平成23年11月 第2461号(11月9日)
■改革の現場 ミドルのリーダーシップH
大きな構想で小さく着手
嘉悦大学
嘉悦大学は日本初の女子商業教育を行った私立女子商業学校を起源とし、日本女子経済短期大学、嘉悦女子短期大学と時代に応じて移り変わりながら、女性公認会計士第1号や、社長夫人として会社を支えるOGを多く輩出し、名実ともに「経済の短大」として教育を行ってきた。2001年4月に共学化して大学に改組、現在は経営経済学部のみの単科だが、来年より短期大学部を募集停止して、ビジネス創造学部に改組する。嘉悦大学の華麗なる改革は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の設立者の一人として知られる加藤 寛学長の功績として認識されがちだが、加藤学長を支える若手改革派の活躍がなければ成しえなかった。改革メンバーの杉田一真専任講師、田尻慎太郎教務センター長兼専任講師に話を聞いた。
話は、嘉悦康太氏と彼のSFC生同期の田尻氏が同大学に講師として赴任した2005年にさかのぼる。田尻氏は赴任直後をこう述懐する。「短期大学としては日本唯一の経済学科を廃止して、ありふれた「ビジネスコミュニケーション学科」という名称に改組してしまい、学生数はじり貧になりました」。
二人は大学改革案を考えるにあたり、2006年度末に千葉商科大学長を退任する加藤氏の元を訪れた。また、改革メンバーとして価値観を共有できる人材を丹念に捜し回った。
加藤氏の改革手法は慎重かつ大胆である。「創設者を知り、その考えに戻らないと教職員を説得できない」と創設者嘉悦孝女史の思想について詳細に勉強することを提案し、教え子たちの試行錯誤の改革案を見守った。しかし、学長への招聘には最後まで首を縦には振らなかった。改革準備が整うとようやく加藤氏は受諾、就任するなり改革案を実行に移した。
キャンパスの24時間オープン化、先進的な情報教育、NPOカタリバと組んだ初年次教育…すさまじいスピードの改革に、理事会からは不安の声が上がった。嘉悦 克理事長や二人の若き講師が学内調整を行いつつ、加藤学長が会議で理解を求めた。
改革派が自由に動ける領域をまず作り、同調する教員を巻き込みながら、大きな流れを生み出し、改革を浸透させる。具体的には、SFC出身の若手講師陣の得意分野である情報教育から手をつけた。従来はワードやエクセルの使い方を教えていたが、ビジネスプラン等をチームで考えながら、その過程でエクセルやワードを使うようにさせた。また、NPOカタリバから他大学の先輩学生を派遣してもらい、自身の夢を語ってもらった。「どうせ駄目だ」と考えがちな学生に大いに刺激となり、「自分にもできる」と自信につながった。
加藤学長には「改革はまず学生から、次に職員、最後に教員」という信念がある。思惑通り、一連の改革に敏感に反応したのは学生だった。17時には帰宅していた学生が、「大学が楽しい」と授業後も学内に留まるようになった。オープンキャンパスでは、先輩学生が企画スタッフを進んで務め、参加する高校生からは「大学が楽しそう」との声が圧倒的になった。「改革に際して、『うちの学生だから…』とレッテル貼りをした意見は徹底的に無視しました。学生は変わります。変われます。それを前提にしない大学改革など意味がありません」と、田尻氏は力を込める。
組織体制はどのように改革したのか。「事務組織自体の変更はせず、人の配置転換により体制を整えました。具体的には各センターのセンター長を私たち、改革派の若手教員が兼務しました。私たちが現場職員に大学の運営方針を伝え、意欲のある職員を巻き込みながらともに汗をかきました」と田尻氏。
改革以前の教授会では、様々な「決定」を行っていたが、各センター長、各種委員会委員長、筆頭職員等で組織する「運営委員会」を教授会の下に設置。具体的な政策への落とし込みは運営委員会や事務の各センターで行い、教授会にはそこでオーソライズされた政策の「報告」をするよう役割を変えた。改革メンバーは、センター長等役職者を兼ね、すぐに実現可能と思われる改革案から示し、反対意見は折衷案を提示し、丁寧な回答を行い、また、教員の負担となりそうなことは、若手教員が率先して引き受けるようにした。
改革当初から改革成果を検証する仕組みとして、実績を数値化・可視化できるよう配慮した。「小規模大学なので中退者が一人でも減少すると大きな変化になります。学生一人ひとりをいかに大事にするか、この点を徹底的に可視化しました。元々、改革に真っ向から反対するというより、中間派で見守っている教職員は多かったので、実績ができて一度流れができれば、信頼も生まれ評価もされて広がっていきました」と杉田氏は言う。
田尻氏は、「職員のスキルは元々高いのです。ただ、新しいことを手掛けることを求められることがありませんでした。前年と同じ業務をより安いコストでできることを知りませんでした。他人でもできる業務はアウトソースして、空いた時間やリソースを戦略立案・実行に当てるのが職員の役割です」と述べる。
加藤学長は確信を持ってこう語る。「キャンパスの二十四時間開放とは、上級生と下級生が兄弟になることです。兄弟がいない場で勉強することは不可能です」。改革の一つ一つに加藤哲学の精神が染み渡っている。
現実的改革から着手し共感を醸成
日本福祉大学常任理事/私学高等教育研究所研究員 篠田道夫
国鉄、電電、専売の三公社民営化で辣腕をふるい、SFC、千葉商大で大学改革を先導してきた加藤 寛氏が、2008年、嘉悦大学にやってきた。曰く「まあこれが最後だと思うんで、きっちりやりたいと思います」。すぐに「三つの変える、ひとつの変えない」を宣言。変えたのは@教員の再構成、A情報システムの先鋭化、B24時間キャンパス、変えないのは校訓。教員組織は、たまたま移行期にあり一気に2割ほどの教員を学長のイニシアティブで刷新した。その中に加藤改革を支える慶應の教え子数人もおり、後に「9人の侍」と称する改革集団を形成する。校訓「怒るな働け」をクールヘッド・ウォームハート、「半学半教」(一歩先に学んだ人が先生)をピアサポートと現代解釈、嘉悦が培ってきた教育理念の継承を改革の柱に据えた。教授会は開催回数を大幅に減らし議題を精選、実務委員会で日常運営を行う体制に転換、改革メンバーを実務の中心ポストにつけたが、今までの組織は出来るだけ壊さず生かした。また、同メンバーを各種委員会委員長と事務のセンター長を兼務させ、教学と事務を同時に動かせるシステムを構築した。これらが改革推進に実効性をもたらした。
SFCモデルの24時間大学から改革の口火を切った。初めから改革の全体像を示し無理押しするのでなく出来るところから、教員改革ではなく学生から、しかし、大学が変わる予兆、加藤改革を象徴するアピール性を狙った。この改革ののろしは、学生からも絶大な支持を受け、圧倒的効果をもたらし次の改革に弾みをつけた。これらは半年間の学習会で練りに練ったものであり、メンバーは学内の誰よりも嘉悦に詳しいという自信を背景に、百戦錬磨の加藤手法が効果を発揮した。
教授会にいきなり抜本改革を提案するようなやり方はしない。制度改革を先行させない。大きな改革は後回し、まず出来るところから小さく始める。メンバーだけで改革可能なところから着手、局所で多数派形成、改革派の多い組織から少数の既存教員を巻き込んで変えていく。共感の醸成、多数決重視の大学文化を考慮した作戦だ。
実際に、カリキュラム改革に踏み切ったのは3年後、短大募集停止とビジネス創造学部新設の検討も3年後から。序々に実績を上げ、具体的な成果を積み上げる中で、共感者を増やし、政策浸透を図っていった。そのためには、改革チームの力、特に教育力と実務力の双方を持ち合わせた人が不可欠。加藤学長の卓越した指導力は確か。しかし教え子のSFCメンバーの実行力、応用力の高さ、教職員の中への浸透と信頼感を作り上げたことが改革の実践には不可決で、これなしには嘉悦改革は実現しなかった。
高かった中退率を公表、急激な改善を実現した。出席率、単位取得率、就職内定率など数字で結果を出すことで学内の信頼を勝ち取り、短期間で改革の礎を確実に作った。一方、内部改革先行で広報に力が割けず、改革の成果が社会的評価に十分結び付いていない課題もある。改革グループはまだ若く、改革を持続させ推進体制の層をどう厚くしていくか、これからの取組が期待される。