アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.171
オープンソース・教育ソフトウェア開発の台頭―米国の高等教育とテクノロジー
ここ1年足らずの間に、アメリカの高等教育とテクノロジーを巡って、大きな動きが幾つか見られた。その中でも見逃せないのが、昨年の秋に立ち上げられた「SAKAI」と呼ばれるプロジェクトだ。「SAKAI」は、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学、ミシガン大学とインディアナ大学が中心になり、オープンソースのオンライン教育用ラーニング・マネージメント・システム(Learning Management System:LMS)を共同開発するという試みだ。この共同プロジェクトの基盤となったのが、以前本欄でも紹介したMITのOpen Knowledge Initiative(OKI)である。アメリカの大学で幅広く利用されている「Blackboard」や「WebCT」のような商業ベースのLMSに対抗し、より柔軟性が高く(例えば、様々な教育用ソフトウェアを簡単にLMSに統合できる)、低コストな(例えば、一旦開発されれば、システム本体は、オープンソース・ソフトウェアとして無料で各教育機関が利用できる)次世代のLMSの標準仕様を策定し、実際に利用可能なプロトタイプを開発するのが、2001年からスタートしたOKIのゴールだった。
「SAKAI」は、このOKIの成果に基づいて、さらに大学間共同プロジェクトとして、このようなオープンソース・ベースのLMSや教育ソフトウェアの開発環境を整備し、実際の開発を促進させることを目的として設立された。設立に当たっては、メロン財団とヒューレット財団が計270万ドル(約3億円)を提供し、さらに前出の4大学がソフトウェア開発にかかる人件費や諸費用として各100万ドル(約1億1000万円)を拠出することで、基金が準備された。この4大学の共同プロジェクトとしての最初のゴールは、それまで各校が独自に進めていた自前のLMSを複数のツールからなるモジュール(例えば、「学習評価ツール」モジュール)として共同利用できるようにし、その過程で各モジュールをOKIの標準仕様に適合させることだ。これによって、これらの4校は、各校が開発したモジュールを、必要に応じて組み合わせて使えるようになる。似たようなツールが、複数の大学で独自に開発されることを防ぎ、最終的には各々の大学が自校のニーズによって開発したツールを、他校も共同利用できるようにするのが目的だ。
しかしこれだけでは、「SAKAI」は、この4校だけによる限定された共同プロジェクトに終わってしまい、高等教育界全体に対してオープンソース・教育ソフトウェア開発を推進していくための原動力とはならない。中核となっている4校(私立大学2校、州立大学2校)は、いずれも研究大学としてキャンパスの規模も予算も大きいトップレベルの大学であり、このようなオープンソース・共同プロジェクトが、「『持てる者』だけに参加が許される」ということになれば、これは「良質で低コストのソフトウェアを開発できる」というオープンソース・ソフトウェア開発のメリットが高等教育界において十分に活かされないことを意味する。
この問題に対処するために考案されたのが、同プロジェクトの教育パートナーズプログラム(SAKAI Educational Partners Program:SEPP)だ。SEPPには、希望する高等教育機関が、年間メンバー費1万ドル(約110万円)を3年間に渡って支払うだけで、自由に加盟することができる。また、学生数が少なく予算規模も小さいコミュニティ・カレッジなどには、メンバー費を半額に免除するなど、「持たざる者」への配慮もなされている。SEPPに加盟するメリットは、自校がオープンソースの教育ソフトウェアを利用・開発する際に、「SAKAI」からサポートを受けられるということだ。例えば、「SAKAI」が開発しているツール・モジュールやLMSを自分の大学で利用したい場合、SEPPのメンバーであれば、「SAKAI」からシステムの導入やメンテナンスに関するアドバイスやサポートを受けられる。さらに、SEPPのメンバー校が、新たにSAKAI/OKIの仕様に準拠したツールを開発したり、既に開発されているツールをSAKAI/OKIの仕様と互換を持たせるような改良を加えたい場合、ソフトウェア開発者に必要な技術的ガイダンスやトレーニングも提供される。これは、高等教育におけるオープンソース・教育ソフトウェアの導入・運用管理に関して、「オープンソースによって開発された教育ソフトウェアを、独自でサポートできるような体制を整えられる大学は限られている《という、教育ソフトウェア企業から寄せられる批判に応えるものだ。
このように「SAKAI《の戦略は、同プロジェクトによって開発されるオープンソースのLMSやツール・モジュールの普及を促進させると同時に、より多くの大学にこのようなオープンソースの教育ソフトウェアの開発に必要な人材やサポート体制を育成する、という「一石二鳥」を狙っている。また、メンバー費を「薄く広く」集めることで、今後、「SAKAI」を、外部からの資金援助なしで継続的に維持できるプロジェクト体制の確立も目指している。SEPPには、現在までに既に40校余りが参加しており、その数は増え続けている。
私の所属するカーネギー財団の知識メディア研究所も、研究団体として加入しており、将来的には、これまで独自に開発してきたScholarship of Teaching and Learning支援ツール(http://www.carnegiefoundation.org/kml/KEEP/)を、SAKAI/OKI準拠のツール・モジュール化し、SEPPの参加校が同ツールを自由に利用できるようになることを目指している。
このように書くと、オープンソースの教育ソフトウェア開発の未来は「前途洋々」のように思えるかもしれないが、実際は、解決されなければならない問題も少なくない。私はここ1年余り、このようなオープンソース・ソフトウェア開発の代表的なプロジェクトの一つであるOpen Source Portfolio Initiative(http://www.theospi.org)に理事として関わっているが、このような大学間共同ソフトウェア開発では、各参加大学・機関の優先事項や利害関係の調整、資金や人材の慎重な分配などが、プロジェクトを円滑に進め、成功に導くための重要な鍵となる。また、一つの教育ソフトウェア企業が、システムの設計、開発、評価、運用管理を行うのに比べ、このような大学間共同開発は、ともすると「船頭多くして船山へ上る」的な非効率性を露呈しかねない。「各大学が叡知を結集して、自発的・協力的に共用可能な未来の教育システムを構築していく」という理想は崇高であるが、アメリカ国内では、既に無視できない大きな勢力となっている教育ソフトウェア企業群との「共存《や「棲み分け《をどうするのか、という現実的な問題もある。
しかし、良くも悪くも、このようなムーブメントをアイデアと勢いで推し進めていく原動力になっているのがアメリカの「開拓者精神」だ。余談ではあるが、「SAKAI」プロジェクトの名前の由来は、「SAKAI」の中核的なツールの一つであるミシガン大学のCHEF(シェフ)と呼ばれるシステムにちなんで、アメリカでも人気のある日本のテレビ番組「料理の鉄人」の中の「鉄人シェフ」の名前から取ったという。このような先駆的なアメリカでのプロジェクトに日本人の名が付けられているのは、日本人としては嬉しい限りであるが、同時に日本の高等教育機関が、今後どのような形で、名実共にこのような動きに追従し積極的に関与していけるのかと、想いを馳せずにはいられない。日本国内での活発な議論と強いリーダーシップが望まれる。