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平成26年1月 第2549号(1月15日)

高等教育の明日
 われら大学人 〈42〉
 全日本学生弓道で快挙の東日本国際大弓道部監督
 白石吉徳さん(48)

 痛快ではないか。東北の小さな大学の弓道部が全国大会で都市部のブランド大学を次々に打ち破って男子が準優勝、女子が優勝という快挙。東日本大震災による弓道場崩壊という苦難を乗り越えての栄冠。東日本国際大学(田久昌次郎学長、福島県いわき市)の弓道部は、昨年11月の「全日本学生弓道王座決定戦」で、この偉業を成し遂げた。昨年8月の「全日本学生弓道選手権大会」で、女子は優勝を果たしており2冠を達成。弓道部を指導するのが、同大広報課長・入学課長の白石吉徳監督。「監督を引き受けた頃は全国大会出場なんて夢だった」という。大震災から2年8カ月、法人設立110周年の節目の栄光。東北と同大の底力を全国に発信した。いかに、この快挙を成し遂げたのか?「楽しいのは、学生達と一緒になって試合の結果を共有できること」と謙虚な白石さん。この監督にして、この選手あり。

大震災を乗り越え栄冠
男子準優勝 女子優勝 実力に加え運、勢い、流れ

 2011年3月11日の東日本大震災で、同大の弓道場は崖崩れと校舎の崩壊で使用不可能に。「仮の道場で練習を再開しましたが、屋根はあるが壁がなく風雨はしのげませんでした。地面もコンクリートで靴を履いての練習でした」
 新しい弓道場が完成したのは、大震災から1年2ヵ月後の翌12年5月。こうした未曾有の苦難から全国の頂点に。昨年11月の男子が準優勝、女子が優勝した学生弓道王座決定戦は、弓道における今年の大学日本一を決める大会だった。
 これに先立つ、女子が初優勝、男子団体が3位に入賞した全日本学生弓道選手権大会では、男子個人戦で渡會和樹選手が3位入賞。この活躍に、福島県体育協会は同大弓道部男子と女子チーム、優秀選手として渡會選手、優秀指導者として白石監督を表彰した。
 「実力ある選手が、いまの4年生に揃っていました。これまで実力を出し切れていなかった。今年は、実力が出ていいと思っていた。弓道部OBには『今年は入賞が狙える』と言っていましたが、この成績にOBも驚いていた」
大活躍の背後に東日本大震災があるといわれた。「東北の力を見せつけたいと思った。苦労した選手たちに優勝は無理でも入賞はさせたかった。選手には困難な環境でも努力すれば報われることを証明したいと言う気持ちがあったと思う」
 それだけでしょうか?「技術だけは日大など強豪校には勝てない。格上に勝つことが出来たのは、運もある。あと、勢いと良い流れもあった。実力に加え、運、勢い、流れの四つが揃いました。今、この四つを部のスローガンにしています」
 東日本国際大学弓道部は、部員数男子12名・女子8名(2013年4月現在)。
部員の出身地は、青森・岩手・秋田・山形・福島と東北だけ。これは、誇りにしていい。大学スポーツの強豪はほとんどが全国から選手を集めている。
 「東北の各高校には、優れた選手を本学に送ってくれたことに感謝しています。東北の子らで全国大会入賞もしくは上位大学を脅かす存在になりたいと思っていた。全国大会での優勝は、それまで口にしていませんでした」
 監督の白石さんは、1965年、福島県いわき市に生まれた。どんな子どもだったのか?「おとなしい子どもでした。運動が全般的に苦手で運動会が嫌いなテレビっ子でした。特にウルトラマンや仮面ライダーなどが好きで…」
 高校で弓道と出会う。「高校入学の前の年に高校の弓道場が火災のため消失、簡素な弓道場で、照明もなく雨が降ったり暗くなったら練習終了という部活動でした。いま高校時代の事を思い出そうとするとほとんどが弓道部の事です」
 いわき短期大学(東日本国際大学は、いわき短期大学商経科を改組し開学)に進む。入学と同時に弓道部に入部。「上級生に弓道経験者がいなかったため、先輩から副主将を任され、高校の時の師範が短大でも指導していたこともあり、私が弓道部を仕切っていました」
 しかし、いわき短期大学弓道部は、学連(全日本学生弓道連盟)やどの団体にも所属していなかったので2年間、大会出場の機会はなかった。「サークルとしての弓道部を謳歌し、充実した2年間だったと思っています」
平成4年、母校のいわき短期大学(現東日本国際大学)に奉職。弓道部監督となった。そのころの弓道部は、どんなでしたか?
 「監督を引き受けた当時は、部員の数も少なく、とても全国大会に出場するような部ではありませんでした。私自身も、どちらかといえば学生とともに、ほのぼのと弓をひいていました」
 どのように強化していったのか。「お粗末な話ですが、学連という組織があるのも知りませんでした。そこで、高校や大学の弓道の指導者から大学弓道について教えて頂いたり、優れた学生の勧誘にも積極的に取り組みました」
学生と同じ目線で指導
 どう、指導してきたのか。「学生の個性を尊重しました。学生と同じ目線で考え、指導してきました。それもあって学生もリアルに受け止めてくれたと思っています。監督だからといって、高い位置からモノを言うのは生理的にも嫌でした」
 「しかし…」と続けた。「試合で『つまらんとこで(的を)外すな』など、学生が言われて嫌なことを言うときもあります。練習より本番を経験することで、失敗を次に活かす、成功を次に活かすのが大事だと言ってきました」
地方の小さな大学の弓道部は、サークル系から全国を舞台にする運動部へと進化していった。注目されるようになったのは最近の事である。東北学生弓道連盟(28大学)には男子は1部から5部リーグ、女子は1部から4部リーグまである。
 「男子は、2011年度に1部リーグに昇格。女子は数年前に2部リーグに陥落しましたが、その後は1部リーグで、2010、11、12年度と3年連続優勝しました。しかし、全国大会で上位に入るレベルではなかった」
 それが、なぜ今回の偉業につながったのだろうか。「私が何かした、ということはなく、学生が頑張ったということだけです。私の教えたことが少しづつ出来るようになったかな、とは思いましたが…」
これが東北人の底力
 いま、快挙を成し遂げた学生に言いたいこと。「今回の大会で主力となった4年生達は震災を乗り越え、不安と戦い、勝利したと考えています。逃げ出さずによく頑張ったと思います。地域の皆さんに元気を、全国の人に東北人の底力を見せつけることができたのは選手のおかげです」
 ところで、弓道部監督としてのやりがいと苦労は?「楽しいのは、学生達と一緒になって試合の結果を共有できること、どの競技でも同じでしょうが自分のチームや応援しているチームが接戦を制して勝ったときの爽快感は日頃の疲れが一気にぶっ飛びます。そして学生達の成長を間近で感じることができる事が何よりの喜びです。
 苦労というか残念なのは、弓道という競技の報道の扱い。本学男子が準優勝した11月の大学王座の結果は、翌日の新聞スポーツ欄の隅っこにたった5行で大会名と開催日と場所と結果が掲載されただけでした。ひとりひとりの努力の量を比べれば競技のメジャーもマイナーも関係ないはずです」
 弓道部監督と大学職員の両立は?「それは大変です。部の監督は私にとって勉強であり財産だと思っています。弓道部という組織の舵取り役として経験している事は、広報、入学という二つの課の仕事にもプラスになっていると思います」
選手育成には我慢必要
 今年から追われる立場になりますが?「毎年、戦力は変わります。昨年は昨年、今年は今年、気負いはありません。新戦力にはインターハイ出場の選手も加わります。選手を育てるには我慢が必要だと思います」
 噛みしめるように、付け加えた。「(東京電力福島第一原発事故の)風評被害のあるなか、優れた選手が本学に来てくれています。私を信用して集まって来てくれると思うと…」。繰り返して言う。この監督にして、この選手あり。

しらいし・よしのり  1965年5月1日、福島県いわき市に生まれた。小中高、短大といわき市で過す。現在、東日本国際大学広報課長・入学課長をしながら弓道部監督を務める。小中学校のころ、怪獣好きから恐竜に興味が移行、「大人になったら恐竜の化石を発掘できたらいいな」と夢を語っていた。いわき短期大学1年生の時、いわき市で発掘されたフタバスズキリュウの発掘に携わった教授のゼミに入った。教授の案内で過去に発掘された現場を見学に行った。その際、新たなフタバスズキリュウの化石を偶然にも発掘、地元新聞に紹介されたという。


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