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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.215
ヨーロッパの高等教育“私学化”―第24回公開研究会の議論から

大学評価・学位授与機構助教授 森 利枝

 私学高等教育研究所第24回公開研究会は「世界の『私学化』の動向と高等教育政策(ヨーロッパ編)」というテーマで開催された。研究所ではすでに、アジアの高等教育の私学化について公開研究会を開催しており、今回の研究会はそれに続いて、世界の高等教育の「私学化」について考える研究会の第2弾として位置づけられるものである。講演は、登壇順にイギリスの動向について大阪大学の秦由美子氏、ロシアの動向について聖心女子大学の澤野由起子氏、ドイツを中心としたヨーロッパ各国の動向について桜美林大学の潮木守一氏によりそれぞれなされた。
 3つの講演に共通していたことは、おのおのの講演の中で「私学化」という用語をどのように使うかという、定義づけの問題から語り始められたことである。高等教育の「私学化」が、概念としてはある程度の合意を形成しつつも異なる文脈の中で多様な態様を呈する事態としてあらわれるものであり、いまだ留保なしには用いえない言葉であることを如実にあらわすものとして興味深い符合であった。秦氏はイギリスにおける私学化を主として設置形態と財源の変遷に、澤野氏はロシアにおける私学化を私立大学(非国家立大学)の制度化と国公立大学の授業料導入に、潮木氏はドイツにおける私学化を同様に国立大学への授業料導入と私立大学(非国立大学)の登場にそれぞれ求めている。
 イギリスで1992年に起きた政策変化、すなわち職業訓練科目を重視するポリテクニクが大学へ「昇格」したことが高等教育の私学化の一態様であるか否かは、それまであった大学が私立大学であるか国立大学であるか、あるいは「より私立的な大学」であるか「より国立的な大学」であるかという議論を要するものであり、実際にはそれ自体がprivate−nessとpublic−nessの峻別の困難さを示すものであろう。むしろ、講演の中で示された、2006年以降に見込まれている授業料徴収の自由化という政策変更には、ある種の私学化の一面が顕著に見られると考えられる。
 講演はまた、東京大学大学総合教育研究センターから本年3月に刊行された「大総センターものぐらふNO.3『日英大学のベンチマーキング』」に依拠しながら、シェフィールド大学、オクスフォード大学、東京大学について、これらの大学の規模、ガバナンス、財源の比較を行って、「慈善法人」として位置づけられるイギリスの大学の私学化の軌跡に、オートノミーの向上を見てとるものであった。そしてそれと同時に、研究指向の大学が高額の授業料を徴収して、アメリカのリサーチ・ユニバーシティと比肩しようとする動きに対して、92年以降大学となった旧ポリテクニクが危惧を抱いていることも指摘された。一度、同じ「大学」になった高等教育機関が、「研究大学」と「教育大学」という明確な棲み分けによって再び分かれることになるのであろうか。徴収する学費の上限(3000ポンド)が柔軟化され、引き上げられることが見込まれている2011年以降の動きが注目される。
 ロシアの高等教育の私学化(あるいは非国家化)は、ソビエト連邦の崩壊後、エリツィン大統領の在任期間(1991―99年)に急激に進行した。講演からは、その画期を形成した要素のひとつが1992年に作られたロシア連邦法「教育について」であることがうかがい知れた。
 エリツィン政権下では、1992年に私立大学(非国家立大学)が合法的な教育機関として制度化され、その数は急激に伸びている。2003年度には私立大学は全大学数の37%を占めていることが報告された。ただし、一機関あたりの学生数が少なく、私立大学の学生数は全大学生数の約13%にとどまっている。いっぽう従来型の国公立大学においては、独立採算化の促進、有償での施設の貸与、大学による有償のサービス提供(受験予備講座の提供や通信教育など)、あるいは国公立大学による自キャンパス内への私立大学の設立、有償学生枠の設定など、財政面で国家から独立して収入を得る途を開いている。
 小規模な私立大学が爆発的に増大して拡大する高等教育ニーズを吸収し、またその教育内容も経済、経営系が大多数であり、中にはアメリカの大学や他のヨーロッパ諸国の大学と提携して教育を提供する機関が見られるというロシアの状況には、世紀の変わり目にそれまでの国公立型の高等教育制度から、私立大学もある高等教育制度へと移行した国々に共通して見られる特徴が見て取れる。また講演では、国公立大学の有償学生が急増し、それに伴って国公立大学の経費における公的財源の割合が1995年(80%)から2000年(44%)の間に急落している現状も報告された。
 さらに、プーチン政権になってから導入された大学入学選抜試験である「統一国家試験」の、成績上位9%の学生を除いて、授業料の一部もしくは全部を自己負担する「共同財政システム」も構想されているという。これらの動向が、ロシア憲法に定められている「高等教育を無償で受ける権利」とどのように整合しうるのかが今後注目すべき点であることも指摘された。
 ドイツにおいて、私立大学(国立大学)の数は2002年度の統計で91校であり、これは全大学数の25%を占める。しかしひとつひとつの機関はロシアと同様に(あるいはそれ以上に)小規模で、学生数に関する公式な統計はないものの、おそらく私立大学の学生数は全大学生数の1%以下であろうというのが潮木氏の推論であった。
 ヨーロッパ全体の例に漏れず、ドイツの国立大学においては1970年代から、授業料無償化の政策が進行していた。この背景には当時の10%以下という低い高等教育進学率、国際的な競争環境における無資源国ドイツの人材育成に対する関心の高まり、OECDによる高等教育に関わる指標づくりなどがあったと講演では指摘された。ところが80年代に起きた景気後退、国家収入の悪化、福祉医療費の増加などにより、高等教育無償の原則に揺らぎが見え始める。さらに、近年ではロシアと同様に、授業料を徴収してエリート教育を行う大学の構想も言われはじめている。1998年にドイツ全16州と連邦政府および議会の間で「高等教育の無償」が合意されたが、その後国家予算の配分に関する「教育と福祉のゼロ・サム・ゲーム」が続き、本年1月に連邦憲法裁判所が各州に大学の授業料導入の途を開いたことが報告された。従って国立大学の授業料は、当該州の政権政党が授業料導入に消極的な社会民主党であるか、積極的なキリスト教同盟であるかによって扱いに差が出はじめている。
 一方、私立大学(国立でない、国家によって認可された大学)は、教育は国家の仕事であるという発想の強いドイツにおいて、ごくわずかな数の学生を集めて、授業料を徴収しながら成り立っている。講演の中で紹介された私立大学は、国際ビジネスの教育を行う小規模ながらジャーナリズムからの評価の高い大学で、財源の半分が創業者の財団の基金および賛同企業からの寄付でまかなわれ、約30%が授業料に依存している。学生を選抜できることが「国立大学でない大学」のメリットとして指摘され、事業経営者の師弟を多く集めるこの大学の存立の背景には、創業者の信念、企業の支援、親の期待というステークホルダーの利害が一致していることがあるというのが講演における分析であった。
 このようにそれぞれ情報量の多い講演であったが、その内容を並べてみると、国家が高等教育に投資しなくなったことによる授業料の徴収の開始や、情報化、冷戦後のボーダレス化を背景としたエリート高等教育の必要性などが、ヨーロッパの高等教育の私学化の推進力となっているように思われる。惜しむらくは時間の不足でフロアとの質疑応答、講演者相互の意見交換の場が限られたことであろうか。

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