平成22年7月 第2407号(7月7日)
■高めよ 深めよ 大学広報力 〈75〉
こうやって変革した 72
農学分野のフロントランナーめざす
北海道にもキャンパス 今も息づく実学主義
東京農業大学
これほど、学生や学園、そしてイメージが大きく変わった大学も珍しいのではないか。東京農業大学(大澤貫寿学長、東京都世田谷区桜丘)は、かつて篤農家の子弟らが通っていた。いま、卒業生約3000人のなかで農業に就くのは150人程度、多くは流通や医薬品業界などに進む。来年、創立120年の伝統ある大学だが、変わっていないものがある。他の私立大学にとっても参考になることなので後述する。東京農大の80年代後半からの改革はめざましい。89年、北海道網走市(オホーツク)に、98年、神奈川県厚木市に新キャンパスを設置、現在、3キャンパスに5学部、約12000人の学生が学ぶ。農業専門の大学として、大きな変貌を遂げた東京農大の改革の歩みと現在、そして、これからを学長らに聞いた。
(文中敬称略)
農業後継者は激減 卒業生の多くは企業へ
大学本部のある世田谷キャンパスは、旧陸軍機甲整備学校跡地で、世田谷区の中心部にある。緑の樹木に包まれた静かな空間が広がる。自然に恵まれたオホーツクや厚木キャンパスでは、地域と密着した教育研究も行われている。
東京農業大学は、旧幕臣の榎本武揚が1891年に創設した「徳川育英会育英黌農業科」が起源で、93年に育英黌から独立した東京農学校が前身。1911年、横井時敬が初代学長に就き、東京農業大学になった。
学長の大澤が説明する。「横井先生の農学に対する姿勢は、徹底した実学主義。『稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け』、『農学栄えて農業亡ぶ』といった先生の言葉が示しています。現在、従来の農学に加え、生命科学、環境科学、情報科学などを取り入れていますが横井先生のモットーは今なお本学教育の根底に息づいています」
冒頭で述べた東京農大で、いまも昔も変わらないものは、この徹底した実学主義。私学にとって建学の精神はレーゾンデートルであることを実証している。もうひとつ、あるという。「開学以来、卒業時、全学生に卒論を義務付けています。学生数が増え、いまの教員は大変ですが…」と大澤。
そうは言っても、農大の日本の農畜産業に及ぼす影響力は不変だ。宮崎県で5月から続く豚や牛に伝染する伝染病の口蹄疫。「学生の実家や卒業生ら5軒の農家が被害に遭ったという報告があり、心配でなりません」。大澤は顔を曇らせた。
戦後の農地改革が及ぼした農大への影響を大澤が語る。「戦前までは、全国各地の地主や篤農家の子弟が集まり、農業後継者・地域社会の担い手を養成。戦後、農地解放で耕地面積が細分化され、国の政策もあって農業人口も、後継者も、ともに減っていきました」
東京農大の大きな転換は、東京五輪のあった1964年頃だった。「重厚長大から車やカラーテレビの時代になり、景気は右肩上がりでした。しかし、農業に対して国も国民も関心を持たなくなり、農業は徐々に疲弊していきました」(大澤)
農業に、東京農大にとって冬の時代が続く。改革は時代の要請だった。改革の口火は、1989年、北海道・網走市に生物産業学部を設置。「動植物・水産資源などの研究成果とバイオテクノロジー・経営学・情報科学などを総合した学術的研究がねらい」(大澤)
98年、大学の支柱である農学部を再編成する大改革を敢行。農学部を2学科にし、応用生物科学部、地域環境科学部、国際食料情報学部の3学部を新設。農学部は新設した厚木キャンパスに移った。
このころ、時代の新しい風が東京農大を後押しする。農業を見直す動きが澎湃として巻き起こった。大澤が熱く語る。
「農業分野でも、生命科学がキーワードとなりました。食料政策、健康が叫ばれ、動植物の遺伝子研究、バイオテクノロジーの重要性が説かれました。本学は、この分野には元々、力を入れており、『食料』『環境』『健康』『資源エネルギー』といった教育研究をより強化しました」
時代はめくるめく移る、東京農大を志願する学生も変化した。女子学生が増えている「食や健康、バイオなどに女性は関心が強いようです。現在、全学生の4割を女性が占めています」(大澤)
実学主義も多様化する。大澤は3つあげた。@ペルーでは、卒業生が同国の産物のカムカムを使ったジュースを開発、日本で学生が商品化したAオホーツクキャンパスでは、ダチョウに似たエミューの卵、肉、油を利用した商品開発B学生が外食産業と組んで開発した『ライスバーガー』は、半年で17万食も売れた。
人気の花と緑の学校
社会貢献や地域貢献にも“農大らしさ”が現れる。「50歳からの花と緑の学校」と銘打った「東京農大グリーンアカデミー」は七五年から生涯学習として好評。食と農、健康、環境などを学べるオープンカレッジの各講座は応募とともに締め切りになる人気だ。
この7月10日には、地域再生のネットワーク化をめざして「農山村再生フォーラム」を開催する。「農山村の危機は、農林業の危機。農山村再生のために取り組んでいる各地のリーダーが集い、新しい行動体の組織化という視点から考える画期的なもの」(大澤)
農大の学園祭は「収穫祭」と呼ばれ、毎年、11月に開く。例年、15万人の来場者がある。各キャンパスでは、実習で丹精込めて作った野菜や米、手製のみそ、名物の蜂蜜などの販売があり、利き酒大会もある。
大学スポーツにも力を入れる。「駅伝、相撲、硬式野球を強化競技に指定。箱根駅伝に出られない時代には卒業生から『何とかしろ』とハッパをかけられましたが、昨年は5位に。野球が2部なのはさびしい」(大澤)
大学広報について、「広報の役目は大きい。受験生に直接、大学を知ってもらう広報を心掛けています。口コミが大事で、学生が、卒業生が、東京農大のよさを大いに語ってくれることです」
“楽しい大学”でトップ
広報部長の廣谷淳一が補足した。「日経新聞の大学ランキングの“楽しい大学”部門で、一位になりました。机上の教育だけでなく、動植物の世話や土や海、山、川といった自然と接することができるあたりが人気になったようです」
大澤が最後に語った。「人類生存に向けた、新たな農業の世界を切り拓き、今世紀の農学分野でのフロントランナーになりたい。実学を重んじ、食料、環境、健康、バイオマスエネルギーなど農学関連分野で社会貢献できる人材を育てたい」
こう付け加えた。「農業は、なかなか目立たない。生きているものにとって、いかに農業が大事であるか。みんなに、それをわかってもらいたい」。そのために、東京農大は、食やエネルギーなど農学分野でフロントランナーをめざす。