アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.334
東アジアの高等教育市場 グローバル化と「留学生30万人計画」
中央教育審議会の大学分科会が答申案「学士課程教育の構築にむけて」を了承し、総会を待つばかりとなっている。この答申案の中でも触れられているが、日本の高等教育のグローバル化への対応を求める動きは、この審議が始まった2007年4月当時よりも極めて具体化し、変化のスピードが加速している。
第一に、OECDのPISA高等教育版のフィジビリティ・スタディの検討が具体化してきたことである。渡海前文相が本年1月のOECD非公式教育大臣会議で議長国として、このフィジビリティへの参加(まだ本番への実施参加ではない)を表明し、現在どのような内容で、各国がフィジビリティに参加するかが検討されているという。2010年までには結論が出るようだが、内容次第では高等教育の国別ランキング云々という騒ぎになるかも知れない。少なくとも、高等教育の出口段階での質保証への世界的関心が高まることは間違いない。
第二に、「留学生30万人計画」が具体的な政策課題になってきたことである。施策の狙いとしては、「大学等の教育研究の国際競争力を高め、優れた留学生を戦略的に獲得」することだという。しかし、実現するためのハードルは高い。省庁間調整の問題や企業・地域との連携の可能性の問題というよりは、最大の留学生の供給源である東アジアの状況自体が大きなハードルとなりつつあるのである。
筆者は、文部科学省が先導的大学改革推進委託事業として神戸大学に委託した調査研究に協力参加するために、本年2〜5月に韓国と台湾を訪問し、政府関係者、テスト機関(日本でいえば大学入試センター)、個別大学等に聞き取り調査を行った。特に、台湾では筆者の大学院の後輩である曽徳興氏夫妻の尽力で、多くの情報を収集できた。
アジア、特に東アジアの国・地域は、教育熱心であることで知られており、受験戦争という状況では日本と比肩され語られてきた。本稿では、これらの国や地域の入試の状況を紹介し、留学生30万人計画をめぐるアジアの情勢について述べてみたい。
アジアの高等教育についての日本のニュースで最もよく取り上げられるのは韓国の大学修学能力試験(全国統一テスト)の様子ではないだろうか。毎年のようにニュース画面に登場する。追再試という制度がないために、大学入試に一生をかける韓国人受験生の情景は鬼気迫るものがある。その場面の影響か、我々は韓国の受験戦争は以前と同じ状況であるかのような印象を持つが、現状は大きく異なってきている。現在、大学校36万人、専門大学校30万人、計66万人の入学定員に対し、高3は60万人にすぎず、全国的には日本同様定員割れが生じている。
しかしながら、ソウル首都圏でソウル大を頂点とするピラミッド構造に揺るぎはなく、ソウルの大学では定員割れは起こっていない。18歳人口の減少傾向に加え、5年ほど前から、就職もソウル一極集中で、ソウルの大学でないと就職できないと思われるようになり、地方の大学は大苦戦であるという。筆者が訪問した光州周辺の大学では、日本では考えられないほどのキャンパスや施設をもつ名門で、かつては高麗大がライバルであった大規模私大でも、5年間で大幅な受験生数が減少しており、大学修学能力試験の上位6分の1しか合格しなかった難易度が、いまや2分の1でも合格になるという。
それだけではない。韓国では既に全国統一試験(「定時入試」といわれる)以外にも、大学に入れるルートができている。日本の入試をモデルにした入試の多様化が始まり、「随時入試」と呼ばれる、非学力選抜型のAOや推薦に類する入試が導入されている。この入試は、調査書中心で論述、面接等が選考に加わる等の方法で、定時と随時入試の割合は5:5を原則としているが、筆者の訪問した光州周辺の他の大学では七割を非学力型の随時に当てていた。その大学はそれでも定員充当できず、「追加合格」も行っていた。
追加合格は、それぞれの入試で実施できる制度になっているが、同大学では正規受験者だけでは足りず、再募集をして出願と同時に追加合格(試験は無し)させており、それで定員の12〜15%を集めているという状況であった。
広報に力を入れても、改組しても、奨学金を出しても、受験生達はソウルに行ってしまう。こうした嘆きが数多く聞かれた。「選抜大学(受験生が集まり実質的に選抜ができる大学)」と「募集大学(受験生確保に苦しみ、受験生の選抜より募集に汲々としている大学)」の二極化状態が、首都圏―非首都圏という地域性と交錯して進行している。
こうした状況下で、韓国政府はソウル地域では、「入学定員増を認めない」方針を打ち出し、他の地域では入学定員増も定員枠内での改組の届け出により自由化して一線を画した方針を出している。首都圏への一極集中は我が国以上ではあるが、定員割れや大学生の学力低下等は日本と共通する韓国でのこうした対応については、日本でも検討されるべきかもしれない。
韓国で、学生確保の方策のひとつとして考えられているのが、海外からの留学生確保である。主たる対象は中国である。最近、香港の大学が中国からの留学生確保に力を入れているという新聞報道があったが、韓国も留学生確保競争に参加せざるを得ない状況である。
アジアの主要国・地域の合計特殊出生率をみると、韓国1.16、中国1.70、台湾1.18、シンガポール1.24と軒並み低い(2004段階 出典:World Health Report 2006)。日本が同年0.29であることを考えても、東アジアの少子化の深刻さがわかるだろう。
台湾の状況も韓国に近い。総数164を数える高等教育機関の2008年度の合格率は96%に達する。台湾の大学入試は、韓国と近い「聯考」と呼ばれる全国統一入試が1994年まで行われていたが、あまりに受験戦争が加熱するため入試の多元化が図られた。
大学教育を受けるのに必要な能力を備えているかどうかを検査する学科能力検定試験(原語:学科能力測験)を受験することを条件として、最大100受験単位まで受験生が事前登録した志願先に全国規模で合否を決める「選抜入学」と、学科能力検定試験と各募集単位が実施する指定科目試験によって合格者を決める「試験配分入学」を中心として多元化している。しかし、台湾でも少子化に伴う、定員割れと大学生の学力低下が大きな社会問題となっている。
このように台湾でも、馬英九新総統体制になり親中国政策が進められ、中国大陸に留学生募集のための現地事務所をつくり、18歳人口の減少を中国からの留学生で補充しようと準備を進めている。
台湾の場合、韓国や中国に比べ言葉の問題がないので、中国からの留学生獲得という点では、日本の強力な競争相手の出現といえるかもしれない。いずれにせよ、留学生の主な供給源は中国と仮定されていることは共通である。
福田首相がEUの高等教育市場への誘いを断り、アジアのエラスムス構想を表明したことが話題になった。留学生30万人計画にしろ、この新構想にせよ実現することを期待したいが、相手のある話である。国内の調整や思惑を考慮するのも大事だが、多様化と国内での大学間競争が激化するアジア諸国の現状や課題をきちんと分析し、戦略を立てる必要があるのではないだろうか。