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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.186
大学の市場型改革と財政―第20回公開研究会の議論から

国立教育政策研究所高等教育研究部長 塚原 修一

 第20回公開研究会(11月22日)の後半は、客員研究員の矢野眞和教授(東京大学)による標記の講演である。辛口の教育経済学者として知られる矢野教授は講演の副題を「ポスト・改革バブルを考える」とし、最近の大学改革は改革バブルではないのかと、まず問いかけた。現在の改革が本当に若い人たちのためになるのか、よりよい研究ができる環境を作っているのか、市場型改革の延長線上に20年後の日本があるのか、といった論点をめぐる講演であった。

 《福祉国家のゆらぎ》
 まずこれまでの経緯をみよう。国家が国民の福祉に責任をもつ福祉国家が、第二次大戦後に世界的に定着した。しかし、1973年の石油危機による不況と財政難で存立基盤がゆらぎ、80年代には市場原理を活用する小さな政府への転換が世界的に進行した。
 1960年代から90年までの日本は福祉国家ではなく、成長国家・開発国家であった。当時の日本は、会社の成長が家庭の幸福で、それが国家の繁栄にもつながる会社主義のもとにあり、日本的経営によって石油危機を乗り切った。しかし、90年にバブル経済とともに会社主義も崩壊し、世界から15年遅れて市場主義が導入された。
 教育政策の重要課題は、学力向上、就業可能性の拡大、機会平等の3つであり、これは世界共通である。ところが、90年までの日本は、「家庭会社連合」による市場主義で問題を解決していた。経済成長にともなう低失業率、親が教育に責任をもつ家族主義、人材育成に企業が責任をもつ体制がそれである。政府は少ない教育投資によって先の3課題を処理してきたが、バブル経済の崩壊によって日本は普通の国となり、これらの課題が一挙に噴出したのである。

 《4つの市場化》
 現在の市場型改革を理解する枠組みがこれである。
 その第1は資金の市場化である。財政難によって資金の多元化がはかられ、結果として、大学、政府、学生、企業の利害をいかに調整するかというガバナンス問題が登場した。第2は経営の市場化であり、公的組織が非効率とみなされて企業の経営手法が導入された。いわゆるニュー・パブリック・マネジメントであり、大学の経営問題が登場した。第3は大学の出口にあたる就職の市場化である。経済成長の鈍化やグローバル化にともない、労働力が供給不足から供給過剰となって就職難が発生した。第4は入口にあたる入学の市場化である。入学難から学生募集難へと変化し、マーケティング問題が登場した。
 これらのうち、入口と出口における以下の変化が私学にとって重要である。かつての大学は、入学前(Before)には勉強するが入学後はしない不思議なB型大学であった。当時は入口が入学難で出口は労働力不足であったから、勉強しなくても就職できたし、大学の成績がよくても就職に関係しなかった。つまり、これは学生にとって合理的な行動であった。
 しかし、状況は変わった。今は勉強しなくても入学できる大学があるが、入学前も入学後も勉強しないO型大学を卒業しても就職先がなく、そういう大学には学生が集まらなくなった。そこで、勉強しなくても入れる大学は入学後(After)に勉強するA型大学となり、B型大学は、入学後も勉強するAB型大学に移行している。学生が熱心に勉強する理想の大学が、市場の力学によって成立したわけである。
 大学の行動も変わった。それぞれの大学は新しい市場の開拓に工夫と努力をこらしている。しかし、個別大学の努力を支えるシステムが現状で充分かどうかは疑問である。それをいかに支援するかが、公教育システムの設計において重要である。大学分科会で審議中の高等教育の将来像には政策誘導と書いてあるが、誘導よりも支援が政府の役割ではないか。

 《公教育の再生》
 市場化や民営化に教育の未来があるのかを考えたい。そこに未来はないと矢野教授は言う。現在の大人世代が、未来世代である子どもに残せるものは教育しかない。それを市場に放り出してはいけない。
 こういう主張をするためには、教育にどれほどの公財政を投入すべきか、理論的に説明する必要がある。しかし、経済に対する教育の貢献は、日本ではほとんど研究されてこなかった。これまで述べたように、そうした研究をする理由がなかった。しかし、これからはそうではない。
 例えば、知識社会と教育の関係があまり説明されていない。その一部として、男子の大卒者が高卒者の何倍の賃金を得ているかという統計(賃金の学歴格差)を示す。年齢別にみると、30歳代前半では70年代の1.15が2000年以降は1.25へと上昇している。つまり、この年齢層では大卒者が不足して優遇される傾向にある。なお、40歳以上の年齢層では逆に賃金格差は縮小している。
 一方、女子教育の収益率は、2000年には短期大学が7.1%、4年制大学は7.8%であった。どちらの数値も75年から90年にかけて横ばいか減少傾向にあったが、90年以降は上昇に転じている。これらは、大卒者の労働市場が変化して、知識ないし教育に対する需要が高まったことを示している。
 矢野教授は、大学教育への公共支出が効率的な投資であることを、30年前から主張してきた。公開研究会前半の丸山文裕教授の講演によれば、学生一人あたりの私学助成金は4年間で約50万円である。ところが、大卒者は高卒者より生涯に1600万円ほど多くの税金を支払っている。私学助成は未来の財政に貢献する投資であって消費ではない。こういう単純な事実が重要なのである。
 今日の教育問題として、基礎学力の低下、規範の低下、意欲の低下という「三低」がよく指摘されるが、教育投資の減少はそれ以上に大きな問題である。教育投資は教育の投入要因にあたり、三低は教育の産出ないし成果にかかわる。教育における投入と産出の関係(生産関数)は、まだ計測されていないので詳しいことはわからない。しかし、投入を減少させて産出を増加させる魔法はあり得ないので、投入の減少によって教育の産出は必ず低下すると予測される。

 《学校地域連合の構築》
 最近の教育改革は、教育の質と産出に着目する評価型経営を指向しているが、以上の点からみて、それが成功するかは疑わしい。中等以後の教育システムに新たな資源配分を行うような制度設計が必要である。日本の教育を支えてきた家庭会社連合は90年に破綻したから、市場システムに任せたのでは教育問題は解決しない。
 矢野教授は、これに替わるシステムとして「学校地域連合」を提唱している。その中心に大学をおき、そこに公的資金を投入して若者の雇用を創出するのである。その財源は税金と国債しかない。未来世代に必要な遺産は道路でなく教育である。教育投資に振り向けられる国債は赤字国債ではない。それは収益が見込まれる建設国債であって、現在の大人世代と未来世代が協力して負担しても充分に回収できる。教育と雇用を軸とした信頼できる公的システムを構想しなければならない。
 以上が講演の概要である。大学淘汰の時代が叫ばれて久しい。質が悪かったり非効率な大学が市場から退出するのは自然なことであるが、そのこととマクロな公財政支出の規模の問題は必ずしも連動しない。大学改革において、卒業生の活動など外界との境界に着目することの重要性は、とりわけ強調されるべきである。
 大学改革が、改革のための改革となっては、当初の目的を実現できない。社会・経済と教育の関係について、客観的で冷静な議論をすることの重要性が示されたのではないか。

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