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平成22年7月 第2408号(7月14日)

大学改革の目玉、アールト大学の現状
   


アールト大学メディア学部メディアラボ・ビジティングリサーチャー
九州産業大学芸術学部准教授  佐野 彰 

 ■国際と学際
 教育で大きな注目を集めているフィンランドで、2010年1月に大きな出来事があった。由緒ある三つの大学、HSE(フィンランド商科大学)、TKK(ヘルシンキ工科大学)、TaiK(ヘルシンキ芸術デザイン大学)が統合し、Aalto University(アールト大学)が誕生した。
 大学名の「アールト」は、国際的に著名な建築家・デザイナーであるAlvar Aalto(1898〜1976)に由来する。その名が示すように、アールト大学は「国際的」と「学際的」という二つの理念のもと、2020年までに世界トップクラスの教育・研究機関となることを目指す。
 ■アールト大学の概要と統合の背景
 この統合の背景には、2007年春から行われている大規模な大学改革がある。2009年6月には大学改革に関する法案が国会を通過し、それまで全て国立だった大学が「公法に基づく団体」か「私法に基づく財団運営の大学」となるかを選択することになった。また、資金運用や雇用等における大学の自主性が認められ、国際的な競争力の向上等の効果が期待されている。
 アールト大学への統合は、この大学改革の中でも「最も重要なプロジェクト」の一つとして位置づけられており、企業などから多額の資金が集まっている。
 このように全く異なる分野の大学が統合し、学際的な活動を行う事例は他の国でも見られる。例えばイギリスでは、2007年10月に芸術系大学の名門ロイヤル・カレッジ・オブ・アートと、工学系大学の名門インペリアル・カレッジ・ロンドン等が協働で「デザイン・ロンドン」を設立している。その他、アメリカのカーネギーメロン大学やスタンフォード大学でも、学際的なプログラムが開講されている。
 アールト大学もこのような世界的な動向を反映したものと思われるが、政府から5700万ユーロ(71億2500万円)もの資金が投入されている。前述のデザイン・ロンドンの予算規模580万ポンド(13億9200万円)と比較すると遥かに大きい。また、単に講座やコースを開講するだけではなく、国内でも有数の大学同士が統合するという規模の大きさは特筆すべきものがあるだろう。
 なお、フィンランドの経済は決して順風満帆ではない。教育・科学相のヘンナ・ヴィルックネン氏は「大学改革は、未来のために最も重要な事項の一つであり、財政が厳しい時に高等教育機関に投資することは特に重要である」と述べている(2009年6月23日教育・科学省プレスリリースより)。この発言からも大学改革がフィンランドの未来に大きな意味を持っていることが推測できる。
 ■アールト大学の現状
 2010年秋学期から本格的なスタートを切るアールト大学だが、初年度は前年度よりも多い1万5400通の願書が寄せられた。特にTaiKは前年度比31%増と大きな伸びを示している。また、HSEでは英語で行われる学士プログラムの応募が多かったり、TaiKでは海外から(中国と韓国からが多い)の願書が43%と高い割合を示していたりすることから、アールト大学が世界からも注目されていることがわかる。まずは「国際化」については順調だと言えるだろう。
 続いて「学際化」だが、今年度は「学際的なプログラム」として次の3プログラムが修士課程に開講されている。@永続的なデザインとビジネスについて学ぶ「クリエイティブ・サスティナビリティ」(CS、定員30名)、A学際的な学習を重要視して、世界規模のデザインビジネスマネジメントを学ぶ「インターナショナル・デザイン・ビジネス・マネジメント」(IDBM、定員32名)、B大学と産業界が協働で行うMedia Biz Lab。
 ちなみにIDBMは、1995年からHSEが中心となったプログラムであり、ビジネスウィーク誌が選んだ世界のトップ30プログラムの一つに選定されている。もちろん今年度の学生の人気も高い。その他、博士課程のBit Bangプログラムや、aivoAALTOという脳科学と経済・工学・芸術を組み合わせたプロジェクトも継続中であり、学際的な研究が数多く行われている。
 さらに「ファクトリー」という組織にも注目したい。これは大学とは異なり、プロジェクトとして位置づけられている柔軟性を持った組織で、デザイン・ファクトリー(TKK)、サービス・ファクトリー(HSE)、メディア・ファクトリー(TaiK)の三つがある。例えば1997年に誕生したデザイン・ファクトリーでは、PDP(Product Development Project)という教育プログラムを行っている。これは国内企業と協働で行う問題解決学習型の教育プログラムであり、実社会さながらに企画提案、スポンサーとの交渉、そして発表までの長いスパンで活動する本格的なものである。このようなファクトリーの革新的試みは、今後のアールト大学の方向性を示しているのではないかと感じる。
 ■気付いた点など
 個人的な感想だが、統合がかなり急だったような印象を受けた。また統合したといっても、キャンパスは従来のまま変わっておらず、気軽に各スクール間を行き来することは現実的には難しい。
 そのような状況を補うために、全学で情報を共有するイントラネットも存在しているが、各スクールがこれまで使用していたものも混在して、情報が分散しており不十分である印象も否めない。
 確かに学際的なプログラムなども開講されているが、CSやIDBMの定員は30人前後であり、全体に対する割合は高いとは言えない。既存の専門教育と、学際的な新しい試みとの間にはまだ壁が残っており、外部からの見た目と内部からの印象には若干のずれがあるように思える。
 ■日本の大学への提言
 このようにアールト大学は革新的な試みを行っているが、その背景には、社会と大学とがゆるやかに繋がっているというフィンランドの「常識」があることも忘れてはならない。
 よく知られているように、学費が無料であるため、「学び」が人生の中での特別なイベントとして捉えられておらず、社会に出て職を得た後でも、再び大学で学ぶという学生も少なくない。
 このようにフィンランドでは、大学で学ぶことと社会で働くことは容易に共存可能で、大学は「学び」と「社会」とをゆるやかに繋ぐ場としての役割も果たしている。私自身、この影響は予想以上に大きいと感じた。学生同士のちょっとしたディスカッションの中にも「社会」や「経済」や「現実」が登場し、教室での学びがダイレクトに社会と結びついているのである。
 日本では、学費という根本的な部分が異なるため単純に比較できないが、社会と大学との間の境界線が存在していないだろうか。確かにインターンシップや企業とのコラボレーションも行われているが、暗黙の前提として「双方は異なるもの」という認識がないだろうか。もし日本各地の大学が、社会とゆるやかに繋がる場を創出し、育むことができれば、大学・社会双方にとっての新たな可能性が見えてくるのではないだろうか。
 ■さいごに
 フィンランド人の同僚と話していると「フィンランドは小さな国だから…」というフレーズがよく出てくる。確かに大きな国とは言えないが、この意識こそがフィンランドを世界で注目たらしめているのではないか。
 アールト大学の統合という、今までに例を見ない大規模の改革が行われた背景には「国内だけを考えていては、国際化時代を乗り越えられない」という強い危機感と、小国ながらこれまでの教育改革で世界トップの成績を達成した自負が入り交じったものがあるように感じた。

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