平成22年8月 第2413号(8月25日)
■高等教育の明日 われら大学人 〈4〉
「女性の生き方」を説く まず、基礎を身に付けよ
「女性の品格」の著者はいま 昭和女子大学長 坂東眞理子さん
昭和女子大学学長であり、ベストセラー「女性の品格」の著者。著書はエッセイ風に装いから生き方まで、「女性としての振舞い方」を説いた。若い女性だけでなく、中高年の女性、さらに男性まで多くの読者を獲得した。「横綱の品格」が取り沙汰され、「男の品格」なんて本まで現われた。「それまで出した本が売れなかったので、嬉しかった。ダンボール一箱分も届いた読者の手紙は宝物」と振り返る。東大卒のキャリア官僚として女性政策に携わり、その立案をリードした。いま、女子大の学長として「これからの女性の生き方」を説く。官僚から大学人へと華麗な転身をした坂東さん。彼女の歩みを追いながら、いまの学生のこと、女性や若者の生き方などを尋ねた。坂東さんの来し方と発する言葉は、若者や女性にとって、社会でぶつかる壁を乗り越える力にきっとなるはずだ。
立山連峰を望む富山県に生れた。どんな子どもだったのか。「本を読むのが好きでした。小説家とか文筆家は素敵だなあ、とか学校の研究者や医者なんかにもなりたい、なんてと思っていた」。夢見る多感な少女だった。
高校は地元の名門、富山中部高校へ。「あのノーベル化学賞の田中耕一さんが出た高校です。大学受験では、医学部なら東大は無理だけどほかの大学なら大丈夫、東大なら文学部は合格できる、といった先生の指導で東大文学部を受けました」
東大文学部では心理学科へ。「女性が世の中へ出るには社会学とか心理学がいいと漠然と考え、何になりたいという具体的なイメージはありませんでした。文学者になるという夢は現実には無理とあきらめました」
いまは、「こう思っている」と笑いながら続けた。「公務員のころは、“大学では何を専攻しましたか”と聞かれたことはありませんでした。大学へ来たら“専攻は何ですか”とよく聞かれます。これは辛いことですね」
1969年、東大卒業後に総理府に入省。なぜ、総理府へ?「労働省(当時)へ行こうと思ったのですが、先に女性の内定者が決まっていて…。たまたま、総理府の広報室が採用してくれる、という話を聞いて採用していただきました。よく知らずに入ったというのがほんとうのところ」
75年、総理府に婦人問題担当室が発足した時、最年少の担当官として参加。78年に日本で初めての『婦人白書』の執筆を担当した。「この年から個人的にも1年に1冊のペースで本を出しています。異色の公務員ということかしら」
「女性は挑戦する」(78年)、「現代ヤングレディ考」(79年)、「女性は消費者のみにあらず」(80年)…。行政官としてのキャリアと2児の母としての役割を両立させた経験を生かし、女性のライフスタイルにかかわる著作も多い。
なぜ、出版にこだわったのですか。「役人はほぼ2年ごとに異動があります。卒論という意味で書きました。現職のときは書かず、書くのは土日の休みで、子育てもあったし外出せず執筆しました。1冊を3ヶ月から半年で仕上げました」
80年にハーバード大学へ留学。統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事、内閣府の男女共同参画局長等を歴任して03年に退官。「女性として初めてという仕事が多く、初物屋なんていわれましたが、いい経験をさせてもらいました」と振り返る。
04年、昭和女子大学教授に就任。昭和女子大へ来たのは?「公務員を辞めて何もすることがないとき、声をかけていただきました。女性問題に取組んできたこともあり、有難い申し出でした」。
戸惑いもあった。「良妻賢母の色彩の強い大学に、“女性は、もっと社会で活躍すべき”と主張する私のようなものを受け入れてくれましたから」
こう決意した。「男女共学の中でずっと育ち、公務員としても女性の中の仕事としては初めてというものばかりやってきました。これからの女性には、どう生きてほしいのか、これをライフワークとしてやっていきたい」
さて、「女性の品格」(PHP新書)は、06年9月の発売、07年夏には大ブームを巻き起こした。翌年3月までに累計300万部を超えるベストセラーに。
「不思議でした。それまで書いても書いても売れずにきましたから。神様は平等なんですね。売れない本を書きつづけてきたご褒美だったのです。売れた理由?当時、勝ち組、負け組といった金儲けが成功者という風潮がありました。こうしたものへの反発や抵抗感を持った方が読んでくださったのでは…」
品格といえば、名匠、小津安二郎の「小早川家の秋」のなかで、原節子のいう名セリフを思い出す。「品行は直せても品性は直せません」。品性は品格と同義語、坂東さんは「品性(品格)は直せる」と同著で主張、原節子を超えた感じも。
たとえば、同著の「品格のある生き方」の「恋はすぐに打ち明けない」で小野小町や紫式部の恋を取り上げながら〈現代においても、忍ぶ恋、片思いの恋、思うに任せなかった恋が、女性を磨き、心のひだを深めるのではないでしょうか〉
いまの若者をどう思うか。「本を読まないですね。情報源はインターネットや携帯電話で、活字よりも映像に関心があるみたい。それと、海外に行きたいという若者が減っていることが気になります。外国に行くと、言葉が通じず、バカにされたり、くやしくて情けない体験を通して1回り大きくなるのですが…」
「良いところもある」とフォローする。「とても素直で、親に反発することがない。それに、心優しい。障害を持っている学生や、地域の子どもを手助けしたり、勉強の遅れている子どもに教えてあげたり、格差社会に押しつぶされる人たちにシンパシィを持っている」
若者が「品格」を身に付けるには?「まず、基礎を身に付けて欲しいと思います。足元が固まっていないのに、『自分らしくありたい』、『個性を発揮したい』、『オンリーワンになりたい』と言い張る若者がいますが、人と同じことができるようになってから、自分らしさを付け加えるのが筋道ではないでしょうか」
坂東さんは、07年、「なるとは思わなかった」学長に就任。同大のHPで学長ブログを週1回更新している。出版と同じようなハイペース。そこでは、「こんなことを書いています」と骨格を話してくれた。
「大学は、いいものは残すべきだし、変えていくものは変えていくべき。学生は、自分で考え、企画して実行することが大事。自立すること、他人に頼り他人を助ける、社会の役に立ち社会を支える、こうした気持ちを持ってやってほしい」
彼女の目は昭和女子大の学生はもちろん、多くの女性、そして若者のほうを向き、品格、そして変革や自立を問いかけている。「女性の品格」の出版から五年、そろそろ、若者や学生、女性ら読者が坂東さんの問いかけに応える番だ。
ばんどう・まりこ 1946年、富山県生まれ。東大文学部卒業。69年、総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事等を経て、98年、女性初の総領事(豪・ブリスベン)に。2001年、内閣府の初代男女共同参画局長。04年、昭和女子大学教授を経て、同大学副学長、同大学女性文化研究所長。07年4月から同大学学長。『女性の品格』、『親の品格』がベストセラーとなる。近著に『錆びない生き方』。