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平成21年3月 第2353号(3月25日)

体験的工学教育とともに

日本工業大学理事長 大川陽康

 学校法人日本工業大学は、明治四十年に東京工科学校の名で誕生し、本年、第二世紀の二年目を迎えます。戦後の学制が施行された昭和二十二年、私は東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場高等学校)の教員となりました。
 経済復興期には、実習工場で自転車の空気入れを製造して販売したり、高度成長期には自動車部が校内の整備工場にお客さんの車を預かり、鮫洲の車検場に生徒が運転して行ったり、昭和五十年代にはミニSLを生徒達が、図面から起こして部品を作り、組み立てる実習が行われ、完成すると全国各地に寄贈しました。蒸気を力強く吐きながら子どもさんたちを乗せて走るという光景は今なお見られます。
 こうした、ものづくりの現場そのものであった工業高校は、私にとり、実学の何たるかを学ぶ現場でありました。
 手と目を使い、さらに耳はエンジンの状態などを聞き分け、嗅覚で熱くなった油の匂いから機械の運転の微妙な変化を知るといった具象の学びをした上で理論を学び、確かな理解を得る。そして再び具象に戻る。具象・抽象を行き来することで、物事の全体を見渡すことができる、いわば、森も木も見える技術者が育つのです。
 こうした具象の学びを高等教育に発展させたのが日本工業大学です。工業高校で技術を学び、さらに大学でより高度に学びたいという意志があっても、なかなか受け入れる大学がなかった時代に、全国の工業高校生の期待に応えて昭和四十二年に開学。工学理論を現場に活かせる科学技術者を育成してきました。
 今日、若者の理数離れが深刻です。小さな子どものころは機械の動きや自然界の不思議に驚きと探究心を抱いたとしても、中学校、高校と進む中で理数の学びが抽象の理屈に留まるのであれば、やがて興味が遠ざかるのも理解できないわけではありません。
 本学園では中学校でラジオ、ロボット、電車作りや陶芸などを行って、ものづくりの楽しさを知るとともに、近隣の中学校の生徒にも体験学習の機会を提供し、作る喜びを持ち帰ってもらっています。
 また高等学校は共学となったことで、旋盤に打ち込む女子生徒の姿も見られ、頼もしく思います。
 昨年より、欧米の金融の綻びから世界経済が厳しい様相を呈しております。ものづくりの担い手を育てることはまた、実体経済を支える礎を築くことに他なりません。
 体験的工学教育の社会的使命の重みをいっそう肝に銘じ、丑年を迎えることとなりました。

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