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教育学術オンライン

平成24年5月 第2483号(5月23日)

改革の現場
  ミドルのリーダーシップ <21>
  総合政策で志願者V字回復
  甲南女子大学



 甲南女子大学は、大正9年に学校法人甲南学園の理事で安宅産業株式会社創設者の安宅彌吉氏をはじめとする関西財界人によって設立された。以来、文学部や人間科学部を設置する「お嬢様学校」として知られてきたが、2007年より看護リハビリテーション学部看護学科・理学療法学科を設置し、実学志向に大きく舵を切った。現在はパナソニック株式会社副会長の松下正幸氏が理事長を務め改革を進めている。北市哲朗常務理事、清水俊成事務局長、深澤貞信企画広報課長、田中洋総務課長に改革プロセスを聞いた。 
 2005年から定員割れ。定員数を減らすが、また定員割れという悪循環が続いた。歯止めをかけるため、2007年に看護リハビリテーション学部を新設。初の実学系学部で、文化も雰囲気も異なるがゆえに学内から懐疑的な意見もあった。しかし、ふたを開けてみるとオープンキャンパスは盛況、受験生もV字回復を遂げる。これが勢いとなり、既存学部教員による改革への取組みも加速した。清水事務局長は振り返る。「学部創設が契機にはなりましたが、既存学部教員の熱心な教育が受験生を押し上げたのです。学生の評価は、教育の中身=教員の教育への意欲・本気度に比例します。特に女子学生は、教育内容にビビッドに反応し、また、口コミで早く広く伝わります」。
 このような改革の中、北市常務理事が就任。当時の大学組織について、こう述べる。
 「各部署はそれぞれ頑張っていましたが、縦割りで別々の方向を向いていると感じました。「部分最適から全体最適へ」ということで、大学の目的を明確にして指標を作り、全員がそれを目指すようにしました。就任1年目で着手したのは、こうした「組織化」です。常に「自分の担当課の責任とは何か」を問うてきました」。
 こうした思いを背景に、就任直後に「大学改革七つのプロジェクト」を打ち出し、法人・大学組織にメスを入れた。特筆すべきは松下イズムとも言える人事制度改革であろう。北市常務理事は「人事制度の目的は人材育成」と言い切る。「上司の最も大事な仕事の一つは人材育成です。仕事が人を育てる。部下にどういう機会を与えるか、ミッションを与えるか、上に立つ者が部下に要求し続けることが重要です。目標管理制度も人材育成の手段です」。
 具体的には、二つの取り組みが改革のレバレッジとなった。
 まずは人事制度。「外部コンサルは入れず、総務課が中心に議論を積み重ねて「職員人事制度運用指針」を創り上げ、本学に合った独自の人材育成、人事考課制度、目標管理制度とそれに連動した賃金制度を導入しました」と田中課長。
 「業務改善プレゼンテーション」という研修も職員提案で始めた。「各課員が自らの業務を20分で他職員の前でプレゼンテーションをします。プレゼンを作成する過程や他部署のプレゼンを聞く中で新しい発見があり、部署間の連携も生まれます」と深澤課長は説明する。これも人材育成に繋がっている。
 教育についても北市常務理事は持論を述べる。「不易流行です。すなわち、不易は「建学の精神」という創設時の魂、本質を追究して、現代的な教育理念に落とし込むこと。流行はその時代の要請に敏感に、そして的確に対応することです」。
 改革に際して学内からの反応は。「当初は「本当に出来るのか?」「大学の風土が分かっていない」という懐疑的な雰囲気もあったと思います。しかし、心配をよそに意外とうまくできてしまったこともあり、「やろうと思えば自分たちにもできるのだ」という意識に繋がりました。この五年間で徐々にPDCAサイクルを基にした改善意識を持ち、それを継続するにはどうしたらよいかを考え始めることができるようになりました。思考が変わった段階で職員力がアップしました」と清水事務局長。
 ここ数年は大学のブランドを向上させるプロジェクトに取り組んでいる。「まずはインナーブランディングとして職員が集まって、あまり目的を明確にせず、個人が持つ学内情報を出し合うところから始めています。こうした緩い集まりが情報共有を促進して意外とうまくいっています。民間企業でブランディングを担当していた職員を中心に勉強会もしています」と深澤課長は述べる。
 追及すべきは「建学の精神」。そのために仕事を通して人を育て、組織を変える。まさに「不易流行の改革」を体現する甲南女子大学は、私立大学の一つのモデルと言える。

学部新設、教育充実、教職員育成強化の一体改革
日本福祉大学常任理事/桜美林大学大学院教授
篠田道夫

 2000年代初頭から志願者が減り始め、一時は大幅な定員割れ。しかし全学を挙げた改革の努力で、ボトムの2005年の志願者2760人から2011年には1万人を超えた。
 驚異的なV字回復の背景には、路線を鮮明にし、大学の教学改革と組織・運営・人事改革の総合作戦で効果を上げる成功への基本原理がある。急速な高校生離れで2005年からはついに定員割れ、財政も悪化、消費収支差額比率もマイナスとなり、人件費比率も6割、創立以来最大の危機に陥った。定員未充足が大きかった学科廃止や不人気学科の定員削減を行うが、負のスパイラルにはまり志願者減が止まらない。
 そこで、これまでの文学部、人間科学部を中軸とするとする教養型の学科構成を大きく転換、実社会で即戦力となる人材育成、職業教育に特化した学科、学部を新増設した。保育士を養成する総合子ども学科、マスコミ等を目指すメディア表現学科、さらに翌年には看護師、理学療法士を育成する看護リハビリテーション学部を相次いで作った。このイメージチェンジに高校生が反応、志願者減が止まった。
 しかし、優れているのはここからの取組である。学部新設だけではいずれ限界が来る。既設学部の本格改革をやらねばならない、そしてトップや一部で進める改革はやがて息切れすると全員参加型の改善運動に広げる取り組みを進めた点である。教育現場の第一線にいる教職員自らが行うボトムアップ型の改革が実際の教育力向上には不可欠だと位置付け、ニーズに基づくカリキュラム改革や学生サービス向上のための現場総ぐるみの改善活動を始めた。
 その推進組織「大学活性化七つのプロジェクト」は、教育理念、ブランディング、入口(学募戦略)、出口(就職・キャリア教育)、教室の中(カリキュラム)、教室の外の社会貢献活動、学生サポート・学生満足向上で構成。これに多数の教職員が参加する全学運動とすることで危機の中でもなお伝統に寄りかかろうとする人たちの意識改革も狙った。併せて創設以来の教育理念も再確認、建学の理念の時代を超えた正統性、一貫性を明確にした。変化しようとするときほど原点に返る。この学園は何のために存在するか、どのような学生を育てるか、ミッションに立ち返ることで教職員は改革の方向に改めて確信を持った。
 2008年の認証評価の受審がこうした取り組みの追い風となった。部門ごとに現状を明らかにし改善を行う取り組みがこのプロジェクト活動に重なった。11の評価基準が七つのプロジェクトテーマと連動し、これが最終的に13項目からなる学長の中期ビジョンにまとめられ、それらを具体化したものが2009年から始まる中期計画へと結実していく。
 当初は不慣れな計画作りで部署によっては完成度の低いものだったが、学科レベルまで、全部門で中期計画改善事業を展開することで次第に高位平準化、PDCAサイクルによる持続的活動が現場に定着していった。それに連動するように志願者が増加することでますます勢いが付いた。タイミング良く2010年が創立90周年。ブランド戦略本部を立ち上げ、UI導入、広報・宣伝、記念事業の三つのタスクフォースを立ち上げ、遅れていた広報・学募の本格強化を図った。
 これら全体改革の指揮を執ったのが理事長主宰、学内理事を中心とした理事小委員会。学部の新設・改組、教学改革を学長提案をベースに果断に決断していく。
 この理事小委員会の政策判断に至る前に、学内での意見集約の場として学長主催の部局長会議が機能している。副学長、学部長に常務理事、事務主要幹部も加わる経営・教学・事務一体組織として率直な議論がされてきた。これを支える企画広報課や総務課の政策立案、調整力の高さも特筆されなければならない。並行して管理職の役割と責任を明確にする研修の本格強化、担当者の意欲的取組みを基礎にした業務改善プレゼンテーションの実施、目標管理を中軸とする職員人事制度の開発と導入など組織運営活性化のトータルプランを作り、実践に移した。
 こうした急速なマネジメントの改善強化の背景には、理事長であるパナソニック副会長の松下正幸氏や企業出身者の力も大きい。しかし、生え抜きの教職員のやる気と力なしにはやはり実現できなかった。的確な政策と組織活性化の基本手法が大学の厳しい現実にマッチし、教職員の心に火を付け大きな成果に結び付いた事例と言える。


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