的優先バンドとして、授業料相当額が低く抑えられていたが、近年これにかわり、数学と科学が優先バンドとなり、さらにこれらに関連した職に就いた場合、減免される。看護職も同様の手当がなされる予定である。中国でも、教員など特定地域で特定の職業に就いた場合には授業料免除などの制度がある。アメリカでも、新しく開始された所得基礎型ローン(Income Based Loan)では、イギリスと同様25年返済を続けた場合の他、10年間公的職業に就いた場合、ローンの残額の返済は免除される。
このように、各国とも、供給が不足している特定の職業に対する優遇制度を戦略的に導入しており、こうした仕組みのない我が国と極めて対照的である。日本では、実質的にグラントとしての役割を果たしていたのが、日本学生支援機構奨学金の特別免除制度であるが、大学院の一部を除いて廃止された。このため、日本の奨学金は給付奨学金や減免制度がないという点で、各国と大きく異なることになった。
所得連動型ローンの導入に向けて
給付奨学金や返済減免はローン負担やローン回避のためには有効であるが、財政的な負担が大きい。財政的な負担が比較的少なく、かつローン負担も小さい所得連動型ローンが各国で注目されている。
このスキームは1989年のオーストラリアの高等教育貢献制度(HECS:Higher Education Contribution Scheme)で初めて導入され、その後、スウェーデンやイギリス(イングランド)などでも導入された。大学生は在学中には授業料負担はないが、卒業後所得に応じて一定の割合を返済していく方式である。イギリスでは、授業料相当分だけでなく生活費についても所得連動型ローンとなっており、在学中ほとんど費用負担はない。さらに、アメリカでは連邦政府ローンの一部に所得連動型が導入されていたが、利子補給がないため、返済期間が長く返済総額が他の返済方式に比べて多くなりがちな所得連動型は普及していなかった。これに対して、オバマ政権は、先に述べたように新しい所得基礎ローンを導入した。また、韓国でも2010年から所得連動型ローンを開始している。
しかし、我が国での所得連動型ローンの実施に関しては、多くの解決すべき問題がある。例えば、欧米の所得連動型ローンでは、個人主義的な考え方によりローンの負債はあくまで個人が単位である。配偶者が高所得であっても、本人の所得がなければ支払いは猶予される。この点を家族主義的な我が国で、どのように考えるか、議論が必要であろう。また、所得連動型ローンが可能になるためには、継続的に所得を正確に把握するための仕組み、例えば納税者番号制度などが必要となる。これについては、我が国でも議論が分かれている。しかし、現在、年金庁の構想とともに、国民納税者番号の導入も提唱されている。この機会に、納税者番号に連動して、所得連動型ローンを導入することが考えられる。各国の制度をそのまま導入することはできず、我が国にあった制度設計をしなければならない。
いずれにせよ、こうした各国の改革動向を参考にしつつ、我が国独自の学生支援制度を早急に検討する必要がある。延滞金の強化やクレジット通告などペナルティの強化だけでは、返済能力のない者から強制的に取り立てることはきわめて難しい。ローン負担やローン回避の問題を解決できず、日本学生支援機構の累積債務は拡大し続け、学生支援の本来の役割を果たすことができなくなる恐れが強い。納税者番号の導入に合わせて、所得連動型ローンの創設の具体的な検討に着手する時期が来ている。