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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.128
政官の論理VS大学の論理―認証評価制度に試行・実験の期間を

私学高等教育研究所主幹 喜多村 和之

 国立大学法人法がこの7月に国会を通過したと思ったら、もう半年後の平成16年4月には国立大学法人が設立されることとなり、国立大学関係者は、新制度移行への時間がないと大騒ぎになっているとの報道があった。明治以来の設置形態を一気に変えるのだから、それは戦後の学制改革にも比すべき大変革である。変革には既存の制度・慣行を守るという慣性と抵抗力が働くとともに、新しい事態に慣れ、新しい意識にきりかえるために、それなりの時間や意識の転換への余裕が必要である。一片の法律が出れば、それで一気に変われるというものではない。
 それにしても政治や行政の論理は、そんなまどろっこしいことは待ってはいられないとばかりに、次々と法案を成立させていく。慎重な議論などといった意見は、こうした激動期には問答無用で、影が薄く、ただちに守旧派や抵抗勢力のレッテルを貼られてしまう。異論など聞いていたら成立の時機を逸してしまうということなのだろう。だが、それはあくまでも政官の都合であって、民や大学にもそれなりの論理や都合というものがある。
 国立大学の法人化にはようやく報道の紙面を割いたマスコミだが、法人化に目をとられている前に、設置認可制度の大転換や、認証評価制度の創設、専門職大学院の創設、法令違反の大学の是正措置等を決めた学校教育法の一部改正が去る2002年11月に成立している。
 この法改正は、単に国立だけでなく、国公私の大学、短大、高専にも適用される大変革で、その高等教育界全体に及ぼす影響力の大きさは国立大学法人法の比ではない。
 それにもかかわらず、マスコミがほとんど報道しなかったのは、自ら公共の役割を放棄するものではないか。法人化や21世紀COEプログラムの報道にはあれほど大きな紙面を割く全国紙が肝心な情報を報道しないのは、物事の軽重の判断もつかないのか、それとも意図があってのことなのか。尤もどんな法案を政府が出してきても知りもせず、関心も持たず、意見も表明せず、後になって文句を言う大学側も同罪であるが…。
 去る7月7日の私学高等教育研究所の第19回公開研究会で「新しい認証評価制度の問題点と展望」と題して筆者は報告を行った。250人余の参加者を得たが、それはいかに多くの関係者が切実な関心を抱いているかの証左であろう。筆者は半年後に施行が迫った認証評価制度には、これを実施する現場の大学や第三者評価機関にとって克服しなければならない幾多の問題点があることを率直に指摘した。
 それは評価を行うこと自体がいかに困難な仕事であるかということのうえに、ヒト、カネ、モノ、情報という資源が絶対的に不足しており、しかも、最大の問題点は5〜7年のうちに日本の1200校を超える高等教育機関の全部を、いかにして自己点検・評価と第三者評価を終えることができるかという時間の制約がある。この期間内に評価を受けなければ、その機関は法令違反になってしまうからである。
 この報告に対して、参加者の中からは、あまりに悲観的な見通しで落胆したとの批判が寄せられた。筆者は過度に危機感を煽りたてたつもりはない。単純計算をしても決められた期間に評価を終えることは大変なことであり、それには多くのヒトと多額な費用と多大な手間がかかるという現実を指摘したまでである。参加者の中からは、評価には大した手間がかからないので、問題点を過大に誇張しているとの指摘もあった。評価という営みがいかに微妙で困難な問題を含むかを日頃痛感している筆者としては、このような根拠のない楽観論にはとても組することはできない。繰り返し述べておきたい。筆者は理想論やあるべき論を述べたのではない。一片の法律で決められたことが現場にいかなる問題をもたらすかという現実論を主張したまでである。
 政治や行政には自分たちの論理や都合があって早々と、さして審議もせずに法案成立を急ぐのであろうが、その実施を行い、直接被害に遭うのは当事者たる大学や第三者評価機関のほうである。こちらにはこちらの論理もあり都合もあり準備や態勢も入用なのだ。万一、この制度の強行によって、日本の高等教育全体に多大な混乱を生じさせ、あるいは評価の実行が不可能という事態になったとすれば、この政策を形成し、法律化し、決定した関係者と結果的に傍観したことになった大学関係者は、重大な責任を負わなければなるまい。
 筆者は何も大学評価そのものを無用としたり、実施に反対したりしているのではない。ただ、新しい事業を開始する場合は、なぜそれを行うべきかを徹底的に検討し、当事者間の理解を十分得たうえで、それを実施できるだけの資源(ヒト、カネ、モノ、時間)が用意できるか否かを検討し、少なくともある程度の期間の試行や実験を経てから実施に移すのが普通の段取りであろう。
 ところが全般的には、もう法律になってしまったのだから、なにがなんでもやるべきだ、やらなければならないという脅迫観念が支配的なように思えてならない。いくら法律で定められても、現実に実行できないような法令ならば、それは立法者に問題があるのであり、然るべき改善措置をとるよう政府に抗議するべきではないか。仮に、当初の方針を変更せざるを得なくなったときでも、いきがかりを改めることに躊躇すべきではない。走り出してから止まるよりは、過つ前に止まることの方がはるかに被害は少ないからである。もう決まったことだからなにがなんでも突っ走るというのは、兵の訓練も石油も武器もないのに、強大な相手を敵にまわして戦争を始めるというのに近いのではないか。
 少なくとも来年4月からの認証評価制度の発足にあたっては、以下の点を強く主張したい。
 機関評価は7年以内、専門職大学院は5年ごとに、自己評価と第三者評価を受けることが義務づけられている。しかし施行は2004年4月からであり、あと半年を残すばかりである。しかもその細目を規定する省令はいまだに発令されていない。新しく発足する、したがって十分な情報や経験もない当事者が、いきなり本番にあたるのは、仮免許なしに本番の自動車の運転を始めるのに近い。アメリカのアクレディテーション・システムは100年の実績と経験の中でたえず改訂を重ねているし、韓国の大学評価は実施前に14年にわたる研究と試行を重ねたという。少なくとも数年の試行・実験と評価の基準や方法の改善を重ねたうえでの認証評価制度の発足を強く要望する。そのことが認証評価制度を成功させる最低限度の条件であり、しかもこの制度は当事者である大学の納得と理解がなければ絶対に所期の目的を果たすことは不可能だからである。

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