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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.154
初年次教育の日本的課題―拡大するFYEの解釈 (上)

関西国際大学人間学部教授 濱名 篤

1、初年次教育への関心の高まり
 日本私立大学協会加盟大学を対象に2001年11月に実施された「多様化する学生に対応した教育的取組みに関するアンケート調査」で、導入教育(同調査では、初年次教育と「言い換え可能」と定義)を「実施している」と答えたのは、294大学中72.1%(212大学)、検討中が11.2%(33大学)に達する。内容についての検討を別にして、多くの私立大学がユニバーサル化の進行による学生の多様化への対応として、「初年次教育」に大いに関心を持って取り組もうとしていることは間違いない。
 また昨年11月には、大学教育学会が新たな学会の研究課題として「導入教育/初年次教育」を設定することを決定し、3年間の共同研究がスタートした。
 筆者や同志社大学の山田礼子氏が2001年7月に、ハワイで開催された第14回First-Year Experience 国際会議に、日本人として初めて出席してから2年半の間に、急速に「初年次教育」は日本の高等教育でも知られるようになった。2002年11月に私学高等教育研究所において、アメリカの初年次教育政策センター所長のランディ・スイング博士を招いて、First-Year Experie nce(以下では「FYE」という)についての公開研究会を開催したのは記憶に新しい。
 筆者らは、2月28〜29日に、日本私立学校振興・共済事業団の学術奨励資金の助成を受け(「ユニバーサル高等教育における学習支援に関する研究」、研究代表者:濱名陽子関西国際大学高等教育研究所所長)、スイング博士の推薦による二人のFYE専門家を招いて「アジアにおける初年次教育の開発」というワークショップを開催した。全国高等学校進路指導協議会から推薦された高校教員も含め、FYEのプログラム開発と評価について活発かつ有意義な議論と体験が行われた。そこで、伝わってくるFYEの魅力と特性は、単に日米の違いを差し引いても、有効かつ魅力的なものであった。ここで、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカをはじめ世界18か国以上に広がり始めているFYEの特性を本稿で改めて整理しておきたい。その上で、日本の大学教育における初年次教育の課題を、筆者らの科研費助成をうけてパイロット的に実施した大学新入生調査結果から考えてみることにする。

2、なぜアメリカのFYEは「導入教育Introductory Education」と言わないのか? 
 FYE先進国でもあるアメリカでは、すでに一世紀以上前から高校と大学の「接続(articulation)」についての議論がなされてきた。基本には、連続した教育段階を分離した別個の部分とみなし、両者の間に断絶があるという前提が立てられている。その理由の中には、パートタイム学生、成人学生、マイノリティ学生など多様な学生の受け入れをFYEが本格化する前段階からすでに始めており、高等教育の内容や方法も多様化を前提とせざるを得なくなったという状況が、FYEという組織的な教育プログラムを普及させたといえるかもしれない。
 FYEに「導入教育」という和訳がつけられたのには、山田氏がFYEの授業形式の一般的な名称であるFreshman Seminar(First Year Seminar)を「導入教育」と訳したのが始まりのようである。これに、教育内容の標準化の進む工学や、医学・歯学・薬学など国家試験に水路づけられた教育内容の標準化が進んでいる分野で、導入―発展―展開―完成といった段階設定を行っていたもののイメージが重複して、「初年次教育」と「導入教育」という用語が交錯する状況が生じたと考えられる。
 FYEの教育内容・方法は、社会・文化によって、あるいは導入される大学の状況や必要性に応じて、カスタマイズされる度合いが大きく、内容・方法自体の標準型を設定することは困難である。むしろFYEの中心的要素が、「(大学を知らない)1年生を、「組織的に(全学もしくは学部レベルで)」、大学生活と大学での学習に「円滑に移行」させ、「成功」に水路づける」という哲学と独特のペタゴジーにあることに気づく。つまり、円滑に中等教育からの「移行」を図ることが、FYEの最も重要なテーマとして重視されているのである。

3、日本におけるFYEのイメージ
 「初年次教育」あるいは「導入教育」と訳されているFYEには、日本国内でも様々な含意が併存した状況にある。例えば、大学教育への転換を促すことを目的とするものを「狭義の導入教育」、学力補償を目的とした補習教育まで内包したものを「広義の導入教育」といった定義づけまでが出てきている。「広義」の導入教育とは、「狭義」のそれ(大学教育への移行・転換に着目した動機づけ教育)に、学力補償を目的とした補習教育が付加されたもの、ということのようである。『転換』を重視するものが「狭義」で、『接続』(=学力補償)がこれに加わると「広義」ということになるらしい。しかし、アメリカやそれ以外のFYEの国際的動向からみても、学力補償のための教育はリメディアル教育あるいはデベロップメンタル教育といわれ、FYEと関連はあっても、別の教育プログラムとして明確に確立している。これまで日本でうまく定着してこなかった補償教育までが、「初年次教育」と安易に結びつけられ、多様化する学生に対する「万能薬」のように取り扱われつつあることには大きな疑問を呈さざるを得ない。「初年次教育」概念の規定を巡る混乱は大きい。
 アメリカの初年次教育でウェイトが高い教育内容が、日本での初年次教育や導入教育の中で高くないのは、「時間管理」「自己探求・自己分析」「大学への移行(高校とどう違うのか)」といった項目であり、一方「学問への動機付け」と各種の学習技術のウェイトが日本では高い。
 昨今の日本の動きにみられるように、専門教育への「導入」に学習技術を加えたものを「初年次教育」と規定していいのであろうか。これらの内容は、あきらかに広義の専門教育への「導入」ではあっても、高校から大学へと学習環境が一変したことと、青年期の発達課題としてのアイデンティティの確立を模索する「自分探し」を求める傾向が年々強まってきているといわれる日本の大学新入生への「移行」支援となっているのであろうか。
 さらに、「導入教育」と「初年次教育」という類似した名称の併存も気になる。これらの共通性は、教育内容の重複であり、導入教育であがってくる内容は初年次教育としての教育内容・方法をそのまま活用できる余地が大きい。しかしながら、学部・学科に対する新入生の志望意識や目的意識のある程度の確立を前提とした、導入教育型プログラムで、果たしてユニバーサル化した学生への支援として十分であるかについては議論の余地は大きいし、大学の分野や特性によっても内容は大きく異なる。
 日本でFYEとして取り上げられているプログラムをみると、教育内容や教育方法には前述のようなばらつきがあり、それぞれの社会や機関の特性に応じたカスタマイズ化自体を特徴とするといっていい。共通点は、意図的で体系的な「教育」という教育する側からの恣意性を超えるところにあるとみるべきかもしれない。
 前述したように、FYEの最も本質的な要素を、「大学コミュニティの成員に、共通の「経験」「体験」を通じて、コミュニケーションと相互扶助を成立させる」という点にあるとすれば、舘 昭氏が指摘するようにFYEを「初年次支援プログラム」と、素直に日本語訳するほうがより適切であろう。
(つづく)

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