アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.370
活力を解き放つための改革を OECDの高等教育政策レビュー(下)
【文科省には遠隔操作的な政策手法を求める】
文科省に対しては、大学運営を直接コントロールしたり規制するのではなく、高等教育システムに関するビジョンを示し、財政的な誘引等の政策手段によって間接的に誘導し、その達成指標をモニタリングする、遠隔操作的な政策手法を採るよう提言している。個々の大学運営に関する直接的な権限を手放さないことについて、文科省が挙げる理由が公費で賄われている事実と公共的役割であることを指摘しつつ、「戦略的計画に対する発育不全のアプローチがこの問題の核心にある」と鋭く批判する。
中期目標・計画に関する業績評価と予算配分との関係が十分に明確化されていないとし、そもそも中期目標・計画に込められた意図が不明瞭であると指摘する。これは、大学にとって、何を計画してどの程度達成すればどういう結果(財政的な報酬又はペナルティー)に結び付くのか、分からないことを意味する。「ここには、国立大学にある種のコンプライアンス(従順)の文化を創ってしまう現実的なリスクがある」(36頁)という。コンプライアンスを目的として作成された中期計画では、大学経営陣を大学の使命に関する選択や市場におけるポジショニング等の戦略的選択にいざなうことがないと指摘する。文科省は、目標・計画と評価等に関する基本的事項を明示して透明性を高めるべきであり、政策の方向性を明確化した戦略的計画に専念すべきであるとし、運営計画は大学自身に委ねられるべき旨、勧告している。
【大学には戦略経営の能力開発を求める】
一方、大学に対する注文も手厳しい。いわゆるフンボルト・モデルの極端な形態として、すべての国公立大学及び多くの私立大学が、学部ごとの教授会によってコントロールされているとし、教授会の意思決定権限(特に拒否権)が、その意思決定によってもたらされる財政的・戦略的な帰結に責任を負うことなく行使されていると批判する。「実際、いかなる重要な決定もコンセンサスが得られた後になされるので、チェック・アンド・バランスのシステムは、積極的で前向きというよりも、受動的あるいは否定的ですらある」(32頁)という。
学内の権限を学長に集中した国立大学法人化は、法的・理論的にはこうした状態を変えたはずであるが、よく訓練されたマネジメント・スタッフがいないため、制度的変化に実態がついていっていない状況を描写している。自律的で起業家的な戦略経営の経験を積んだ人材がまだ育っておらず、人材開発の必要性は極めて大きいとする。
しかし、人材開発の必要性は、大学だけではなく、文科省にも同様にあてはまると指摘する。「大学と文科省の双方にスタッフの訓練・開発に投資する差し迫った必要性がある」(37頁)とあるように、戦略的計画の経験とスキルは、大学だけでなく、文科省にも不足しているとする。文科省の政策スタッフは、伝統的な行政管理のためのスキル・セットから、戦略的ビジョンに基づく誘導とモニタリングによる遠隔操作的な政策手法のためのスキル・セットへ、転換を必要としている。ところが、そのような変化が計画されていることをうかがわせる証拠はほとんど見つからなかったという。
【問われる逆コースの正当性:改革の可能性は試されたか】
この報告書の内容や勧告は、教科書的な新自由主義あるいはニュー・パブリック・マネジメント(NPM)の考え方による処方箋のようにも見えるが、一貫しない部分や、疑問点、賛同できない点も多い。もはやこの小論で詳細に論じることはできないが、事項だけ挙げると、例えば、国立大学の授業料の設定自由化(大学間・分野間等のコストとリターンや入学需要の違いを反映可能に)、学生数等の算定式に基づく資金配分から業績に基づく競争的資金への一層のシフト、国公立大学の統廃合(大学のイニシアチブに基づく任意の統廃合で、文科省は都道府県と協力して促進の役割を担うという)等である。
しかし、個々の具体策の問題に目を奪われると、この報告書の真価を見失うことになる。報告書の主要なメッセージは、大学の自律性を高め、戦略経営を可能にする方向での大学改革の強化・実質化の必要性である。対照的に、現実の我が国では、政治・経済における構造改革路線の見直しを背景として、高等教育についても、競争よりも協働・連携、質保証のための規制強化、等々の掛け声の方が優勢になっている。
報告書の含意は、次のような疑問文で表わされよう。グローバル化する知識社会に適応する上で日本の高等教育システムの何が弱点か。これに照らして「逆コース」あるいは「伝統回帰」は本当に望ましいことなのか。高等教育セクター全体として自問自答すべき時が来ている。特に国立大学セクターは、レトリックだけの市場主義的言説に飽き飽きして、機関レベルの自律性・自主性を十分に享受しないまま、その可能性を十分に試さないまま、日本政府の伝統的な行政管理手法への回帰に寄り添おうとしていないか。
【第三の道:透明性を高める改革と教育投資の増大をセットで】
一方、文科省は、前向きに新しい教育研究プロジェクト等に取り組んで頑張っている学部・研究科よりも、何事にも後ろ向きで改革に反対する学部・研究科の方が良い評価結果を得ている、といった国立大学法人評価に関する不満に応え、中期目標・計画及び法人評価並びにその運営費交付金への反映のシステム全体について見直す必要はないか。具体的には、曖昧な評価基準によるピアレビューの短所を極小化すべく、どういう成果が報われるのかを「見える化」することにより、各大学内の活力を高める方向でプラスのインセンティブを与えられるよう、重要事項が全て明示された簡素で透明性の高いシステムに設計し直すことが必要ではないか。また、海外に目を向けると、教育・研究や国際化等においてダイナミックな戦略的行動によって発展を遂げ、世界的に知られる大学は、財務・経営面のみならず教育制度面でも高度の自律性を享受している事実を直視する必要があるのではないか。これは、国公私立大学を通じた課題である。
財政面について、報告書は、改革の継続と引き換えに、国際的に見て低位にある日本の高等教育に対する公財政支出を増大させるとの考え方を示している。「継続的な変革は、高等教育セクターへの公的投資の拡大の必要条件である」(100頁)という。また、教育の機会均等のため、奨学金について、卒業後の所得に応じた返済額の設定を勧告している。
【おわりに】
おわりに、報告書の含意に基づき、若干の私見を申し述べたい。市場主義の米国の大学の活力は、実は、研究費や奨学金等を含む政府からの潤沢な公的資金によって支えられている。また、新自由主義改革の総本山とも言うべき英国では、労働党政権下において、保守党政権時代のNPM的なシステム改革の長所は保持され、ときには強化さえされながら、高等教育を含む教育への予算増大が図られてきた。アングロサクソン流の改革に反対する人々に信奉される北欧諸国は、公財政支出により教育機会やセーフティネットを保障する一方で、教育機関の自律性や雇用の流動性等に見られるように、グローバル化対応は日本よりもはるかに進んでいる。構造改革と公財政の役割重視の両立が、世界的な趨勢となっている。ダイナミックな戦略経営により、教育・研究両面で世界の大学と伍していけるよう、大学の自律性及び制度の透明性を更に高める改革と高等教育への国の財政支出の増大がセットで推進されるべきである。