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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.381
政権交代と高等教育政策の課題 政策決定の透明化と中間団体の役割

研究員 羽田 貴史(東北大学高等教育開発推進センター教授)

 一、政権交代は高等教育政策のメタ評価の機会
 現在の高等教育関係者の最大の関心は、民主党政権の成立による政策変化の行く先であろう。奨学金の大幅拡充、法人化直前へ国立大学運営費交付金額を回復させることなど、高等教育関係者の要望に沿ったものが多い。しかし、政策は、高等教育が営まれている環境まで任意に変更できるわけではない。18歳人口の減少という人口動態、1000兆円を超える政府債務といった高等教育に影響を与える要因は、政策によっても容易に変えうるものではない。政策は何ができて何ができないか、これから試されることになる。
 また、サッチャー政権によって始められた高等教育改革が、ブレア政権でも継続したように、環境の変化に対応した政策や行政手法は、政策主体が代わっても継続すべきである。90年代から、規制緩和や認証評価制度などシステムレベル、法人化など機関レベルなど多岐にわたる制度改革が行われたが、現在は、その実効性を検証しながら継続的な制度改革が必要な時期にある。たとえば、国立大学の裁量性を拡大するとしながら、国立大学法人は公務員人事行政の縛りを依然として受け、交付金の削減に加え、政府方針によって人件費削減が求められ、必要な教員の増加も制約されている。法人制度の趣旨からいえば、法人の判断に委ねられてよいはずなのに、である。法人化を含む90年代の高等教育政策は、政府による統制から市場原理の導入への変更とも称されるが、イギリスの改革が政権交代によって新たな政策が登場したのに、日本の場合は、こうした変化なく推進されてきた。そこに、旧来型の行政手法と新たな手法とが混在し、「新しい革袋に古い酒」が残る理由がある。こうした環境では、進められてきた政策のメタ評価を通じて、政策や行政手法の有効性を検証することは困難である。政権交代は、政策評価を通じた継続的な制度構築の機会と見ることができよう。
 二、政策アジェンダは共有されてきたか
 メタ評価を可能にするにはいくつかの条件があり、その一つは、政策アジェンダ(課題)の共有である。しかし、問題は、政府内部において、アジェンダが共有されず乖離し続けていることである。高等教育機会の格差化は、高等教育研究においても大きな課題であり、小林雅之『大学進学の機会―均等化政策の検証』(東京大学出版会)のように優れた実証研究も生まれてきた。しかし、財務省筋には、高等教育機会への関心が驚くほど希薄である。一例として、今年6月の財政制度等審議会『平成22年度予算編成の基本的考え方について』は、国立大学への特別教育研究経費やGPが国立大学間でさほど格差がないことから、評価に応じた配分がなされていないと批判し、より客観的な評価と格差的な配分を求めている。現実の配分に差がないとも思えないが、大学間の格差が小さいことは、教育条件が均質で質が保証されていることを示すにもかかわらず、差が小さいことを問題視する政策文書は珍しい。もちろん、家計負担の厳しさや奨学金の拡大、私立大学への補助についてもこの文書は触れることがない。
 また、高等教育に関して引用文献を挙げ、近年の建議では踏み込んだものだが、依拠している文献はバランスのとれたものではない。財務省と文科省の乖離は今に始まったことではないが、高等教育財政の在り方が問題となるときに、楽屋話のように「財務省対文部科学省」の構図が語られるだけでは済まない。高等教育政策の課題をどう設定するのかが、政治の問題として問われている。
 三、政策決定の専門性と透明性
 政策の正当性は、関連する集団の利益の調整プロセスにも依存し、このプロセスを通じて各種集団の利益調整が図られること、その透明性が重要である。かつては、通産行政を典型に、政(国会常任委員会と政党・族議員)・官(省庁)・財の鉄のトライアングルが政策決定に重要な役割を果たしてきた。
 しかし、高等教育においては、政治との相対的距離関係があるためか、政党の求める期待が現にある機能の漸増的拡大になりがちで、たまに発揮される政治的主導は、有益な場合もあれば疑問が付される時もあった。私学振興助成法の成立と経常費補助の開始は、有効に機能した場合であろう。文部省や中教審が大学の質低下を懸念したにもかかわらず、設置認可の緩和によって推進された60年代の高等教育の拡大は、禍根を残した事例であろう(ペンパル『日本の高等教育政策』第六章)。
 また、ある文部大臣経験者は講演で、「小選挙区制によって、議員は選挙区のさまざまな政策分野に通暁し、地元利害を担わざるを得ず、族議員が解体しつつある」と述べた。そうでないとしても、政策の専門的知見なしに,利害関係だけで行われるのが政治ではないし、あってはならない。官僚機構を通じた情報提供による政治決定ではなく、より高度な識見に基づいた政策決定のために,高等教育に関する政党・議員の専門性がどの程度あるのだろうか。ここ数年間、国会審議のテレビ中継で、年金問題や道路行政をめぐって論争を見る機会があるが、同じような情熱と意欲を持って高等教育を語る議員が他数いて欲しいものである。
 四、大学を代表する中間団体の欠落
 日本の大学における大きな問題は、イギリスのUUK(Universities UK)、オーストラリアのUA(Universities Australia)、アメリカのACE(American Council on Education)のような大学全体の利益を擁護する団体が存在しないことであり、高等教育政策に対して長期的かつ広い視野で、大学総体の利益を反映した政策入力が行われないことである。これでは政策にならないし、高等教育政策の形成過程を分かりやすいものにする点では大きな課題である。
 また、国立大学団体内部ですら、法人化の際に顕現化したように、大規模研究大学群と地方大学とで置かれている条件が異なるために、合意形成が難しくなっている。しかし、難しいから取り組まないというのなら、最先端の研究などできないであろう。競争的環境とか市場化といううたい文句の下に、人的・物的資源に恵まれ、社会全体に対して大きな責任を持つ大学は、大学セクター全体として社会に対し役割を担う中核となるべきではないだろうか。
 国立大学法人化の際に、日本を代表する有力国立大学の副学長が、ある会議で、これからは競争の時代だから国立大学同士も協力より競争すると公言したことは、当時の複数の関係者から聞くところである。政策アジェンダを支えるのは大学とはどうあるべきかという理念であり、大学の管理運営に責任を持つ大学人自身がもっとも必要なものである。こうした大学人を育て、理念を共有するのにもっとも大きな役割を果たすのは中間団体であり、設置形態や大学の類型を超えた大学の在り方を提示することが期待される。

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