アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.282
「無理をする家計」と学生支援 経済的支援の一層の充実を
平成17〜18年度文部科学省先導的大学改革推進委託事業「諸外国における奨学制度に関する調査研究及び奨学金の社会的効果に関する調査研究」のメンバーとして、このプロジェクトに参加させていただいた。
その調査研究の概要の一部については既に、研究代表者である小林雅之によって、平成19年2月21日付の本欄でも報告がなされているので繰り返さない。ただし、そこで小林も指摘しているように、日本においては、家庭つまり親の教育費負担が他の国に比べてきわめて高いことだけは強調しておきたい。
それでは、大学で学ぶためには、現在どのくらいの経費がかかっているのだろうか。日本学生支援機構(『大学と学生』第31号、第一法規)による2004年度『学生生活調査報告』の四年制大学昼間部学生のデータをもとにすれば、大学生活を送るためには、平均して年間194万円の経費がかかっているとされる。もちろん、これは、大学に払う「授業料」・「その他学校納付金」など、狭義の学費だけに限った経費ではない。大学生活を送るに当たっては、そのほか、勉学を継続するために必要な「修学費」に加え、「食費」や「住居・光熱費」などの生活必要経費なども確保しなければならない。さらに、「通学費」や「課外活動費」に加え、それなりの文化的学生生活を送るためには、ある程度の「娯楽し好費」も必要になってくる。
194万円という平均値は、それらすべての総計である。以上に記したような学生生活を送るために、つまり大学教育を受けるために必要な直接経費を、ここでは大学教育費と呼ぶことにする。なお、これら直接経費の他に、大学進学者は、機会費用・放棄所得と呼ばれる間接費用も負担することになるが、ここではその費用は除いて考えることにする。
問題は、この費用を誰が負担しているかである。先の支出総額に対応する収入総額は、220万円となり、そのうち65.9%(145万円)が「家庭からの給付」となっている。その他、アルバイトが15.7%(34万円)、奨学金が14.09%(31万円)となる。
こうしてみると、大学教育費の一部はアルバイトといった学生の自助努力、および奨学金といった公的援助によって賄われていることは、明らかであるものの、家庭(正確にいえばほとんどの場合は親)による負担が、大きな比率を占めていることは明白である。のみならず、家庭(家計)にとってみても、その負担額は、相当の規模になっている。
このように日本においては、子どもの大学教育費を家庭の手によって負担することが、一般的傾向であるとすれば、ここで問題になるのは、低所得者層の大学進学である。同じ額の大学進学費用を負担するとしても、家計総所得という総枠が小さいがゆえに、必然的にその負担の程度が大きくなるからである。
家計にとって、大学教育費への援助(「家庭からの給付」)が、かなり負担になるようであれば、子弟の大学進学を断念せざるをえないことになる。逆に、そのような状況にもかかわらず、どうしても子弟の大学進学という念願を実現したいと考える家庭があれば、家計がかなり苦しい状態に陥ることを覚悟しながら、つまり家計的には相当無理をしながら、大学教育費への援助を行わざるをえないのである。後者のような家庭を、小林雅之は「無理をする家計」と名付け、そういった家庭が無視できない程度存在することを、1996年度『学生生活調査』データを用いて明らかにした(小林雅之「教育費の家計負担は限界か―無理をする家計と大学進学」、『季刊 家計経済研究』第67号、家計経済研究所、2005年7月)。
けれども小林が、「無理をする家計」の存在を明らかにするために用いている変数は、基本的には家計負担度(家庭からの給付÷家計総所得)といった指標である。しかし、このような比率にもとづく指標からは、同じ負担率をもつ家庭であっても、大学教育費を除いた残りの所得で、なんとか家計的にやりくりができると一般的にみなせる水準に留まっているのか、それとも、そのラインを下回る生活水準での暮らしを余儀なくされているのかは、正確には判断できない。それゆえ、後者が真の意味での「無理をする家計」だとすれば、その規模がどの程度に達するのかといった数字も、正確には把握できない。そこで、大学教育費を支出した後に残る家計所得(=「家計総所得」−「家庭からの給付」)といった、差をもとにした指標を使い、「無理をする家計」についての再解析を、2004年度『学生生活調査』の個票データを用い、行うことにした。
ここで問題になるのは、大学教育費を支出した後に残る家計所得が、いくら以下の家計を、「無理をする家計」と定義するかである。今回は、学生本人を除く家族が、夫婦2人で構成されると仮定した場合の、生活保護水準や相対的貧困ラインなどを参考にし、年収250万円を一応の基準線とし、それ以下の家計を、「無理をする家計」と定義することにした。そしてまず、このような家計は、全学生の約一割、存在することが分かった。
次に、データをみる限り、「無理をする家計」出身の学生は、遊びにかける経費(「娯楽し好費」)を含めて、「無理をしていない家計」出身の学生と比較して、経済的に遜色ない同水準の学生生活を送っている。そして、それに必要な学生生活費を捻出するために、「無理をする家計」出身の学生は、「無理をしていない家計」出身の学生以上に、アルバイトに励んでいるわけではない。その多くは奨学金援助を受けてはいるものの、学生生活費収入の大部分は、「家庭からの給付」に依存している。この結果、「無理をする家計」の大学教育費負担は、「無理をしていない家計」と比べて、平均で年間20万円程度しか下回っていない。
娯楽・レジャーは、経済的に苦しい学生を含めて、今やほとんどすべての学生にとって、「健康で文化的な最低限度の大学生活」を送る上での必需品・標準装備とみなされるようになっていることは、以前に指摘したとおりである(武内清編『キャンパスライフの今』参照)。自分の子どもが、人並みに「健康で文化的な最低限度の大学生活」を送り、疎外感を感じたり、肩身の狭い思いをしないで済むよう、「無理をする家計」は、かなりの額に達する「家庭からの給付」を、まさしく「無理をしてまで」つづけているともみなせる。
冒頭で紹介した小林プロジェクトの一環として、平成18年12月6〜7日に行われた国際カンファレンス「高等教育の費用負担と学生支援の国際的動向」のなかでも、議論にのぼったことであるが、将来的に年金が先細りする可能性がきわめて高い状況のもとで、いずれ親は自分の老後資金の確保を優先せざるをえなくなり、必然的に子どもに対する教育費負担を縮小する方向に追い込まれるのではないか、という予測もあった。
つまり、今回目安として用いた年収250万円という水準は、現時点でも最低基準であるにもかかわらず、今後はそれをさらに高めに設定し直す必要さえでてくることになる。そのため「無理をする家計」の比率は、今以上に大きくなることが考えられるのである。
こうしてみると、だれもが「健康で文化的な最低限度の大学生活」を送ることができるという意味での、高等教育進学機会の開放を推進するためにも、奨学金を含めた経済的学生支援のより一層の充実が望まれ、それが今後の大きな課題になっていることだけは、確かだと思われる。
なお最後に、小林プロジェクトについては、近々、その報告書が出ることを宣伝しておきたい。