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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.62
能力と意識の開発を―独法化に備えての職員の専門職化

筑波大学大学研究センター長  山本 眞一

1、職員論の原点
 大学は教員だけのものではない。職員の支えがあってこそ、あるいは職員を抱える経営体がしっかりしてこそ成り立つものである。このことに対しては、誰もが異論を差し挟まないであろう。しかし、各論レベルになると途端に話は別になる。多くの大学では、大学の特性ではあろうが、教授会主導の素人経営という実態がある。必然的に、その教授会の権威をバックにした教員が上位に、教授会決定を実行する役割を担う職員が下位に位置付けられがちである。フルタイムで懸命に大学経営の支援にあたっている職員がその役割に相応しい処遇が与えられず、パートタイムで、しかも「雑用」と認識しつつ経営責任の一端を担っている教員に過大な権限が存在するという、まことに奇妙な取り合わせがまかり通っている。これが、大学経営に対する危機意識を有する有能な職員の不満の原点であり、その状況の改善が望まれてきた。
 私自身、かつて国立大学の事務局に勤務したことがあり、このことに対する強い不満を持っていたところ、たまたま私立大学の若手職員をメンバーの中核とする「高等教育問題研究会(まずはじめよう会)」(略称FMICS)の存在を知った。もう20年以上の付き合いになるが、この会が主催するシンポジウムやさまざまな研究会において、基本となる問題意識は、職員の位置付けの改善とともに、その新たな位置付けに相応しい能力開発、意識改革である。また、私が勤務しセンター長を勤める筑波大学大学研究センターで一昨年から実施している「大学経営人材養成のための短期集中公開研究会」においても、参加した多くの職員の不満は、有能な職員に相応しい役割が与えられない、職場の同僚の間に問題意識が見られない、前例主義に拘っていて新しい状況に対応する意欲がないなどであり、職員の位置付けの改善や資質・能力の向上にあることが分かる。

2、変わる諸環境
 しかし近年、大学をめぐる諸環境は大きく変化してきた。大衆化の進行とともに強まる学生のニーズの多様化や消費者意識の増大、科学技術の高度化に伴う研究活動の複雑化、とりわけ産業界との連携によって生じるさまざまな権利関係の整理の必要性、国際化の実質的進展による新たな諸業務の発生などはその代表であろう。18歳人口の減少によって大学と受験生との立場は逆転し、今や大学には、顧客としての受験生をいかに確保するか、また学生として受け入れた学生にいかに満足を与えることができるかという、実質的な意味でのサービス産業としての経営が迫られている。また、国立大学は、独立行政法人化の時期が迫り、従来のような「親方日の丸」ではなく、それぞれの大学が事後的に厳しい経営責任が問われるようなシステムに変貌せざるを得なくなっている。
 これらの事態に的確に対応し、大学が21世紀知識社会において主導的な役割を果たしうるようにするためには、大学を支える経営人材の質の良否が決定的意味を持つ。従来通りのアカデミックな論理に拘泥する教員と、その意のままにしか動けない職員という組み合わせの中からは、決して将来の展望は開かれないであろう。もっとも私は、今いる職員がそのまま教員に取って代わって大学経営の責任をとるべきだと言っているのではない。教員出身であれ職員出身であれ、大学経営に責任と能力を有する人材を育てる必要を主張しているのである。但しその際、職員の中から今よりも多くの有能な人材を育て上げるのが現実的な策ではないかと思っている。その意味で、国立大学の独法化はその重要な契機となるであろう。またこのことは、公立や私立大学においても同じような問題提起になるのではないだろうか。

3、現行システムの問題点
 さて、編集部からいただいた題は「独法化に備えて」ということであるので、まずは国立大学のことを述べよう。独法化により、国立大学には今より遥かに大きな経営上の自己責任とそれを裏打ちする自律的判断能力が求められる。学長と評議会、学部長と教授会との関係の見直しと同時に、職員組織の在り方や職員の能力向上策の見直しも必要である。
 ところで、国立大学の事務組織には私立大学にはない問題がある。それは、幹部事務職員が文部科学省人事で動くいわば「外付け」の部隊であるということだ。彼らは若年時に大学職員から文部科学省(現呼称)職員として抜擢され、文科省で仕事をした後、30歳台後半で大学事務局の課長として全国の大学に散らばっていく。その後は、文科省勤務を含めて、2、3年ごとに大学を異動し、最終的には国立大学事務局の部長や事務局長として公務員生活を終えることになっている。
 必然的に、大学の立場から自主的に大学経営を考えるよりは、文科省の意向をいかに大学首脳部に伝えるかということが彼らの仕事の中心になりがちであるし、大学経営に関する専門的知識を学ぶための時間的余裕にも乏しい。一方、幹部以外の職員は、同一大学に長く勤めるものの、案件の決裁ができるような職位につく機会に乏しく、したがって能力向上のインセンティブも弱い。つまり、先ほど教員と職員との関係で指摘した問題点が、ここでは職員相互の間においてもあるのだ。問題点の二重構造であるとも言えよう。

4、改善の方向
 文科省に置かれた調査検討会議は、昨年9月に「新しい『国立大学法人像』について」と題する中間報告を出し、事務組織について「従来のような法令に基づく行政事務処理や教員の教育研究活動の支援業務を中心とする機能を越えて、教員組織と連携協力しつつ大学運営の企画立案に積極的に参画し、学長以下の役員を直接支える大学運営の専門職集団としての機能を発揮することが可能となるよう」見直すとし、また、幹部事務職員を含めて大学職員の任命権はすべて各大学に属するとしている。つまり、職員組織の位置付けとともに、職員の二重構造についても何らかの改善を加えようとしているかに読める。
 このことが実現し、実際に運用が始まれば、事務職員の立場はかなり変わることになろう。もっとも、問題は職員組織そのものだけではなく、職員自身の向上意欲にもよっている。私は昨年2月に、全国の国公私立すべての大学を対象に、事務局長および40代中堅職員1300人に、職員の資質・能力向上方策に関するアンケート調査をした。紙数の関係で調査結果の全貌(平成13年6月9日付け日本経済新聞教育欄参照)を紹介することはできないが、大多数が、経営戦略等の企画能力の向上、知的財産権の処理など最近注目されている新しいタイプの専門知識を学ぶ必要性を感じており、とりわけ、国立大学事務局長にその傾向が強いことが、現状との対比を考えるにつけ、大変印象的であった。
 今後大学をめぐる経営環境がますます厳しく、かつ競争的になる中で、大学の経営能力の良し悪し、ひいてはそこに働く職員の質が大きな意味を持ってくる。10年1日のような安定的職場であるという意識ではもはや許されない。それは国立のみならず、公立、私立大学の場合も同様なのである。

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