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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.217
設置認可と第三者評価との関係―公的システムと私的システム―

帝京科学大学顧問 瀧澤 博三

 今年1月に出された中教審の答申「我が国の高等教育の将来像」では、早急に取り組むべき12の重点施策の一つとして、「事前・事後の評価の適切な役割分担と協調」の観点から設置認可や認証評価等の審査の内容や視点の明確化を図る必要があるとしている。これまでは認可制度の基本的な性格・役割を明確に描かないままに、規制改革の視点だけが優先してその簡素化、準則化が進められているような危惧を抱いていた。第三者評価制度についてもその役割の本質が十分議論されないままに揺れ動いてきた感がある。質の保証制度は国際的にも大きな課題とされている折から、早急にこれらの本質的な審議が始められることを期待したい。ここでは、これからの審議に期待して、設置認可と第三者評価の関係について懸念される2〜3の問題点を挙げてみたい。
 1、質保証システムの「プライバタイゼーション」
 《質保証の私的システムの展開》
 わが国の質の保証システムとしては、戦後アメリカ型のアクレディテーションを導入しようとしたが定着せず、結局法令としての大学設置基準と設置認可制度等による行政主体の公的なシステムが中核的な役割を果たしてきた。これに対して再びアクレディテーションを志向する自主的な大学評価が制度として取り入れられたのは、平成3年に大学設置基準の大綱化と併せて自己点検・評価が大学の「努力義務」として導入されたのに始まる。このときの大学審議会答申の考え方は、大学教育の改善は基本的にはそれぞれ大学自身の自主的な努力によって実現されるべきものとの認識から「大学設置基準を大綱化するとともに、自らの責任において教育研究の不断の改善を促すための自己点検・評価のシステムを導入する必要がある」としているように、大学設置基準を評価基準とした設置認可等の公的システムは簡素化し、一方で大学自身による自己点検・評価という私的なシステムへと質の保証システムの方向転換を図ったものであった。大学教育の質に関しては数量的な基準には馴染みにくい面が多く、定性的な評価が重要である。このため、客観性、普遍性、自明性を要求される公的システムでは実質的な評価に踏み込めない領域が多い。したがって、設置基準を大綱化する一方で、そのような制約が少なく柔軟性のある私的なシステムに重点を移すという方向は、評価の質を高めるためにも、また特に大学の多様化・個性化に対応するためにも正しい選択であろう。
 この質保証システムの一種の「プライバタイゼーション」はその後もこの方向性を維持して漸進的に進められてきた。公的システムの改革は、設置基準の一層の弾力化、認可制度の簡素化を進めてきたし、一方私的システムとしては、自己点検・評価の義務化、第三者評価の努力義務、更にその義務化というようにその充実が図られてきた。その最終段階が平成14年の中教審答申に基づく「質の保証に係る新たなシステムの構築」であり、設置認可制度は「準則化」と言われるように裁量的な認可事項は最小化されたが、一方で第三者評価機関には国による認証という公的な枠を嵌めることになった。この最終段階に至ってわが国の質保証システムは、私的システム自体に公的関与が強められたことによって、全体が「私から公へ」と逆方向への展開を始めたように見える。
 《認証評価制度への疑問》
 第三者評価機関になぜ国による認証という枠を嵌めたのか。中教審答申では、それは「第三者評価機関が社会に信頼される評価を行いうる枠組みを備えた機関であるかどうかを確認するものであり、第三者評価を社会的、国際的に通用する制度として育てて行く上で必要」だとしている。評価システムの生命ともいうべき社会的信頼性のためには国のお墨付きが欠かせないということは、大学および大学コミュニティーによる自主的な評価システムの存在の否定に繋がりかねない。このような方向転換が行われた背景には、国の行財政改革からの要求、特に大学の「効率化」を求める性急な要求があったように推測される。しかし、自主的な評価システムが有効に機能するような習慣と文化が大学コミュニティーに定着し、社会の信頼を得るようになるには、長い試行錯誤のプロセスが必要なのは当然である。自己点検・評価も10年の経験を経てようやく大学自身も問題点を理解し、信頼性確保への努力も芽生えてきたところではなかったろうか。ここで性急に公的な関与を強めることは自主的なシステムの芽を摘むことになるだろう。今後の「認証」の運用には、評価機関の自主性を損なわないような慎重な配慮を欠かせない。
 2、設置認可と第三者評価との役割分担
 《設置認可後は質保証システムの空白地帯か》
 大学設置基準の維持のためには、まず設置時点における認可のための審査がある。一方、設置後については基準維持を常時チェックするような公的システムは存在しない。これを制度的な欠落や空白とする見方があるが、それは正しくない。戦後確立された私学の自主性の理念から、国の監督権は最小限とし、設置後の基準維持については大学の自主性に委ねられたのであり、そのため大学運営に自主性とともに公益性が維持されるよう学校法人の制度設計が行われたのである。なお、基準の維持を常時監督する仕組みはないが、実際上は定員増、組織改変等の際の認可や届出、助成に関連する報告等で現状をチェックする機会がかなりあることも関係者の意識にあったものと思う。
 この「私学の自主性」の仕組みは最近になって大きく後退した。平成15年の学校教育法改正によって、法令違反の場合に段階的な是正措置を命ずる権限が文部科学大臣に与えられたことである。設置基準違反も当然法令違反としてこの命令の対象になりうるわけで、設置後の公的チェックシステムは強力な手段を備えたことになる。この制度改正には疑問が多いがここでは触れない。いずれにせよ、設置後も質保証システムは空白ではなく、私学の自主性への信託と限定的ながら公的な指導・監督によってカバーされてきたとみるべきである。
 《第三者評価の役割》
 中教審答申のいうように設置認可と第三者評価を「事前・事後の役割分担と協調」の関係として見る場合、懸念されることは、設置後を質保証システムの空白と見て、その穴埋めを第三者評価の役割とすることである。その場合には、第三者評価の評価基準には大学設置基準のウエイトが大きくなり、第三者評価は公的システムの下請けとなって、私的システムのメリットは失われる。
 設置認可と第三者評価を「事前・事後」の関係と見ることは両者の本質ではなく、かえって誤解を生むものではないかと思う。事前・事後と言う発想のもとは、規制改革のキーワードである「事前規制から事後チェックへ」にあると思うが、これは規制緩和によって消費者の保護に欠ける面が増えるのを私法的なルールの強化と司法の整備によって救済しようとする意味であり、言い換えれば行政による規制と保護の社会から自主的なルール社会に変革しようということであろう。単に事前規制の役割を事後のチェックに委ねるというような意味合いはなく、第三者評価の問題に援用するのは筋違いではないだろうか。
 客観性、普遍性の要求に縛られる公的な評価に比べ、第三者評価は大学コミュニティーの信頼関係を基盤として定性的な評価にも踏み込む柔軟性を持ちうる。そのような私的システムの特性を生かし、独自の評価基準によって、大学の個性を生かした多様な発展を支援するような評価をすることがその使命であろう。
 設置認可と第三者評価は、質保証に関する公的システムと私的システムとして、それぞれの特性を生かした相互補完の関係にあるのであり、第三者評価については、まさにその私的性格―大学および大学コミュニティーの自主性―を守ることが大学評価の質を高める所以だと考える。

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