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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.110
情報こそ大学経営の死活―大学に自己研究調査スタッフを

私学高等教育研究所主幹   喜多村 和之

 「彼れを知りて己れを知れば、百戦してあやうからず
 彼れを知らずして己れを知れば、一勝一敗す
 彼れを知らずして己れを知らざれば、戦うごとに必ずあやうし」
     『孫子』謀攻編・五
*   *   *
 「情報社会」「知価社会」「学習社会」等々のキーワードで特徴づけられるように、現代はおびただしい情報が生産されては消費されるのみならず、その陳腐化、消耗、変化のスピードがきわめてめまぐるしい時代である。しかも、情報過剰のなかで、捨てるべきノイズも多ければ、見逃しては命取りになる性格のものも潜んでいる。主要な情報媒体であるマスコミでも、大学にとって必要不可欠な記事が網羅されているとは限らない。たとえば私学にとって重要な意味をもつ最近の学校教育法や私立学校法の改正問題などは、大新聞ではほとんど扱われず、教育専門紙ですら十分にとりあげられていなかったように思う。マスコミだけに情報を頼ってはいられない時代なのである。
 私学経営にとって不可欠な情報を定期的に提供することも日本私立大学協会(以下、私大協)や私学高等教育研究所(以下、私高研)の役割のひとつである。その情報媒体として本紙があり、私高研でも本欄にその都度論説や解説記事を掲載したり、公開研究会を開いたりしている(そうしたわれわれの情報提供が私学の必要性にどこまで応えているか、加盟校の皆様にどのように読まれ、活用されているかは甚だ心許ないのが実情であるが)。ただ本紙がこのスピード時代に週刊で発行されていることはたいへんな強みであると思う。今日では月刊だと、問題を後から追認したり考え直すには有益でも、時々刻々に変化する情報の速報性という点で致命的な欠陥があるからだ。中教審答申が出て、その内容が法案になり、法律が成立してしまった後で、議論や反論が出ても遅いのである。世にはこうした時機を逸した後追い論議がいかに多いことだろう。
 毎月開催される私大協の理事会でも、私学の教学・経営に直接関係する情報が私大協事務局から提供されている。うずたかい資料の山をみる度に、いかに多くの関連情報が毎回生み出されているかを実感する。このほかにインターネットまで入れれば、入手できる情報は無限にある。配布された資料は、私大協のスタッフが懸命に収集した膨大な情報源のなかから、各大学の理事長や学長の先生方に必要不可欠なものと判断されたものばかりを精選したものである。高等教育の研究を専門としているわれわれ研究員にとっても、私大協の情報入手能力は抜群で、いつも未知の情報に迅速に接することができることに感嘆している。しかし、限られた時間内では、重要な情報の説明だけでも、理事会ではその資料の山の何分の一かについて触れられることができるにすぎない。
 多忙を極める大学経営のトップの方々はこの膨大な資料をどう処理されておられるのだろうか。専門に勉強しなければならない立場の者でも、量質多彩な情報群の全貌を把握し、その本質的意味を理解し、必要な行動の指針に活用するということは、決して容易にできることではない。
 どんな情報でも、その重要性ないし緊急性を判断したり、表向きの情報の裏に隠されている政策的意図や行政的意味を推測したり、さらに立ち入って調査・分析したりする必要性を判断するには、それなりの準備や専門的蓄積、そして何よりも問題意識や時間的余裕が必要である。日常の激務に追われておられるトップのなかには、そうした情報処理をひとりでこなされる方もいらっしゃるとは思うが、それは例外ではないであろうか。むしろ、目も通せず整理もできずに資料の山として放置されている場合もあるのではないだろうか。それではせっかくの情報も活かされないことになる。
 そこで僭越ながらささやかな提案をさせていただきたい。
 各大学に、大学問題に関心をもつスタッフ、教職員、場合によっては大学院生をスカウトして、勉強の素材として資料整理や要約の作成、レポートの報告などを本務とするポストを常勤なり非常勤なりで、せめてひとつでもつくることはできないであろうか。そうすれば、自分の大学のみならず大学をめぐる社会や環境の情報に通じた大学経営専門職の予備軍を養成するスタッフ・デベロップメントにもなりえるだろう。
 また経営トップに重要情報を提供したり、進言したり出来る参謀役にもなりえるかも知れない。諸外国の大学では、経営や教学のための情報収集や調査研究、コンサルティングに専念するスタッフや組織が置かれていることが多い。
 今日の高等教育をめぐっては、専門的知識や問題意識の持ち主で、或る程度の訓練がなくてはなかなか把握しがたいほど迅速かつ複雑な情報があふれている。こういう事態に対処するためには、すくなくとも大学院修士レベル以上の大学専門職人材を各大学に置くことは不可欠となっている。外国で高等教育の学位を取得した有望な青年たちも多く、日本でも大学を専門に研究しようという実務家も増え、そういう人材を養成する大学院も出てきている。しかしせっかく有望な人材が出てきていても、現実に採用しようという大学が少ないのは、きわめて残念なことである。
 そんな必要性も感じないし、経済的余裕もないという反論もあろう。しかし、孫子も言う通り、情報社会の時代に情報に遅れをとったら、すでに戦わずして負けなのである。その情報のひとつは「彼れ」を知ることで、具体的には自分の大学を囲んでいる社会や環境についての学外情報とそれが自己の大学に対してもつ意味や価値を的確に把握することであり、いまひとつは「己れ」についての情報、具体的には自己の大学がおかれている実情を率直に把握し、自己の長短や問題を冷静に分析・評価することである。この外部情報と内部の自己研究とが結合したとき、情報は強力な知識となって威力を発揮する。彼れをも知らず、己れをも知らなければ、戦うごとに必ずあやういのである。
 或る意味で情報は過多にあるが、重要かつ不可欠で、これをどう活用するかは、それだけの能力と分析のできる人材が要る。なぜなら「情報の収集と分析は、プロにまかすべき複雑な技能」だからであり、情報や人材に「余計なカネを使いたくなくて、そんなもの無しでもすませられる」と思っている経営者(F・W・ラストマン『CIA株式会社』毎日新聞社)が大学のトップであれば、自分の大学の将来に関心をもつスタッフがいない大学と同様に、そのような大学の将来は暗いのではないだろうか。情報や人材に対する投資は決して無駄な消費にならないと筆者は考える。どんな大学にも大学の在り方に関心をもつ人がいないとは考えられないし、その程度のパートやアルバイト代も捻出できない学校があるとも考えにくい。要は、情報を重視するか否かの判断である。そんなことはとっくに実行している大学ばかりならば、筆者の不明をお詫びするほかなく、日本の私学の将来はきわめて明るいと思うのだが、現実はいかがであろうか。

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