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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.43
日本の科学政策と研究費―第6回公開研究会の議論から

広島大学助教授  米澤 彰純

 去る7月17日、当研究所第6回公開研究会が行われた。今回のテーマは「私立大学における研究費の確保をどうするか」というもので、早稲田大学理工学部の竹内 淳助教授と、日本学術振興会理事長・前文部事務次官の佐藤禎一氏の話を伺った。当研究所の喜多村和之主幹は、今回の研究会の背景として、日本の21世紀は、学術・科学技術政策の振興にかかっており、このためには研究資源が必要で、これを根底から支える科学研究費補助金(科研費)をいかに確保するかは官民共に最重要な課題、とりわけ、学生納付金に大きく依存している私立大学にとって極めて切実で困難な問題であると語った。本稿は、研究会での議論を筆者なりのコメントを交えながら要約する。
 竹内氏の議論の中核は、国の科研費の配分に官民格差があり、そのことが日本全体の研究能力を弱めているのではないかという問題提起である。氏は、日本において官界と学界だけが国立大学出身者が多いという議論から始める。現在高等教育卒業者のマジョリティが私学出身者であることを考えれば、これは当然であり、氏は、日本の高等教育の重心は私立大学にある、そこをよくしなければ日本の高等教育はよくならないと主張する。他方、研究業績を見た場合、特にデータベース等で集計可能な論文数では国立大学の明らかな優位が証明される。氏は、学生・教員の資質に国立と私立の差はないとの前提にたった上で、その研究のあり方の圧倒的な違いをインセンティブの問題であると言う。氏は、日本の中でもっともオープンに近い中核的研究費である科研費をとりあげて議論を進める。まず、採択率では国立と私立のトップ校の間に大きな差はないのに、一件当たりの配分額に差が見られることを示した。また、科研費の額と論文数は非常に強い相関がある一方で、東京大学や京都大学といった科研費総額の大きな大学で研究費あたりの論文生産性の飽和傾向が認められる。具体的には、東大は一億円あたり30件の論文が生産され、早稲田大学や慶応大学では、1億円当たり50件となる。これを非常に単純に考えれば、論文を書いている割に科研費をもらえていない、すなわち、公平ではなく、私立大学に集まる多くの才能を十分に活用していないことになる。竹内氏はこの背景として、日本学術振興会の審査プロセスの問題点を指摘する。第一は、過去の成果に縛られるため、一度できた官民格差の構造が再生産される傾向があること、審査委員の8割以上が国立大学の、それも圧倒的に50代以上の男性の教授に偏っていることである。一方、近年の申請数の増加にも関わらず、10万件の申請をたった4,000人で審査していること、これに対して、未確認とした上で米国のNSFでは3万件の審査に3万人が動員されており、かつ、審査員に多様な年齢、職層、性別、障害者等が含まれることが紹介された。
 氏の議論は、基本的には私立大学に対して研究費を増やせば研究成果はあがるというもので、単純なだけに説得力がある。同時に、テクニカルなコメントを述べれば、データの制約があることを認めた上で、もともと研究費の多い理工系・医歯系のシェアが高い国立大学と、そのシェアが低い私立大学の間で1件あたりの額を比べることはどうみても乱暴で、『採択一覧』の分野別集計などを行う工夫が考えられること、博士課程や研究者養成に議論を絞れば、研究の中核を握るこれらの人々は現在も国立にマジョリティが在籍していること、私立大学では、学費の競争力が高い社会科学系に比べてそうではない理工系・医歯薬系では比較的強い志願者の国立志向があること、また、これは佐藤氏からの指摘であるが、そもそも私立大学の教員が申請に熱心でない傾向があること、東大・京大の生産性の低減・飽和状況は、慶伊富長氏(北陸先端科学技術大学院大学前学長)が指摘したこれ自体がnaturalな範囲であるという解釈以外にも、これらの大学は複数の大学の研究者にまたがる大プロジェクトの研究代表者になる傾向があり、これらの研究費が該当大学内ですべて使用されているとは限らないという反論が可能なことである。これらの点を差し引いても、氏の、このような問題提起や発言を私学の人がもっとしていくべきだという主張は説得力があり、オープンな議論を重ねていく必要がある。
 続く佐藤氏の議論は、国公立と私立とをあわせた、全体の研究資金のパイをどうに増やしていくかということに力点が置かれ、現在の学術研究における振興政策の概要が手際よく紹介された。氏はまず、省庁再編成と学術研究振興体制の動向として、総合科学技術会議が内閣府の中に創設された経緯を説明した。これは人文科学を含めたすべての分野を視野に入れ、省庁横断的に科学技術政策の強化を狙ったものである。次に氏は、第2期科学技術基本計画の概要について説明を行った。科学技術基本計画の第1期は1996〜2000年を対象とし、社会的経済的ニーズに対応した基礎研究を重視し、5年間の科学技術予算の総額規模17兆円という目標を実現した。今回の第2期では、科学技術の成果が社会へ一層還元されることが求められると同時に、GDPの1%にあたる予算規模の確保という新たな達成目標が与えられた。また今回の計画では、重点分野の設定を国としてはじめて示した。重点分野としては、ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー(超微細技術)・材料の四分野が示された。これについては、学術関係者から「目標設定が短期的すぎる」と批判され、「研究者の自由な発想に基づき、幅広く」基礎研究を実施するとの文言が与えられ、引き続き基礎研究重視の方針が貫かれている。その一方、システム改革の提言もなされ、競争的研究資金の拡充や社会とのチャネルの構築などが模索されている。最後に、学術研究振興上の検討課題例として、@研究活動に対する公財政支出の確保、A重要分野への対応と基礎研究の重要性、B大学にふさわしい学術研究助成システムの確立、C人文・社会科学を含めた総合的な研究活動支援、D長期的視野にたった研究者の養成というポイントが語られた。
 では、私立大学がいかに研究費を確保するか、というとき、佐藤氏の、そもそも科研費のシステムは設置者間の区別をもたず、分野間の配分も含め、基本的には配分は申請件数の分布によって決まるという方策が貫かれているという指摘は重みがある。竹内氏は、これに対して、長い歴史の中で私立大学の教員が科研費の申請へのインセンティブが冷却されてきたのだという反論を行っているが、まず、申請数を増やそうという行動自体は、現在の中でかなり有効な手段だと考えられる。筆者が知る一例としては、朝日新聞社の大学ランキング調査で教員一人あたりの科研費配分額で私立大学のトップにたつ豊田工業大学をあげることができ、これは大学側が近年外部資金取得のための戦略的行動に乗り出したことの成果であると考えられる。
 また、私立も国公立も含めて、科学技術の振興を訴えること自体は大変崇高な使命の文章化も含め努力が図られる一方、具体性に乏しいという指摘も私学関係者が共有すべき問題であろう。最後に、佐藤氏自身があまり賛同が得られていないとした、大学関係者によるトップダウン的な重点的配分の可能性については、フロアからも質問が出たが、学術会議自体のやや保守的な構造を含めて、どれほど実効性や正当性があるかは、かんり難しい問題ではないかと感じられた。アバウトな感想としては、科学技術の研究の話は、そもそも市場や経営的発想にのりにくい、学問共同体としての「夢を語る」部分をどうしても含む。財政的にシビアな状況におかれ続けてきた私学経営者がこのようなとらえどころのない研究面ではなく、確実に需要が存在し、市場をとらえることができる教育面に、経営の重点を置き続けてきたことは偶然ではあるまい。今私学に求められているのは、その厳しい経営状況に関わりなく、「研究資金をいかに確保するか」という問いではなく、「研究という人類の夢を語る作業に、いかに関わっていくか」であるのかもしれない。

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