平成26年8月 第2575号(8月20日)
■改革の現場
ミドルのリーダーシップ <66>
経営改善計画に基づき着実に成果
戦略的な広報で受験生集める
長崎国際大学
長崎国際大学は、2000年、学校法人九州文化学園が人間社会学部の国際観光学科と社会福祉学科を擁して設立し、2002年健康管理学部、2006年薬学部を設置した。建学の精神は「茶道文化」とユニークで、長崎県ゆかりの「平戸松浦家伝来武家茶道鎮信流」を取り入れて各設置校の授業科目になり、特に短期大学では卒業試験に茶道があり職員も必須となっている。国際観光学科は隣接するハウステンボスを中心にインターンシップが充実し、留学生とともに学ぶ体制も取っている。ちなみに、学生はハウステンボスにフリーパスで入場できる。大学は認証評価で再評価となり、文部科学省の学校法人運営調査も入るが、現在は学生募集も好調、経営は黒字に転換した。どのように転換できたのか、中島憲一郎副学長、鶴ア耕一事務局長、松瀬太郎事務局次長、松永一臣経営企画室係長等に聞いた。
県北に4年制私立大学がないから、と佐世保市長に設置を請われたことが大学開設のきっかけだった。佐世保出身の長崎県知事とも意気投合したため、県と市、法人が出資し合う公私協力方式で設立。「市議会や県議会に決算報告の義務はありますが、当時の市長が『大学経営にあれこれ口を出すな』と指示したので、特に市や県から要望などはありません」と鶴コア事務局長は述べる。
開設当時から財政は厳しかったが、薬学部新設直後により一層厳しい局面を迎える。完成年度を迎えるまでは収入と比較して支出超過となるためだ。2007年にタイミング悪く認証評価が重なり再評価となり(2009年に認定された)、2010年に、学校法人運営調査が入り、ここで財務上の指摘を受ける。「この時、教職員が一丸となって、大学を総合的にどのようにしていくかを考える契機となりました。経営改善計画の策定を主導したのが経営企画室でした」と松瀬次長は振り返る。
安部直樹理事長・学長のリーダーシップが大いに力を発揮した。開学当初より月に1度の全学教授会・学部教授会には出席していた。2012年4月に学長も兼務してからは、教授会ではFDと称して大学の問題点や教育改革の方向性を話す。意思決定も早く、副学長、学部長など学長を支援する体制が整っているので、理事長と学長の兼任体制が十分に機能している。
幹部職員が参加する「責任者連絡会(週1回)」にはできるだけ出席する。SDも理事長・学長の講話が主で、時流の課題について語りかけ、職員に考えさせる。こちらも学長就任後、頻繁になり昨年度は13回実施。毎朝の朝礼では週に2回程度理事長が意向も話すため、理事長の考えや認識が直接現場に伝わる。経営と現場の認識の一致こそが組織力であると言える。
学生募集も一ひねりある。2010年から入試・募集センターが指揮を執り、取り組みに戦略性を持たせ、財務計画と連動させ、事業計画も厳しく作成した。「例えば、新聞の連合広告には参加せず、独自に長崎県・九州全域の新聞にパブリシティを打ちます。ラッピングバスやTVスポットでもCMを打ち、効果的に広報を行っています」。と中島副学長は説明する。薬学部から卒業生が出て、求人が多く集まると受験生が盛り返し始めた。受験生の半数以上は九州全域から集まり、長崎県北部ということで佐賀県からも呼び込める。最近は沖縄から多く来ているという。
更に、合格者全員に、合格通知とともに教員が分担した直筆の手紙を添え、歩留率を向上させている。こうした教職員一体の努力と工夫が学生数の増加に結びついている。「教員には、学生募集や財務状況を伝え、『消費収支の黒字』がどれだけ大変かを分かってもらいます」と松永係長。教員の協力を得ることは大学改革の必須であるが、厳しい経営の現状をそのまま伝えるところから始めるしかない。予算編成は24年度時から赤字にならないために人件費の見直しや施設設備費の細かい無駄を削った。結果として支出削減と学生が増えたことで、2012年は財政黒字に転換した。
危機には中国語でチャンスという意味もあるという。長崎国際大学は、まさに危機を改革の好機ととらえ、上昇路線に転換した大学と言えよう。
外部評価を重視し達成指標で厳しく自己評価
桜美林大教授/日本福祉大学園参与 篠田道夫
長崎国際大学は、2000年に長崎県と佐世保市、地元財界の公私協力方式で誕生した新しい大学だ。しかし、法人は1945年に九州文化学院としてスタートしてから約70年の歴史がある。大学名は国際だが、人間社会(国際観光、社会福祉)、健康管理、薬学の3学部を擁する、人間に関わる総合的学部構成で地元の期待に応える。
創立頃より特に顕著になった大都市集中傾向の中で、入学定員確保が厳しくなった。ボトムは2010年、定員の65%まで落ち込んだが、2014年の入学者は、健康管理学部と薬学部はほぼ定員を満たし、収容定員でも9割程度まで回復、財務の黒字化を達成し、経営指標も改善させた。
如何にしてこうした改革が実現したか。その力の根源は何処にあるか。
大学創設以来、帰属収支は赤字、これに定員割れ、高校移転による多額の債務も加わり財務を圧迫した。2007年には中期財政計画を策定、経営改善を図るが成果が十分上がらない。そこに同年、認証評価があり、財務面や理事会運営について改善指摘、2011年には文科省・学校法人運営委員が調査に訪れ、第三者による評価の重要性を認識、これらの指摘に基づき経営改善計画を策定した。これを徹底して全学に浸透、全教職員説明会の開催、理事長が教授会に出向き、また学科会議でも説明、以降、この改善計画があらゆる活動の中心軸となる。
まずは学募活動の強化。入試センターと募集企画センターを統合し、入試・募集センターとして一元的運営を行うと共に、募集状況を毎月の経営・教学・事務トップの集まる運営会議で報告、全学での情報共有化を徹底した。経済的困窮者に対しての奨学金制度を拡充、学費減免と特待生も充実した。募集地域として熊本、大分、鹿児島、沖縄(93人が在籍)を重視、ニュースリリースやホームページを徹底的に充実した。更には教員が合格者全員に自筆の手紙を出すこととし、1人5〜6人を分担するなど受験生1人ひとりを大切にする広報に徹した。
就職にも力を入れた。キャリアセンター利用者も延べ3000人を超え、就職率は94%を確保する。
教育も、個々の学生の実力を付ける教育を重視、ポートフォリオやリフレクションカードを活用、出席情報のみならず、授業の理解度、質問事項、事前・事後の学修状況、更に、授業の方法・進め方、配布プリント、質問への回答、確認事項等を記載、授業改善に生かす。SAを52人置き、ピアサポートも重視、ハウステンボスへの長期インターンシップなど体験型学習を徹底する。
優れているのは、自己点検評価報告書《教員個人による諸活動について》で、各教員が掲げた3つの教育目標に対し自己評価し公開する仕組みである。学生による授業アンケートで満足度が低い場合は学部長が指導・助言、教員相互の授業公開も実施、すでに薬学部は全員が終了した。職員の方も先行して人事考課制度を導入、毎朝の職員朝礼で方針や情報を周知する。FDも2012年度は13回実施するなど活発で、SDも含め、理事長・学長が直接講話する機会が多く、トップが改革の先頭に立つ。
理事長・学長や幹部が、経営改善計画を本気で実行すべく、計画に基づく経営規律を全学に徹底した。常に、全ての改革の基軸を、この計画の達成を基準とし、また、その精神を全教職員、全組織に徹底し浸透させている。そして、こうした計画の具体化と推進に経営企画室が大きな役割を果たす。
経営改善計画と事業計画、予算編成の有機的関係を作り上げ、計画の実践に現実性を担保した。この大学を動かしてきたのは、経営の再生にはこれしかないというトップの確信と、その認識を共有した教職員の力、推進体制の構築によるところが大きい。
この大学は、もともとトップダウン型ではない。しかし、危機に直面し、認識を一致させ、経営改善計画を自らの計画として教学、経営、財政、学募、就職のあらゆる場面に貫き、その到達目標で自らを厳しく評価することで、確実な改善を成し遂げてきた。この大本に、経営・教学・事務一体の運営会議がある。この、派手ではないが真摯な取り組みの中にこそ、成果を作り出して来た根源的な力がある。