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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.152
特別連載 高等教育改革―国大と私大との関係をめぐって―5―

私学高等教育研究所主幹 喜多村 和之

 かくして学校教育法の改正は、専門職大学院や認証評価機関という先行きが見通せない一群のモンスターや、量的に圧倒的なシェアを占め、しかもその水準向上なくして高等教育の保証はありえない私大セクターを、高等教育という全体のシステムのなかにどう捉えるのかという、これまで先送りされてきた「パンドラの函」を開けることを要求している。それはもはや法の一部の改正にはとどまらない制度のオーバーホールに発展することになるのかもしれない。政府だけの力ではなし得がたい大問題であり、関係者の英知を結集しなければ解決しがたい総合的な政策形成を必要としているのではないだろうか。しかし、大学を救う者はまず大学自らの中から出てこなければならない。高等教育政策は日本の高等教育全体の将来に係わる問題として、単に政府の政策形成に依存する消極的な待ちの姿勢ではなく、まず大学関係者からの国民に対する説得性ある提案として積極的に打ち出される必要がある。2004年から2005年は、まさに高等教育界にとって正念場の時ではないだろうか。
 2002年11月に成立した学校教育法および私立学校法の改正によって、政府の大学政策は「事前規制から事後チェック方式」へと転換され、大学の設置認可制度は原則的に大幅な規制緩和が導入されることになった。これは大学側の自主性の「自由化」という側面をもっている。しかし、認可か届け出かを決めるには文科省との事前相談が必要であるし、全ての大学は私学を含めて定期的に自己点検・評価を行うとともに、第三者評価を受けることが義務付けられており、しかもその評価結果は公表されなければならなくなる。言い換えれば、「最初よければ全てよし」型から「行きはよいよい帰りはこわい」型の行政にかわったのである。ともあれ設置認可の許認可権と大学設置基準の中央統制によって大学のかたちを規制してきた従来型の大学行政は、大幅な政策転換を遂げたのである。
 学校法人にとって最も直接的な挑戦は、今回の改正で、文部科学大臣が、法令違反の大学に対して段階的な是正措置を講ずることができるようになったことである。これまで私学に対しては、私立学校法の規定に基づき、文科相は法令違反の大学に対して閉鎖命令という最終的な措置しか執行する権限がなかったが、今回の改正で、該当校に報告を求め、改善を勧告し、命令に違反すれば閉鎖命令を出せることになったのである。私学の自由といえども違法は許されなくなるのは当然としても、自己評価や第三者評価を怠り、公表を拒んだり、定員超過等も法令違反の対象となるのであり、全体的にみれば国の私学に対する権限や監督権は大幅に拡大される結果となったと言わざるを得ない。第三者評価の義務化がどのようなインパクトを学校法人にもたらすかは予断を許さないが、少なくとも私学助成の様々な面で間接的に効いてくる可能性がある。評価を受けない大学は無論のこと、評価結果が低い大学には助成額を減額ないし対象外とすることも起こる可能性が開かれたのである。政府にその意思がなくとも私学の側で自己規制を率先して取ることも考えられる。評価と財政を直接リンクさせなくとも、評価システムの導入によって実質的に私学に補助の有利不利を予測させることも可能になる。
 こうして学校法人に押し寄せている圧力は、政府や産業界の要求を背景とした政府の規制改革、財政削減、市場競争原理の導入、情報開示、消費者至上主義等の諸原理の追求であり、その背後には高等教育市場の国際化やWTOを通しての教育サービスの自由化の要求、具体的には外国教育機関の市場進出障壁の撤廃要求など、様々な側面から見ることができるのではないか。
 そして、このような動きは教育機関の価値や威信は制度や政府の認可によって決められるのではなく、その教育プログラムの質や消費者の選択によるべきだ、とする市場主義の思想からの挑戦ともみることもできる。このような外圧・内圧の存在は、高等教育の世界にも、既存の制度や法制には収まりきれない教育需要が出現し、それを好機と捉え、教育界に参入しようとするプロバイダーがぞくぞくと現れだしてきていることを意味している。それは一面では、法律や政府が認定している制度的保証よりも、消費者や学習者、つまり市場の選択に委ねるべきだという市場主義原理であろう。
 公共性と独自性を維持し、非営利法人を特徴とする学校法人にとって、そのような市場主義は相容れない対象であろう。だからこそ、関係者の多くが株式会社に象徴される企業の教育参入には原則的に反対の態度をとろうとしているのであろう。
 だが、この方向は学校法人や文科省がただ反対するだけで、くい止めることが可能であろうか。筆者は単に断固反対を叫ぶだけではこれに抵抗できないのではないかと考える。
 むしろ私学は、学校法人制度の現状維持を主張するだけでなく、この50年余りに渡って蓄積し続けてきた経験や私学経営のノウハウや制度自体の長所は断固として守る努力を行うべきである。しかし、改良されなければならない部分は積極的かつ大胆に改正し、日本の私学の特徴と実績を真似て、これからの新しい挑戦に立ち向かう準備に着手すべきであろう。日本の歴史と土壌に根付いて今日まで営々と積み重ねられてきた日本の私学は、もしその本来の役割を果たしてきているのならば、安易に機能を譲り渡すことはあり得ない。
 例えば設置認可が緩和されることは自由な大学や学部学科の創設を促すが、質の保証の面では、後に極めて厄介な多くの問題をもたらすことになるだろう。そのために第三者評価制度が作られ、大学自身による自己点検・評価と国が認証した機関(=認証評価機関)の第三者評価を受けることが義務付けられた。しかし、大学だけで約700校、短大530校、高専60校、あわせて1300校近い高等教育機関が、試行期間も含めて7年以内に一斉に評価を受けなければならず、そうでなければその学校は法令違反で処罰の対象になり得るのである。カネ、ヒト、モノ、情報という資源も経験も乏しい日本で、それだけの大掛かりな評価事業が果たして実行可能なのか、また評価の結果として大学の質が本当に改善され、保証できるようなものになるのか、すなわち評価が有効なものとして根付くのか、大きく疑問視される。しかし全ての高等教育機関は法律で義務付けられているので、逃れる術がなく、大学関係者は2004年度から評価という膨大な仕事に忙殺されることになるだろう(拙稿「日本における大学評価政策の形成と立法過程」教育社会学研究73号、2003年/および拙著「大学は生まれ変われるか」中公新書、2002年)。
(つづく)

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