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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.52
自己評価と第三者評価―私大はいずれの路線をとるのか

私学高等教育研究所主幹  喜多村和之

 「遠山プラン」の「トップ30大学」構想が発表されて以来、賛否の論議が盛んだが、受験産業やマスメディアには、はやくも「ベスト30」の予想ランキングまで現れた(朝日新聞平成13年10月3日付夕刊)。この序列に入るか否かは、大学間の資金獲得競争の成否にとどまらず、入学試験の難易度や人気度にまで影響を及ぼすと考えられているからであろう。これから大学間や教員・研究者間の威信をかけたなり振り構わぬ競争が、日本の大学を覆うことになるのではないか。思えばこれと似たような競争は、10年前の国立大学の大学院重点化政策で経験済みである。このときあらそって重点化大学院に乗り遅れまいとした大学では、「〇〇大学大学院教授」という肩書きの教官を多数輩出したが、この政策によってどのような教育研究上の質的向上が達成されたのか、いまこそが文部科学省は政策評価の対象として、その結果を明らかにすべき時期ではないか。
 「沈滞した」日本の大学に刺激を与え、互いに切磋琢磨させるために、トップ30という目標を与え、「公正で客観的な」「第三者機関」によって厳正な評価(ムチ)を行い、順位を決めて、資金というアメをインセンティブとして提供する、というのが「遠山プラン」の筋書であろう。しかし、このシナリオが意図通り達成されるためには、次のような疑問がクリアされている必要がある。すなわち
 @研究・教育の質的向上のためには、こうした重点投資政策は有効な戦略であるか
 A評価を公正かつ厳正に行えるだけのインフラ、方法論、データの裏付けや蓄積があるか
 B評価と資源配分とを直接結びつける方法は、長期的にみて教育・研究の質の向上発展につながるのか、またカネを集中投資さえすれば、真に向上が期待されるのか
 C「トップ30」を上限とする重点政策は、それ以外の大多数の高等教育機関から構成される高等教育システム全体の向上とどのように構造上つながっているのか
 等々といった問題が解明されていることが前提となる。しかし、今日までのところ、これらの重大な問いに対する明確な答えはまだ明らかではない。
 日本では、評価は大学以外の第三者機関によって行われるのが公正かつ客観的で、評価は資源配分のために必要かつ有益な手段であるとの前提が支配的になっているようにみえる。その第三者機関とは官製の「大学評価・学位授与機構」か有識者による専門委員会のようなものが考えられているようだ。国や官の機関なら公正で客観的な評価を下せるなどということは保証の限りではない。官は官の論理や利益に基づいて評価を運用するだろうからである。ましてや評価にカネの配分が絡むとなれば、そのこと自体が強大な権力であり、学校も研究者もいかに資金を獲得するかという方向に一斉になびく恐れがあり、さまざまな弊害も出てくる可能性も少なくない。だからこそ評価と資源配分が連結する方式は多くの国で慎重に避けられており、その本家たるイギリスでも強い批判がある。
 大学は評価に対してどういう態度をとろうとしているのだろうか。国立大学においては大学評価・学位授与機構に全面的に依存するとの傾向が窺われるようだ。私学においては資源配分と結びついた第三者評価機関はまだ存在しない。当研究所も私学の特性に配慮した大学評価システムの構築を研究課題の1つとしている。
 大学評価に対しては、次の2つの立場がある。
 ひとつは、大学評価とは大学の教育・研究の質の向上と保証をはかることであるが、その内容を知り、且つ責任をもって実行可能な者は大学(教職員と学生)のみである。したがって評価は自己改善のために大学が自律的かつ主体的に行うべきもので、外部者や政府の脅しや管理に奉仕すべきものではない。つまり大学こそが自己評価・外部評価に責任をもち、他者にこれを委ねるべきではない、という主張である。
 これに対して、いまひとつは大学の自己評価は独善に陥りがちで、質の向上や自己改革は実行不可能である。したがって、大学評価は大学とは利害関係をもたない他者ないし第三者機関によって客観的に行われるべきである。また公的資金の支出は国民に対する説明責任にたえうるような客観的な外部評価に基づいて資源配分されるべきだ、という主張である。
 前者をあくまでも大学主体を貫く大学自主評価路線と名付けるとすれば、後者は大学不信に基づく外部の第三者評価路線といえよう。現実に行われている評価システムは、ほとんどがその中間的・折衷的形態をとっているが、前者の典型はあくまでも大学のボランタリーな、非政府型評価をとるアメリカの「基準認定(アクレディテーション)方式」だとすれば、後者の典型は高等教育の評価を行う第三者機関によって資源配分をするイギリス方式ということができるだろう。オランダは両者の中間に位置付けられ、フランスは第三者機関による評価を行っているが、イギリス方式のようにこれを資源配分に結び付けてはいない。
 日本の大学評価は、当初はアメリカ型の大学自己評価路線をとっていたが、国立大学はイギリス流の第三者評価路線に移行しつつあるといってよいであろう。私学はどのような評価システムをとろうとするのか。はっきりしていることは、大学が自ら自主的な自己評価を行い、これによって大学の主体的な自己革新が可能であることを世間に納得できるような形で示すことができないかぎり、大学以外の第三者機関によって評価を受けることにならざるを得ない、ということである。すでに第三者評価を求める世論はひろく浸透しつつあるように思われる。

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