平成26年4月 第2561号(4月23日)
■改革の現場
ミドルのリーダーシップ <63>
移転経て定員確保
地域ニーズ応える学部新設・改組も
南九州大学
南九州大学は、1967年、宮崎県高鍋町に、全国でも珍しい園芸学部に園芸学科と造園学科の2学科を有する単科大学として開設された。2002年に環境造園学部を増設し、2003年には宮崎キャンパスを開設し、短期大学と法人本部を移設し、健康栄養学部を新設。2009年には都城キャンパスを開設して環境園芸学部環境園芸学科、2010年には人間発達学部を設置した。現在は2キャンパス(厳密には三キャンパス)に3学部を展開している。一連の改革はいかになされたのか、長谷川二郎学長・理事長と黒木博昭企画広報課長に聞いた。
同法人は、1962年に宮崎市に宮崎高等学校を設置した事から始まり、3年後に南九州短期大学、その2年後には南九州大学を新設した。しかし、経営上困難な問題が発生したため、混乱の時期が続き、宮崎高等学校は1974年に学生募集を停止することになった。その状況の中で、当時の理事長のトップダウン方式の強いリーダーシップの下に、徹底した経費削減に取り組み、経営の健全化を達成した。しかし、施設設備費、研究費、人件費等の支出が極端に絞り込まれたことへの「反動」か、その後、理事長が死去されたこともあり、「民主的」な学園運営を求める機運が高まり、教職員の声が教授会、理事会に反映されるシステムが作られていった。その最も大きな改革は、学長選挙の導入と大学学長と短大学長の理事会での権限強化である(前理事長時に、大学学長が理事長を兼務する形が定着した)。
前学長・理事長は、将来的な少子化に備えるために、積極的な改革に取組み宮崎キャンパスの新設、かねてより誘致活動のあった都城市への園芸学部及び環境造園学部の2学部を環境園芸学部1学部に改組して、移転を決定。これについて、学内では賛否両論があり、学長選挙の争点にもなり、移転元の高鍋町からは激しい移転反対運動もあったが、学長・理事長の強い信念に基づき、この改革を断行した。これらの改革により、宮崎キャンパスでは新設した学科(管理栄養学科)が学生確保のための大きな力になり、高鍋キャンパスでは定員の半分にまで減少していた環境園芸学部も都城キャンパスに移転してからは入学者数が増加に転じ、一定の成果をあげることになった。2009年に前学長・理事長の任期満了に伴い、現在の長谷川学長・理事長に交代した。長谷川学長は、対話を重視した経営と運営を心がけ、多くの委員会に議長として出席し、表に立って議論を行う、対話重視の姿勢をとっているが、「この変化の激しい時代にそれでよいのか、という疑問もあります」とも述べる。
長谷川学長・理事長体制が始まって、最初に行われた改革の一つが経営企画戦略室の設置だ。長谷川学長の諮問機関であり、学長と職員のみで構成される。大学の状況を分析し、将来どのような大学を目指すのかといったことから、ざっくばらんに現場の提案を議論することまで様々に活用されている。職員側も、当初は戸惑ったものの、経営に提案が出来るこの仕組みを歓迎した。この戦略室をブレインに、教職員説明会を四月に開き、事業計画等について全員と論議する。学部教授会はなく、全学教授会を教授会として学長が開催。全ての質問に学長が答える。
教学面について、「もともと地域貢献事業と相性の良い健康栄養学部や人間発達学部が地域における大学の知名度を高め、管理栄養士、教師の採用試験合格率の高さが学生募集に貢献しています。環境園芸学部は、全国の農業高校で教師を勤めている本学のOBの存在が、学生募集のための大きな力になっているが、これからは、他の大学とは違った本学ならではの特色ある教育・研究によって評価される学部を作っていくことを目指さないと本当の意味での改革に繋がりません」と話す。
現在では、高鍋町とは友好的な関係を結んでいるという。「ただし、大学としては実質三キャンパスの管理運営を行うという意味で効率が悪いのも確かです。特に高鍋キャンパスをどのように利用していくかが今後の課題です」と述べる。
偶然にも、トップダウンとボトムアップを繰り返してきた経営である。トップダウンであれば、経営の意思決定は早いが、現場の不満は残る。一方、ボトムアップだと、現場の納得は得られるが、部分最適になりがちで、抜本的な改革はやりづらくなる。同大学は、経営企画戦略室を設置することでそのバランスを取っているとも考えられる。
直接統括と対話で改革を断行
桜美林大教授/日本福祉大学園参与 篠田道夫
地方にあり厳しい環境の中でいかに現状を脱却し、大学評価を飛躍的に高めるか。大学発展の方向を導き出し、形にし、実行していくことは、多くの大学にとって正解のない戦いである。ましてや南九州大学のように、オーナー系ではなく、学長は選挙で選ばれ、伝統的に教授会を基礎とするボトムアップ型の運営を行ってきたところで、現状を一変させる抜本的な改革には困難が伴う。
2000年前後から志願者が減り始め、全ての学部で学生確保が難しくなり、事態打開へ全学あげて改革に取り組んできた。この間の改組・改革を、事業計画(2013年度)では「本学園のあらゆる人的資源・物的資源・財政資源を投入しての時代の流れに対応する生き残りをかけた戦い」と位置づける。
2000年には宮崎市内に新校地を購入、短大を移転し、管理栄養士を育成する健康栄養学部を新設した。さらに2011年、創立の地、高鍋町から都城市への移転を断行、園芸学部と環境造園学部の2学部を環境園芸学部1学部に統合し定員削減、さらに新学部、小学校や幼稚園教員を養成する人間発達学部・こども教育学科を設置した。宮崎キャンパスは交通の便が良く、都城キャンパスは市からの大学設置のための資金援助があり、17万都市で大学は空白、唯一の大学として地域の支援が受けられる。
創立以来の理念「人間と自然の共生」「食・緑・人」の教育は、1地域を超えて持続的社会の形成という全国、さらに地球規模での貢献を目指す。今も環境園芸学部は8割の学生が県外出身で、開学45年、1万人の卒業生のうち300人を超える農業高校教諭を輩出、園芸・造園分野の高等教育機関として強い特色を保持している。ここにこの大学が持つ根源的な力がある。
この、園芸・造園を中心とした創立以来の伝統学部の一層の差別化と地元人材育成、地域ニーズに応える地域密着型学部の二つの性格の異なった学部の組み合わせを作り上げた。この効果で2009年には1064人までに落ち込んだ学生数が2013年には1300人を超え、次年度には定員を確保できるところまで回復した。これと並行して数億の赤字を計上していた財政も大幅改善の見通しである。
こうした改革はどのようにして実現されたのか。学長は選挙で選任され、学長が理事長に選任されることが慣例だ。オーナーはおらず、教職員の意思が反映する管理運営システムである。教授会は教学の最高意思決定機関と位置付けられ、大学の方針に重要な役割を果たす。
ボトムアップ型で、一般的には抜本改革が進めにくい組織運営である。それでも重要な方針の決定・執行には理事長・学長のリーダーシップが発揮されている。もちろん危機進行は現実で、それは構成員には程度の差こそあれ浸透している。ここに、如何に正しい改革方針を提起し、説得し、動かすことができるか。
長谷川理事長・学長は就任と同時に経営企画戦略室を立ち上げ、総務企画部長が室長を兼務、改革方針の一義的な検討、素案策定体制を作った。改革委員会は学長、副学長、学部長、教学役職、事務局長、事務部長が委員となり、教育・研究、組織・機構、管理・運営、施設・設備などあらゆる面の改革改善、推進を行う。教職員間のコミュニケーション、意見調整、意識の共有化を図っている。理事長・学長兼務を生かし、法人・大学のほとんどの組織は法人役員と大学管理者が兼務しており、経営・教学・事務一体、教職協同による組織運営体制が構築されている。
3学部体制だが学部教授会を作らず大学教授会として一本で運営、ここを直接理事長・学長が統括、議案の提案から質問への対応、説得にあたる。それ以外の教学・経営会議の多くも理事長・学長が主宰、また各種委員会等に可能な限り出席し直接対話する。意見を良く聞くボトムアップの伝統を壊すことなく、しかし、経営企画戦略室や常務会、改革委員会で決めた方針を基本的に貫き、その議論・説得過程を通じて全学合意を作り出し、改革意識を浸透させてきた。
これが風通しは良いが痛みの伴う改革には不向きな組織体制の弱点を克服し、キャンパスの新設、全面移転、学部増設と抜本的改組など強い改革路線を実行に移し、志願者増、定員確保を実現してきた。こうした努力の積み重ねの結果として、強いリーダーシップを作り出している。