アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.296
大学評価の主役は誰か 注目される"メタ"評価機関
すべての大学・短大・高専が評価を受けることが義務づけられた認証評価が始まって4年目を迎える。あちらこちらで「評価疲れ」が嘆かれ、「何のための評価か」、「大学の改革に役立つ評価とは」といった内容の研究会も数多く開かれている。
認証評価に対するさまざまな意見が出る背景には、この認証評価制度が一貫した方針の下に導入されたとはいえない事情がある。
認証評価導入の背景
そもそも大学の自己点検・評価の結果を大学以外の者が評価するという考え方が公的文書に記されたのは、約20年前の臨時教育審議会の第2次答申(1986年4月)である。この答申を契機に大学設置基準が大綱化され、自己点検・評価が「努力義務」として大学に課されたことはよく知られている。すなわち「大学がその社会的使命や責任を自覚し、大学の根本理念に照らして絶えず自己の教育、研究および社会的寄与について検証し、評価を明らかにする」ことが大学に要請されたのである。
ただし、この答申は、単に自己点検・評価のみを示唆したのではない。同じ第2次答申では、「個別の大学の自己評価にとどまらず、大学団体がそのメンバー大学を相互に評価し、アクレディテーションを実施し、大学団体としての自治を活性化することも重要である」(下線筆者、以下同じ)として、すでに自己点検・評価の次の段階として大学団体がそのメンバー大学の評価を行い大学団体としての自治を活性化することを求めていたのである。
さらに、同答申が高等教育のあり方を審議するための機関として創設を提案した「ユニバーシティ・カウンシル」は「設置基準、アクレディテーション等の専門的審議に際しては大学基準協会との組織的な連携を図る」ことと、さらに具体的な方向性も示している。
この方針は、大学審議会答申「大学教育の改善について」(1991年2月)にも継承され、アメリカのアクレディテーション・システムのように大学基準協会が積極的な役割を果たして各大学が実施した自己点検・評価の検証を行い、客観性を担保する方式を望ましいものとしている。
ところが、同じ大学審議会の1997年1月の答申「平成12年度以降の高等教育の将来構想について」では「現行計画においては、関係者による相互評価システムの確立が提言されているが、日本では、アメリカ型の評価システムは機能しにくく、我が国独自の相互評価システムを考える必要があるのではないか」と、その論調が一変する。
続く、同審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」(1998年10月)では、「多元的な評価システムの確立」という項目の中で「第三者評価システム」を強調している。つまり、大学における教育研究活動について大学基準協会等には、当時の大学設置基準に規定された学外者による検証機関としての役割が期待され、その意味では多様な評価者があってよいが、「大学が社会的存在としてその活動状況等を社会に対して一層明らかにしていくためには、透明性の高い第三者評価を行うとともに、大学評価情報の収集提供、評価の有効性等の調査研究を推進するための第三者機関を設置する必要がある」とし、その第三者機関は、「大学共同利用機関と同様の位置付」であるべきとしている。つまり、ここで言う「多元的」とは、これまで言われていた@大学の自己点検・評価、A大学団体等による自律的な評価に加えて、新たに全国共同利用機関の性格をもつ機関による評価を実施することを指している。この「多元的評価」を打ち出すまでには、大学審議会のなかでも私立大学まで対象にすることへの難色が示され、当面、国立大学を対象とすることとなったと伝え聞く。この答申の1年余り後、学位授与機構が、大学評価・学位授与機構に改組され、2000年度から3年間テーマ別評価と分野別評価が国立大学に対して試行的に実施されたことは記憶に新しい。
大学審議会の1991年答申から6年間の間にこれだけ大きい方向転換が行われたのは、大学団体や大学に任せておいては、一向に評価が進まないという焦燥感が文部科学省にあったものと思われる。大学評価・学位授与機構が公私立大学まで含めて一手に評価を行うことが予定されていたことは想像に難くない。
ところが、折しも小泉内閣の規制緩和路線の真っ只中にあって、内閣府に置かれた総合規制改革会議と経済財政諮問会議が相次いで「規制改革の推進に関する第1次答申」(2001年12月)、「構造改革と経済財政の中期展望」(2002年1月)を公表し、大学設置認可における大幅な規制緩和とアクレディテーションによる事後チェックという新たな方向性が打ち出され、再び方向転換して、現在の認証評価制度に直結する中教審答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」(2002年8月)が出されたのである。そこでは「様々な第三者評価機関が活動を展開している現状を踏まえ,国の関与は謙抑的としつつこれらの機関を可能な限り活用し得る」システムが新たな評価システムとして描かれている。
大学の意思
はいささか経緯の紹介が長くなったが、ここで留意しなければならないのは、20年の歳月をかけて二転三転した認証評価システムが導入されるまでの間、大学や大学団体は、どのような評価が望ましいのか声を大にして意見を言ってきたのか、という点である。決して等閑視していたわけではないが、事の成り行きをじっと固唾を呑んで見守っているという受身的な姿勢でいたのではないだろうか。
フレームワークがこれほど変わってきたこともあって、制度が動き出してからの大学の認証評価に対する思いはさまざまである。認証評価になんとか無難に通ることを願っている大学もあれば、わが大学がいかに高いレベルにあるかを内外に示すためには、現在の評価では物足りないと考える大学もある。最低限のチェックだけすれば、あとは要らぬお世話だと考えている大学もあるかもしれない。
メタ評価機関について
最近、認証評価機関自体の評価を行う機関(メタ評価機関)の必要性について言及されるようになってきた。確かに、評価機関の評価が公正で適切な水準で行われているかをチェックすることは大切なことだろう。
メタ評価のシステムを持っている代表的な国はアメリカである。日本でメタ評価機関を考える際に、例として取り挙げられるのもアメリカのメタ評価機関、すなわち高等教育アクレディテーション審議会(Council for Higher Education Accreditation(CHEA))である。
しかし、ここで注意が必要なのは、メタ評価機関がどのような性格のものとして作られるかである。
アメリカには、機関別・分野別あわせて60以上の評価機関がある。これらの評価機関の承認を行っているのがCHEAである。最近、CHEAの存在について、日本でも紹介されることが多くなってきたが、その運営がどのように行われているかは、ほとんど知られていない。注目すべきは、CHEAが評価機関から認定された大学の会費で運営されていることである。これら3000余りの大学のほとんどが誰からも強制されず、自主的にCHEAの会員になるのである。CHEAは、会員大学にのみ閉じられた具体的なサービスは行っていないので、個々の大学は会員にならずとも支障は無い。大学がこれほど評価システムに積極的に関わる姿勢を見せる理由については今後、是非インタビュー調査をしてみたいと思うが、一つだけ確実にいえることは、黙っていたら、何が行われるかわからない、という危機感ではないだろうか。