アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.275
大手前大学のカリキュラム改革 ユニット自由選択制の導入
いま日本の大学が直面している問題は、ざっと2点にしぼられる。1つは学生のモラルと学力の低下や、理科系離れなど、教育の質にかかわるもの。もう一つは受験生全入、国際競争力の低下、ガバナビリティー不足など、大学の経営力にかかわるものである。だが実は、この2点もよく見れば、つまるところは同じ問題の両面にすぎないのではなかろうか。なぜなら、教育の質を上げるには経営面の積極的な支持・協力が欠かせないし、また、経営力が向上すれば、自ずと教育の質も改善されていくからである。
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60年の伝統を持つ大手前学園は、西宮キャンパスに人文科学部、伊丹キャンパスに社会文化学部と短期大学、そして大阪キャンパスに栄養と製菓の専門学校を有している。設立以来、長く女子教育に専念していたが、2000年の社会文化学部設置を機に、従来の文学部を人文科学部と名称変更し、両学部の共学化に踏み切った。この決断が功を奏して、減少しかけていた入学応募者数が一挙に前年比5倍になり、この勢いは当分続くものと予想された。ところが、その後の応募者数は年とともに下降の一途をたどり、2005年には、女子大の時の一学部時代の末期と同程度にまで落ち込んだ。偏差値の低下傾向だけは食い止めたものの、共学化・学部増という大改革の効き目は、わずか5年しかもたなかったのである。
18歳人口の減少傾向のあおりを受けて、全国的な大学の定員未充足の傾向は今なお止まるところを知らない。本学の理事会などでも、受験生を確保するための効果的な戦略がさかんに議論されるようになった。まわりの大学の動きを見ると、薬学部、看護学部、さらにはリハビリテーション学部など、資格に直結した学部の増設が目立っている。
それに対して、本学では新たな学部の設置や定員増よりも、まずカリキュラム全体を根本的に見直そうという方向に議論が進んでいった。企業のQC活動で有名なデミングは「組織に問題があるとすれば、80%がシステムの問題で、残りの20%は人の問題だ」という。この考え方を大学に当てはめてみると、「大学に問題があるとすれば、80%がシステム(カリキュラムと運営)の問題で、残りの20%は教員の問題だ」ということになる。
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大学進学率が50%を超え、さらには全入時代といわれる状況のなか、ますます多様化した学生が大学に入ってくる。「多様化」といえば聞こえはいいが、端的にいえば学力の低下である。なぜ学力が落ちるのか。私見によれば、成績の振るわない学生には2つのタイプがある。1つは、能力があるのにこれまで勉強してこなかった者。もう1つは、自分の能力そのものに見切りをつけて、はじめから諦めている者である。
これら2つのタイプのうち、もともと潜在能力がありながら、何かの原因で勉強から遠ざかってきた学生については、まず徹底した導入教育を通じて自覚を促し、勉学の習慣を一から植え付けることによって、何とか対処していくことができるだろう。だが、もっと深刻なのは、もともと努力をする意志も気力もない、すべてを諦めきった学生である。こうした学生に少しでも自信を植え付け、あらためてやる気を起こさせること、それが今後の大学に託される重大な使命になるだろう。
何とかして、このような学生に「学び」への強力な動機づけを与え、自発的・積極的に勉学に取り組むきっかけを提供したい。そのためには、いったいどうすればいいのか、われわれはこの難題を正面に見据えて何度も議論を重ねてきた。
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1年半近く検討を重ねてきた結果、われわれが到達した結論は次のとおりである。
現有の学部学科を再編して、総合的なリベラルアーツの学部とする。学部名は、人文科学部を総合文化学部、社会文化学部を現代社会学部と改め、メディア・芸術学科を学部に昇格させる。さらに従来の2学部5学科を廃止して、各学部を、それぞれの学部と同名の1学科構成とし、学部間の垣根を取り払う。
初年次生には、主として2種類の科目を履修させる。1つは、学生が自分の過去を振り返り、現在の能力と将来への志望をたしかめ、その実現に向けて、少人数の仲間たちとともに、基礎的な生活力・人間力を身につけるための「ベーシック科目」(共通)。そして、もう1つは、大学ではどのような学問が学べるのか、これから自分は何を学びたいのか、それを実地に試し、あれこれ試行錯誤するための「トライアル(お試し入門)科目」。学生は、そうした基本的な手続きを踏んでから、その先の専攻科目(メジャー)を自由に選ぶことになる。いわゆる「レートスペシャリゼーション」方式である。
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学部は本来、教員の組織であり、必ずしも学問の体系とは一致しない。今後、いよいよ高度化、細分化、横断化されていく学問体系は、従来の学部学科縦割り制には馴染まない。国際基督教大学の絹川正吉元学長は「これからのリベラルアーツ教育では、複数の学科を大くくりにし、できるだけ大幅な選択構造をそこに導入して、学部の自由化を図ることが肝要だ」と述べておられる。われわれは、この考えに大いに共鳴するものである。
この理想を実現するため、本学では568ある科目を、いったんばらばらに解体して、そのすべてに100番から400番までの「レベルナンバー」を割り振った。100から400までの数字は、ほぼ従来の1年次配当科目から4年次配当科目のレベルに相当するが、必ずしも学年には、こだわらないところが眼目である。さらに、建築、心理、メディア、福祉などの専攻を10系統に分類し、それぞれの系の中に、たがいに密接な関連をもつ4〜5科目を一くくりにまとめる「ユニット」を配置した。こうして3学部にまたがる10の系、99のユニットが誕生した。学生は自分の興味や能力、取りたい資格、卒業の進路などに合わせて、系とユニットを自分で選び、自分で組み立てていくことになる(“大手前は自分学科”)。
例えば、メディア・芸術学部に入学した学生が、マンガやイラストレーションの基礎を学びながら、インテリアや福祉を学習することができる。また、1〜2年次で「現代社会・ビジネス系」をメジャーに選んだあと、3〜4年次で「国際交流系」に移ることもできる。
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もちろん、こうして学生に科目・専攻の自由選択を保証するからには、その裏打ちとして、教員による、こまやかで手厚い履修指導・学習支援の体制を構築することが不可欠となる。これも言うは易く行うに難い課題だが、あれこれとその答えを探っているうち、この問題の解決には「メンタリング」という技法がきわめて効果的であることを聞き知った。
アメリカ・ミシガン州のハンティントン・ウッズという公立小学校は、かつて不登校や構内暴力などが多発する問題校だったが、ウィリアム・グラッサーの提唱する「選択理論」というメンタリング法を取り入れることによって、学内の空気が一変し、おまけに成績も飛躍的に向上したらしい。グラッサーによれば、人間には、愛・力・自由・楽しみ・生存という5つの基本的な欲求があり、これらの欲求が満たされて、はじめて内発的モチベーションが高まり、進んで学び出すようになるのだという。
そこで、本学の「フレッシュマンセミナー」を担当する教員を中心に、メンタリング理論による教育技法の研修を行った。14時間にわたる講義・討論の後、教員が4チームに分かれて成果を発表した。「小手先の知識を教えるのではなく、教員が人生の先輩として、自分のライフストーリーを語ってはどうか」「初めから結論ありきの授業はやめるべきだ」など、熱心なやりとりが交わされ、今後、この成果を教育現場に生かしたいという意見が多数を占めた。
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このほど、4月から入学してくる合格内定者のアンケート調査の報告が出た。それによると、内定者の8割が本学に選ばれて満足だと答え、「自分の学びたいものが自由に学べる」という点を理由に挙げている。じっくり時間をかけて練り上げてきた「3学部クロスオーバー、ユニット自由選択制」という新しい試みが、新入生に思いのほか高く評価されたことに、ほっと胸をなでおろすとともに、大手前での彼らの成長を今から心待ちにしている。