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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.103
1年次教育―日米比較 ―特別公開講座の講演から

日本学術振興会特別研究員 杉谷 祐美子

 近年、各大学では補習教育、1年次(導入)教育、入学前教育など、大学教育への適応を企図した教育実践が進んでいる。大学全入時代を目前に控え、こうした動きがしばらく緩むことはないだろう。
 私学高等教育研究所ではこの喫緊の課題に対応すべく「効果的導入教育カリキュラムの開発」プロジェクトを立ち上げ、その一環として2001年11月に全国の私立大学学部長を対象に1年次教育に関する実態調査を行った。その分析に携った身として、11月27日の特別公開講座のランディ・スウィング博士の講演を拝聴し、改めて日米の1年次教育の実情や背景を比較して考えるところを述べたい(講演録の全文は教育学術新聞2088号6・7面に掲載)。
 まずは、米国の1年次教育の大きな特徴として次の2点を指摘できよう。
 第1に、1年次教育を、授業科目だけでなく、1年次のあらゆる教育経験、すなわち「FYE(The  First-Year  Experience)」として包括的かつ統合的にとらえる姿勢がみられる。しかも、こうした営みは全米の大学において共通の課題と認められ、大学教育に不可欠な要素として定着している。事実、四年制大学の80%以上は1年次セミナーを実施しているという。
 第2は、第1の点にも関連するが、授業科目として設置する1年次セミナーをアカデミックな側面からだけでなく、学生のメンタリティにも配慮したプログラムとして構築している点である。これは学習面に限定することなく、学習を中心に大学生活全般への適応を目指した教育といえる。言いかえれば、新入生を「大学生」に仕立て上げるための教育なのである。
 これに対して日本では、むしろ「導入教育」と言った方が馴染み深いかもしれない。それでは、何に対する導入かというと、大学教育、それも「専門教育」への導入といった側面が強い。先の学部長調査では、専門教育への橋渡し的な知識・技能の教育、高校までに習得すべき内容の補習なども1年次教育の範疇に含めて質問を行ったが、結果は予想以上に専門学部志向であることが明らかになった。
 1年次教育に該当する授業科目1089科目を名称や内容をもとに類型化した結果は、基礎演習・専門基礎演習などの「ゼミナール型」科目、専門基礎・概論などの「基礎・概論型」科目が、1年次セミナーや自己探求など、大学への適応を目的とする「オリエンテーション型」科目を大きく上回った。さらに、科目ごとに授業内容を複数回答してもらったところ、全体としては知的動機づけや学習スキルの習得に重点がおかれているものの、学部間で開きがみられた。人文社会系では、ゼミナール型科目などを通じて動機づけやスキルの習得を行うのに比して、理系では基礎・概論型科目の中で補習を行い、各学部のニーズに対応しようとしている。
 このように、専門学部によって1年次教育のとらえ方や実施状況が異なることは、現状の1年次教育が、いかに専門教育の水準まで学生を引き上げていくかという視点から構成されたものであるか示していよう。したがって、日本では学部の垣根を越えた全学共通の1年次教育は本来可能なのか、可能な場合はいかなる目的に基づき、いかなる内容を組み込むべきか検討することが課題と思われる。
 こうした日米間の差異は、学部構成の差異など制度上の問題に起因することはいうまでもないが、スウィング博士の講演からは米国特有の事情も伺えた。
 その1つに、「リテンション(retention)」、すなわち他大学に転学させないように学生をとどめておくことが、財政基盤の強化に直結するという認識がある。というのも、学費はもとより、学生数が補助金の算定基盤になるからである。リテンション率の高さは大学の質の高さの証明であり、それゆえ1年次の教育経験は2年次での再登録を左右するきわめて重要な時期にほかならない。講演後の質疑では、少人数のセミナーを運営するための教員の手当てや、教員のトレーニングとして開かれる週に40時間の有料のワークショップなども話題に出たが、そうしたコストも大学側は学生数の増大による増収を見越しての積極的な投資とみなしているそうだ。
 もう1つは、高等教育の大衆化を支援してきた米国社会だからこそ、高校から大学への移行を人生の転換期として重く慎重に受けとめている点である。博士は、「高校の教育が仮に十分だとしても、大学への移行は、学生にとって大変チャレンジングな時期である」と述べた。まさにそれは、変化を伴う「転換期(transition)」なのである。大学への移行はそもそも学習面のみならず、生活面で、そして人生を切り開いていくうえでサポートを必要とするものではなかろうか。
 ひるがえって日本に目を転じれば、1年次教育が学力や学習意欲の低下といった負の文脈で語られることが多い。先の調査からも、学力低下が注目されはじめた1999年を境に1年次教育の実施大学が急増していることはみてとれる。他方、米国で1年次教育が広がった背景にも学力の問題は存在したようだが、少なくとも講演ではこの点は強調されていなかった。むしろ、学生数の維持・確保に向けての切迫した状況下で、各大学は1年次教育を大学教育の1部とみなし、積極的な戦略に位置づけてさえいるようであった。
 ところで、転学が容易でない日本の現状では、リテンション率を重視する米国の例は対岸の火事のごとく映るかもしれない。しかし、98年には大学設置基準が改正され、入学前・後にかかわらず、他機関での修得単位の認定を60単位まで可能とした。転学や転部など学生の流動性を拡大する方向は審議会答申でも提唱されている。早晩、日本の大学も学生数の確保から、その維持まで考えねばならない時を迎えよう。
 学力低下への対応といった対処療法的な発想からは、1年次教育に依然として既存の大学教育を踏襲するような補完的役割しか与えられないだろう。初等教育から高等教育にいたる全体構造の中で、人間形成も含めて大学教育の目的、内容、水準をいかに位置づけるか具体的に論じるとともに、長期的展望に立った戦略として、1年次教育のあり方を検討すべきである。

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