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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.315
大学リテラシー試論 大学人 特に職員の基礎知識を考える −1−

  寺ア 昌男(立教学院本部調査役・大学教育学会会長)

 「大学リテラシー」という言葉を発案してから4年ほどになる。立教大学の「SDシンポジウム」で発題したとき、「事務員をやめよう、職員になろう」と論じた。
 「事務員とは、例えば来年度の予算案を作るとき『今年度を踏襲する費目はこれ、来年度増額する費目はあれ』というように『上の方』の意向も聞きながら考えて、正確に準備できる人のことです。でも職員は違います。『この費目は5年間変わっていない。けれども学園の将来計画からいえば、これこれこういう費目を新設して将来計画の実現をサポートすべきです』と提案できる人です」と述べた。その「職員」になるのに必要なのが「大学リテラシー」だと思う、と論じたのだった。区分論には異論があるかもしれない。また「私は職員以上の専門職をめざしている」という人もいるだろう。だがここでは、「効率的な日常業務処理だけに専念するのでなく、大学の全体を視野に入れ、将来の方向についても積極的に提案できる人」ということにしておこう。この連載では、こうした現職職員の方々を頭に置いて記すことにする。
 その後、大学職員論は深化し、関連文献も大幅に増えた。論者の中には「大学リテラシー」という言葉を使われる方も出てきた。また大学に関する知識や見識の担い手を職員だけに限らず、教員も含めた「大学人」としてとらえ、認識を共有し「協働」することが大切だと説く議論も見られるようになった。それにしても「大学リテラシー」とはいったい何か。言い出した手前、少なくとも分節しておく義務がある。体験や見聞をもとに、
 @大学という組織・制度への知識と認識
 A自校への認識とアイデンティティの確認と共有
 B大学・高等教育政策への認識と洞察
の3つに分け、まず@について考えてみよう。
 職員の方たちは、大学そのものについての知識を得たいと強く望んでおられる。これを知ったのは、2000年度に桜美林大学大学院の大学アドミニストレーション専攻修士課程のカリキュラムを同僚とともに立案し、翌01年以降、今は通信生も加わった在校生とつき合いを重ねてからである。科目を企画した際、次のように考えていた。
 ―なるべく職務の実際に即した科目を用意する必要がある。「学生募集戦略」というのはどうだろう。「大学財政論」も必要だ。「キャリア・エデュケーション」「学生カウンセリング」なども大切ではないか―
 要するに、実務のための「ドリル」を中心に置いた学習領域が基本的に大事だと考えてカリキュラムを組んだ。「大学論」「大学教育史」「比較大学制度論」といった「アカデミック」な科目は、むしろ付け足しのような意識で考えていたように思う。
 ところがいざ開講してみると、受講生の興味・関心は、必ずしも実際的で職務即応的な科目だけに向いているのではなかった。受講生たちは、実務離れした一見アカデミックな分野の科目にも、実務即応の科目にも、ほとんど同等の興味・関心を持っておられることが分かってきた。「高等教育制度比較研究」や「現代社会と大学問題」といった科目の評判は高かった。
 さらにつき合いを深めるにつれ、職員の方たちが深く求めているのは何かが分かってきた。「大学とはいったい何か」「他の組織とはどこが違い、何が特質なのか」という問題である。一つの社会的組織である大学は、同じ社会的組織である会社、官庁、その他の組織とどこが共通し、どこが違うか。その違いはいつからなぜ始まったか。それに対する考え方(=大学論)にはどのような系譜や類型があるか。こうしたテーマを、歴史的背景とともに知りたい、理解してみたい、と思っておられる。
 筆者が担当したのは「大学教育史・高等教育史」という「虚学」といわれそうな科目だったが、やはり関心は高かった。大正期の大学教育改革を講義したとする。「当時最も求められていたのは、大学を『自学自習』の機関にするという改革だった」というと「昔の人も同じ悩みを持っていたのですねえ」という反応が即座に返ってくる。また「科目選択制度を実現するために単位制度が導入された」という経過を詳しく話すと「単位制度は戦後に入ってきたのではないのですか」という驚く人も多い。100年近くも前の大学史上の出来事であっても、今自分が当面している、あるいは職場の周辺で起きている問題やトピックと重ね合わせて聞き、ピンと感じ取り、疑問や関心をそそられるらしいのである。筆者は「縁遠い昔のことでも正確に教えればついてきてくれる」と自信を持つことができた。
 ちなみに筆者の大学教育史は「大学改革の歴史」を中心とするものだった。幕末維新期から帝国大学成立期をはさんで大正期、そして戦後改革期、現代、と言うように続く構成を取った。このようなテーマで通史を通すことは、専門家がいないとむずかしいかもしれない。しかし多くの大学には教職課程があり、教育学や教育史の教員がおられる。そのような方たちなら、担当して授業してくださるかも知れない。
 「大学とはいかなる組織か」という領域に迫るには3つのアプローチがある。1つは社会学的な組織論のアプローチ、2つは歴史学的なアプローチ、第3に両者をつなぐのが哲学的アプローチである。「大学研究」には、これらを精密に活用して行かねばならないし、その先端的な成果が大学院で教授されねばならない。ともすれば従来型のアカデミックな大学院にだけ当てはまりそうな領域だが、「現職の人たちだから」といって、これらのアプローチの成果を教授することをためらってはならない。むしろ本質的に関心をもっている分野なのだ、ということが分かった。
 さらに、現職の人たちに意外な関心をもって迎えられたのは、大学の内部で機能しているさまざまなシステムの特徴とそれらの成り立ちである。
 例えば、@単位制度や科目選択制度のような教育システムの導入の経過と問題、A学位制度や大学院制度、学部制度や講座制のような、教学面を決める諸制度の特質と歴史、B理事会・教授会・評議員会・学校法人等の大学運営機関とそれら相互の権限関係、ならびにその変遷、C教員・学生・職員・校友といった人的組織の成り立ちおよび相互の関係とその法的根拠、D大学を取り巻く法制度、すなわち学校教育法、私立学校法、大学設置基準や大学院設置基準、学位規則などの法令の成立と展開、といったテーマもある。実はこれらの法令自体を読んでいる人さえ多くないこと、それらの成立過程を知っている人もほとんどいないことが分かった。
 考えてみれば、そうしたシステムや法制度は、職員の連日の職務実践に深い関係を及ぼす。学内で交わされる会話の中にもたびたび登場する術語である。ところがその意味は曖昧だし、理事会や評議会が身勝手に使っても文句を言えないことが多い。「職務のベースとしてぜひ知っておきたいと思っていた」という感想にたびたび出会った。
 こうした一連の認識を形成し、その基礎として必要な知識を身につけておくこと。これを「大学リテラシー」の第1項とすることを、まず提案したい。
(つづく)

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