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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.118
外国人学校卒業生の大学入学資格―是正すべき「公」の分裂

桜美林大学大学院教授 馬越 徹

はじめに
 去る3月、文部科学省は欧米の評価機関から認定を受けたインターナショナル・スクール16校の卒業生に対し今年度から大学入学資格を与える方針案を作成し、中央教育審議会(大学分科会)に諮ったとされている。予想されたこととは言え、この方針にアジア系外国人学校(いわゆる「民族学校」)17校が含まれていなかったことに対し、当該学校関係者はもとよりマスメディアからも非難の声があがった。また連立与党の一部からも強い反発がでるにおよび、政府(文部科学大臣)は3月14日の衆議院文部科学委員会において、「実施中のパブリック・コメントも踏まえ、十分検討を加えていきたい」と、当初方針の変更を示唆したとも取れる主旨の答弁をしている。この際、是非とも方針の変更に取り組んでいただきたい。

1、文部科学省の「国際感覚」
 今回の大臣答弁を通じて、この度の措置が、(1)昨年3月の「規制改革三カ年計画」という閣議決定に基づいてなされたものであること、(2)各種学校等の学校の入学資格認定にあたっては外国の第三者評価機関の評価を用いて行ったこと、が明らかになった。しかしこのことは同時に、今回の措置が、規制改革を推進する閣議決定という「外圧」によりやむを得ず打ち出されたものであること、またその認定(大学入学資格の付与)は文科省独自の調査研究に基づいてなされた判断ではなかったことを、はからずも認めた形になった。にもかかわらず文科省は、外国の第三者評価機関が行う認定を用いることを「客観的で国際的な行き方」であるとし、そのような「国際的な評価機関として認められているところを用いたら、結果的にアジア系外国人学校が含まれないこととなった」と大臣は答弁しているが、これを額面どおりに受け取ることができるであろうか。文科省のいう国際基準に「アジア」や「人権」という感覚が欠落していることは誰の目にも明らかである。
 そもそも文科省は、歴代の関係者の公式発言(国会答弁、通達等)を見る限り、アジア系外国人学校を学校教育法第一条に定める正規の学校として認める意思がないだけでなく、各種学校としても認可すべきでないという立場をとってきた。しかし周知のように、地方公共団体はアジア系外国人学校を各種学校として認可してきた経緯がある。そこで文科省はそうした各種学校の卒業生に入学資格を与えない理由を次のように説明してきた。すなわち、「各種学校の教育内容については法令上特段の定めがないので、一般的に高校卒業者と同等以上の学力があると認定することが制度上困難である」というものである。
 ところが2000年現在、公立大学は66校中34校(約52%)、私立大学は457校中228校(約50%)がアジア系外国人学校(各種学校)の卒業生に大学入学資格を認定し、受験を認めてきているのである。それは公私立大学が独自の調査研究を通じて、それらの学校の卒業生が「高校卒業者と同等以上の学力があるか否か」を判定する努力を積み重ねてきた結果である。一方、国立大学は設置者である国(文科省)の度重なる圧力により、一校たりとも彼らに入学資格認定をしていない。したがってアジア系外国人学校の卒業生は、大学入学資格検定(「大検」)を受験して合格するか、定時制・通信制高校などに通って高等学校卒業資格を取得する等、二重三重の苦労をしない限り、国立大学入試の前提となる大学入試センター試験の受験資格すら与えられないのである。一国の高等教育行政をあずかる文科省が、大学入学資格をめぐるこのような「公」(国と地方公共団体)の分裂を長年放置してきただけでなく、これまでの国会審議でも明らかなように、今なおそれを是正する意思がないことは、驚くべき行政の怠慢であると言わなければならない。
 やや資料は古いが、1997年2月20日の参議院文教委員会において民主党(当時)議員が、公私立大学の多くがアジア系外国人学校の卒業生に対し入学資格を与えている数字を提示して政府の見解を質しているが、当時の政府委員(文部省・高等教育局長)は「…公私立大学の一部にそのようなことがあるということは仄聞しておるところでございますが、…個々の状況につきまして調べることは適切でない」と、調査すること自体を拒否しているのである。この状況は残念ながら今も変わっていない。

2、国立大学のおそるべき怠慢
 しかしこの問題に関しては、文科省以上に国立大学に重い責任があると考える。筆者はごく最近まで国立大学に在職し、個人および有志レベルで学内外においてこの問題に取り組んできたつもりであり、今回の措置に対しても「民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明」(143七名)に署名した1人である。ところがこうした運動を何度繰り返してもこれまで文科省の厚い壁を崩すことができなかった最大の原因は、残念ながら国立大学の内部にあったといえる。より正確に言えば、大学執行部のこの問題に対する認識の欠落にある。筆者は国立大学在職中、学部・研究科の教授会はもとより全学の入試関係委員会や大学の最高決議機関である評議会等において、機会あるごとにこの問題を提起してみたが、ほとんどの場合、無視されるか継続審議という名の問題先送り(棚上げ)となってしまった苦い経験を有している。それは学長を頂点とする大学執行部が「文科省がノーと言っている間はノー」という態度を変えようとしないからである。99国立大学の学長の誰一人として、この問題に対して大学人としての信念に基づいた発言をした者がいないということは驚くべきことである。国立大学の精神はこれほどまでに衰弱してしまったのであろうか。
 国立大学のすべてが加盟する国立大学協会で入試問題を担当する第二常置委員会委員長(有力大学の学長が就任)に、外国人学校卒業者の入学資格問題を委員会の議題に取り上げるよう何度か要望したことがある。その都度、委員長はわれわれに対し、「何度も議題にあげようと努力したが、文部省(当時)から出向している事務官に事前に拒否される、そこで今後は議題の最後の『その他』のところで論議するつもりなので理解してほしい…」と、悲しくなるような回答を何度もいただいた。
 いまさら言うまでもないことであるが、外国人学校卒業者の入学資格判定作業は、公私立大学が真摯に行ってきたように、国立大学も文科省の言うなりになるのではなく、大学自らの判断で行うのが本来の姿である。アジア系外国人学校のほとんどが、インターナショナル・スクールよりも日本の学習指導要領に限りなく近い教育を行っていることは、これらの学校を訪問すればすぐに分かることである。文科省も国立大学も、外国の認定機関に頼るのではなく、自らの意志でアジア系外国人学校のカリキュラム水準や学校運営の実態を調査してみてはどうであろうか。そしてもう一つ考えておかなければならない重要なことは、この問題が日弁連や外国人学校関係者の指摘を待つまでもなく人権問題であるということである。ここ数年この問題に対しては、毎年のように国際機関(国連)の各種委員会から「人権侵害」事項として指摘され、改善勧告が出ているのである。政府は一貫して「そのような人権侵害はない」と言う立場を崩していないが、国立大学はその対応を政府任せにするのではなく、自らの責任において取り組まなければならない。

むすび
 狭い体験からではあるが、筆者が数多くの国公私立大学での授業を通して出会ったアジア系外国人学校出身学生は、学習活動におけるモラルとモラール(士気)の双方において日本人学生よりも高く、学力の面でも勝るとも劣らないと断言できる。問題なのは、彼らのほとんどが、日本国(政府)および国立大学に対する絶望的な不信感を持っている悲しい現実である。文科省および国立大学関係者は、アジア系外国人学校関係者の積年にわたる不信の連鎖を断ち切る手立てをこの際ぜひ講じてほしいものである。

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