アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.289
深刻化する退学者問題 エンロールメント・マネジメントの必要性−下−
前号では、私立大学における退学者の実態と、大学側の問題意識について検証した。今回は、米国の大学が取り組んでいる退学者対策の柱となっているエンロールメント・マネジメントに焦点を当て、わが国の大学が学ぶべき点について探ってみる。
【平均卒業率60%】
退学という点に関していえば、米国の大学の方がはるかに深刻である。USニュース社が毎年発行している「アメリカズ・ベスト・カレッジ」の大学ランキングは、教育の質に関する15の指標を使って、ランク付けをしている。
その中で、新入生の進級率と6年間での卒業率の配点は合わせて20%。卒業率の予測と実績の比較評価による加算ポイント(5%)を加えると、評価全体の4分の1を占めている。
2007年版によると、「ナショナル・ユニバーシティ」部門、248校(州立162校、私立86校)のトップはプリンストン大学、以下ハーバード、イェール、カルテック、MIT、スタンフォードと著名な私立大学が顔を並べている。ランクされている大学の卒業率を見ると、上位50大学でも90%を超えているのは、半分以下の23大学。ランクが下がるにしたがって卒業率は低下し、全体の平均でいえば60%程度。特に、地方の州立大学ほど低く、テキサス・サザン大学はわずか15%の卒業率である。
米国では、浪人して志望校を目指すという考え方がない。このため、大学進学希望者はSATやACTといった統一テストを受けた上、高校を卒業すると、とりあえず入れる大学に入学する。
米国は、わが国よりはるかに学歴社会である。卒業した大学のランクや修士・博士の学位によって給与が大きく異なる。つまり、いい大学を出れば、それだけいい待遇が得られることにつながる。
したがって、大学に入学してから、少しでも上位の大学を目指して勉強し、転校していくことが常識となっている。もちろん、中には何年もかけて大学で勉強するケースや学力不振で退学勧告を受けることもあるが、卒業率の低い大学は、総じて転校による退学者が多いことを示している。
【高い学費依存率】
米国の大学は、寄付金などによって積み上げた基金を持ち、豊かな経営をしているというイメージがあるが、そのような大学は全体の1割程度。多くは、収入の大部分を学納金が占めており、財政構造はわが国の私立大学と大きく変わらない。この傾向は、地方の小規模大学ほど顕著である。
米国の私立大学(2441校)のうち、約60%に当たる1448校は、学生数が1000人以下の小規模大学である。学生数879人のアグネス・スコット・カレッジ(アトランタ)のように潤沢な基金(約3億ドル)を持っているところもあるが、基金から組み入れる額は少なく、学費収入が80%を超すところが多い。つまり、入学者が確保できなければ、また退学者が多ければ、たちどころに財政状況が悪化するわけである。
この30年間に、米国では平均して年18校が閉鎖・廃校になっている。原因は、学生数の減少による経営破綻が圧倒的に多いが、大学関係者に言わせれば、最大の原因は「マネジメントの失敗」という。
このような状況を打破するための戦略として、多くの大学で取り組んでいるのがエンロールメント・マネジメントである。このシステムは、一人の学生が当該大学に興味を持った瞬間からスタートする。「いかにして入学してもらうか」、「入学したら、どのようにして満足度を高め、退学しないようにするか」、「どうしたら卒業後も愛校心を持続させ、ドナーになってもらえるか」といったように、一人の学生の一生涯をマネジメントすることである。
【データの分析がカギ】
エンロールメント・マネジメントのシステムを確立したのは、1970年代にボストン・カレッジの入試部長をしていたジョン・マグワイア博士である。
当時、米国は18歳人口が増加しており、大学は学生募集に困らない環境にあった。ところが、1863年創立という伝統を持ちながら、ボストン・カレッジは入学者の減少に加えて、退学者の増加、社会的評価の下落、それに伴って寄付金が集まらなくなり、経営危機に陥っていた。
理論物理学の教員から、入試の責任者に転進した博士は「危機打開の回答はデータの中にある」という理系の研究者らしい発想の基に、徹底したリサーチを行った。その結果を数理解析や多変量解析の手法を使って分析、導き出された数値を追うことで問題点を明らかにしていった。
その上で、最も効果的な広報ツールや募集活動の見直し、奨学金やカウンセリングなど入学後の学生サポートの充実、学生の知的好奇心を刺激する新たな教授法の開発、それを支援するスタッフや設備の導入など学生の満足度を向上させるための方策を提案した。さらに、就職指導方法の見直しや同窓会組織の活用等を含めた総合的な戦略を構築した。
この戦略を実行していくために最も重視したことは「あらゆる対策は、全てリンクしている。個別の部署がバラバラに取り組むのでなく、大学全体が統一した理念の下に展開しなければ、成功はおぼつかない。その意味では、理事会や学長といったトップマネジメント・グループの役割と責任は大きい」という。
また、「戦略の基本に、高等教育の本質を据えることが欠かせない。では、本質とは何か。それは、ジェネラル・エデュケーション(一般教育)だ。これは、学生たちが未来を切り開き、社会に貢献し、人生を豊かにするためのツールだからだ。教育の質に妥協せず、本質を見失わないこと。安易に単位を与えることは、本質を放棄することで、学生満足度の向上とは関係ない」と強調した。
【リテンション】
博士は、一連の戦略を6つのカテゴリーに分けている。それは@募集対策、A調査・分析対策、B学内の対応策、C奨学金対策、D転校・退学防止対策、E組織対策である。この中から、わが国の大学にとって参考になることを挙げるとすれば、「調査・分析部門の設置」と「転校・退学防止策」であろう。調査・分析部門については、現在米国の大学の多くが、インスティテューショナル・リサーチ(IR=調査統計部署)を設けて、学内情報の一元化と戦略策定に取り組んでいる。わが国の大学もデータの重要性に気づくべきではないか。改めて、収集しなくても基本調査や学校法人基礎調査等のデータを整理、分析することから第一歩を踏み出すことが可能だ。退学防止策についても、個別の退学理由を多面的に分析しなければ、有効な対策は生まれない。もちろんデータ分析の専門家の養成も欠かせない。
転校・退学防止策は、わが国の大学にとって緊急の課題といえる。マグワイア博士は「エンロールメント・マネジメントを大学経営の観点から、一つの言葉で表すとしたら、それはリテンション(在学継続)である」というように、退学防止は経営上の最重要課題に位置づけることが必要だろう。その上で、まず退学者半減を目指してエンロールメント・マネジメントの手法を導入し、全学的な体制で取り組む決意が求められている。
マグワイア博士は、導入に当たっての留意点として次のように語っている。
「エンロールメント・マネジメントは生き物である。したがって、時代や社会環境の変化、政策の変更、学生の意識の変化等に伴って、エンロールメント・マネジメントも日々変化するものであるという認識を持たなければならない。いずれにしても、学生たちを大事な顧客と考えることが、成功の秘訣といえる」
(おわり)