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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.191
大学評価チームを選ぶ―米国のピア・レビューの原則

大学評価・学位授与機構助教授 森 利枝

 アメリカの大学のアクレディテーションを性格づけているいくつかの要素のひとつに、ピア(仲間)によるレビューの原則がある。各大学を訪問して実際のレビューを行うのは同じ大学社会のピアであるという原則が守られており、アクレディテーションが政府の監督下にあるものではなく、大学の側の自発的な営みであるということが知れる。ニューイングランド六州の地域アクレディテーション団体であるニューイングランド協会の高等教育評議会を例に取ると、通常ひとつの大学に5年か10年に一度の頻度で行われる包括的レビューは、大学の規模によって3人から十数人のチームによって行われる。レビューは各大学によるセルフ・スタディを基本にし、レビュー・チームは提出されたセルフ・スタディに基づいて訪問調査を行い、実質的な最終決定権のある評議会に勧告を行う。
 このチームの中には、必ずひとりの団長が指名されていて、チーム全体の調整、チームと大学と評議会との橋渡し、最終レポートのまとめと評議会への報告などの義務を負っている。団長はチーム内の互選などで選ばれるのではなく、評議会スタッフがはじめから団長の候補者として選定する。この手続きは訪問調査の約1年前に行われるが、この人選に当たっては、レビューの経験のほかに、訪問調査を受ける大学との「相性」も勘案される。つまり、訪問を受ける大学と似たような大学に属しているか、属した経験があって、大学の内情をより深く理解でき、効果的な評価活動が期待できる人物が候補に挙げられるのである。
 団長候補者の名前は、まず訪問を受ける大学に伝えられる。ここで、大学の側はその候補者の適切さについて意見を述べることができる。当該大学について報告書に責任を負い、アクレディテーション(ないしその継続)の可否を決める評議会に出席して直接意見を述べるのはレビュー・チームの団長だけであり、団長の見解が評議会全体の議論の方向に与える影響は小さくない。したがって団長の選定には評議会と大学の双方が相当の神経を使っているように見える。評議会スタッフは公平を期して人選を行うが、仮に大学の側がその候補者が団長となることが不利益であるという充分な理由を示した場合には、スタッフは大学と評議会の双方が合意できる候補者を再選定することになる。合意が得られればスタッフは候補者に団長を務めることを打診するのだが、ここで候補者が団長の任務を引き受けるまでの間に、大学はその候補者に接触することを控えなければならない。仮に候補者が団長を引き受けられなかった場合には、スタッフが別の候補者を選んで同じ手続きが繰り返される。
 団長以外のチームのメンバーについても、選定の過程は基本的に団長の場合と同様である。メンバーの選定は訪問調査の時期の前のセメスターの間に行われる。この場合、大学の側は個別のメンバーについて受け入れたり拒否したりするのではなく、チームの守備範囲や経験が適切であるか意見を述べることが求められる。また、大学はメンバーの中に自大学の利害関係者がいた場合には、評議会にその旨を報告することが求められている。ここで言う利害関係とは、候補者が大学にとって@関係者(雇用者、理事、理事候補者、顧問、卒業生)、A同じ公立大学システム内の機関の関係者ないし強い宗教的関係にある機関の関係者、B同じコンソーシアムに属する機関の関係者ないし強い協力関係や提携関係にある機関の関係者、C直接の競合関係にある機関の関係者、D近しい関係にある個人、Eかつて就職しようとしていたか、現在就職しようとしている個人、Fその他出拠のいかんによらず個人的な情報や利害を持つ個人、とされている。
 この利害関係者の定義を見るにつけ、メンバー選定の難しさが想像される。特にCにある、競合機関の関係者を忌避するという要件には注目しておきたい。これはアクレディテーションの公平さを担保するためには当然のことであるが、それと同時に当該大学の内情に最も深い理解を示しうるのが競合機関であると考えられるからである。おそらく評議会にとって理想的なのは、「地理的に近ければ競合関係にあるが、遠くにあるのでそれには当たらない」機関からメンバーが選べるということであろう。また評議会としては、すべての利害関係を把握するのは不可能であると自覚している、という立場を明らかにしている。なお、大学がメンバー候補者の中に利害関係者が存在することを報告するよう求められているだけではなく、メンバー候補者の側にも、当該大学と自分自身との間に、これら@からFまでの利害関係があれば申し出ることが求められている。
 団長の場合と同じく、メンバーに対しても、候補者である段階では大学からの接触は控えることが求められている。また、団長もメンバーも、評議会がアクレディテーション(ないしその継続)の可否を決定してから1年以内に、当該大学に対して有償、無償を問わず顧問業を行ったり、あるいは就職を試みたりすることは控えるよう求められている。
 レビュー・チームは、その大学の一度のレビューのために集められ、任務が終われば解散する。したがって評議会スタッフは、利害関係者を避け、当該大学に適した人材をそのたびに選定することができる。それに対して評議会を構成する原則18名の委員は2年の任期を1度まで更新できることになっており、したがって評議会の席上にのぼる大学と評議会の委員が直接の利害関係にある可能性は常にある。そのような場合には、その委員は当該大学に関する議論および投票の間は退席することになっているのは言うまでもない。なおニューイングランドではレビュー・チームの団長も、メンバーも、評議会の委員も、すべて無給で奉仕している(他の地域には謝金の払われるところもあるが、それも「薄謝」の域を出ない)。
 ここまで見てきたようなレビュー・チームを組織する過程は、大学社会による自律の原則を支える要素であり、ピアによるレビューに公平性と客観性を担保することによって、大学の正統性に外部の強制力を介入させないという姿勢が維持されていることを、改めて確認しておきたい。もっとも、大学社会のピアによる自律的なアクレディテーションが万能薬的に完璧に機能するわけではない。たとえばディプロマ・ミルと呼ばれる、実質的な教育は行わずに対価をとって学位を濫発する「にせ大学」の問題は、「大学」と名のつく機関に対して外部の強制力、たとえば連邦などの法的な規制が強く働けば、効果的に抑制できるという主張は間違ってはいないと思われる。しかし、ピアによるアクレディテーションという原則を守るということと、にせものであれ大学と名のつく機関に法による強い統制をかけることとは、アメリカの現状においては両立し難いのである。このような状況にあって、大学の連合体であるアクレディテーション団体は連帯して、にせ大学の問題を大学社会の中で解決することを、重要な懸案としている。あくまでも大学の力で問題を解決するというのは、民主主義に深く根ざした発想であると思われる。
 「裁判所と陪審の制度は、決して理想的な制度ではない。それは生きて働いている現実なのだ。裁判所は陪審としてここに座っている人びと一人ひとりよりも良いものにはなりえない。裁判所の健全さは陪審次第であり、陪審の健全さはそれを構成する人々次第である」とは『アラバマ物語』の登場人物で、アメリカ国民の選ぶヒーローとして常に高位にあるとされるアティカス・フィンチのせりふである。この「裁判所」をアクレディテーションに、「陪審員」をピアに言い換えることはできないだろうか。人びとが決定権を持つという民主主義の浸透した社会においては、大学社会のピアによるアクレディテーションは最も有効に働くシステムのように思えるのである。

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