平成21年3月 第2352号(3月11日)
■大学マネジメントガバナンス特集
"強い"経営を目指して 中期計画の実質化 番外
教学マネジメントの推進 "学生中心"へ教職の本格協働を
「学士力」答申に見る教学経営
昨年十一月からの連載の中で、戦略経営の確立の重要性について述べた。これには当然ながら教学政策を含むが、掲げられた教育目標の達成や教育の特色化のためには、経営システムとは違う独自の教学マネジメントの確立が欠かせない。
中教審の「学士課程教育の構築に向けて」の答申(学士力答申)では、学士力の養成にあたっては「明確な『三つの方針』に貫かれた教学経営を行うことが肝要」として、@大学ごとの学位授与方針、教育課程編成方針、入学者受け入れ方針の明確化、Aそれらの総合的運用と共通理解による教職員の日常的実践、BPDCAサイクルの確立を求めた。そしてそのためには、学習成果(ラーニング・アウトカム)を重視した教育改革の推進、きめ細かな指導と厳格な成績評価、教職員の職能開発(FD、SD)などを含む総合的な教学経営が求められると提起した。
教学マネジメントとは
言うまでもなく私大経営の中心は教育にあり、大学そのものの存在意義の根幹をなす。教学マネジメントとは「教育目標を達成するために教育課程を編成し、その実現のための教育指導の実践・結果・評価の有機的な展開に向け、内部組織を整備、運営すること」と定義される。
大学のミッションや教育目標を達成するための教育システムや教育方法のトータルな設計と運用・管理のためには、学生の学力実態、学習成果、将来への希望など実態を踏まえたものでなくてはならない。アドミッション、カリキュラム、ディプロマの三つのポリシーが連結し、入口―中身―出口管理が一貫した流れとして学生の成長に寄与できること、エンロールメントマネジメントが教学経営の基本である。
言い換えれば、教育目標と学生実態(成長)を連結させる機能であり、その際答申で強調されたのは、どんな教育を提供したかではなく、学生の学びの結果どんな力が身に付いたかにある。
教学マネジメントの領域
大学教育の主な領域は四つある。
第一は、当然ながら正課教育である。講義とゼミを始めとするカリキュラム体系が、目標の達成と特色ある人材養成に相応しく系統的に配置され、教育されているかが問われる。そして授業科目の内実を示すシラバス(授業計画)が確実に実行されているか、学生の到達、授業評価・改善システムやGPA制度等が機能しているかが大切である。
第二は、正課外教育、最近はヒドゥンカリキュラムなどとして注目される領域である。いまや学生は正課授業、教室の中だけで成長を図ることは困難である。入学前教育、初年次教育、接続教育、補習教育、キャリア開発教育、体験型のフィールド教育、サービス・ラーニング、海外研修教育、eラーニング教育、そして丁寧な学習相談システム(ライティングセンター)から教育環境整備まで多岐にわたる仕掛けが不可欠である。これらは今や正課教育と一対をなす大きな教育体系として、学生の動機付けや満足度の向上に寄与している。そしてこの分野は職員の教育への直接的参加なしには成り立たない。
第三は、進路教育の領域で、学生を一人前の社会人にするための育成システム、キャリア教育、就職支援システム、各種の資格教育、インターンシップ、就職相談、キャリアアドバイスの分野などである。大学が、社会に有用な人材を送り出すことを最終目標としている以上、これらの重要性は動かしがたい。
第四に、多様化する学生支援システムの構築がある。長引く不況の中での生活支援、奨学金業務、健康維持や増加傾向にあるメンタル相談、課外活動の指導やアルバイト支援、学生の要望や不満を大学改善に反映するシステムの強化も求められている。
教学マネジメントとは、これらの四分野を統合的に設計し、学生育成、成長の仕組みとして機能させ、統括することにある。特に、第二から第四の課題は、職員が教育作りを担う重要な一員として登場しており、教育全体に占める比重も増加している。
学士力の育成とは何か
今日、卒業生が身につけるべく期待されている能力は、学士力答申に見られる通り(1)知識・理解、 (2)汎用的技能、(3)態度・志向性、(4)総合的な学習経験と創造的思考力で、単なる専門知識だけではない。経産省の社会人基礎力にしても同様に(1)前に踏み出す力、(2)考え抜く力、(3)チームで働く力の三つを位置づけている。知識を使った実践力、総合力が求められる。教養教育とも言えるが、学士力答申では教養という言葉をあえて強調していないように、従来型とは異なる、知識を駆使できる能力を求めている。それはスキルやコンピテンシーに近いものだが、狭い就職対策教育でもない。課題発見や問題解決能力は、繰り返しのトレーニングを体験的に積み上げねば体得できない。その中にコミュニケーション、プレゼンテーション、ディスカッション等の要素を組み込む、プロジェクト型の学びが必要である。
絹川正吉国際基督教大学名誉教授は、これを伝統的な認知的教育からユニバーサル段階での情緒的教育への展開と言い、教養教育、人格教育の領域とした。いわば人間力の育成が求められている。ではそれを誰が担うかと提起し、大学の学びと社会を繋ぐサービス・ラーニングを例に職員の新たな役割、アカデミック・スタッフ(学術専門職)への期待を述べている(Between2008年秋号)。人材育成目標の転換が、新たな教職協働を求めている。
教学マネジメントを担うもの
教員個人が教育内容に決定権を持っているという認識は依然として根強い。教育目標に従って自らの教育内容を決めるというスタンスもまだ主流ではない。カリキュラム編成も、教員が何を教えたいかをベースに決まるやり方は、育成目標に従った系統的教育とは対極にある。
しかし、これを変えることは生半可ではない。教学マネジメントが求められる本質、問題の環のひとつはここにある。もちろん教員の意欲的教育創造が教育の根幹であることは言うまでもない。しかし掲げた人材目標に基づき、個々の教員が教育努力することなしには、いくら学士力養成、カリキュラム・ポリシーといっても現実性を伴わない。目標に沿った講義体系の編成、それを担うに相応しい教授陣の配置、適切な教育方法の確立など、個々の利害を超えて、学生のための教育を断行していく強いマネジメントが求められる。
@建学の理念と中期計画
そのためには、まずは建学の理念、法人の存在意義から発する長期的な人材育成目標の設定とそれを実現するための経営・教学一体の政策、中期計画が策定されなければならない。「学士力」の中身は個々の大学の目指すビジョンを基に設定されなければならない。
A学長のリーダーシップ
次に教学トップである学長のリーダーシップが問われる。
ミッションに確信を持ち、それに基づく教育目標を提示し、学生の育成に教員を組織し、動かし、励ます役割を果たせるのは学長しかいない。この学長の熱意と責任感なしには、独立性が高い教員集団を一致して教育目標に向かわせ、学生成長への丁寧な授業や熱心な教育指導を作り出すことはできない。教育改革の全学方針を学部に貫徹させ、必要な決定や具体化を行って、全教員の行動に結びつけていかねばならない。
そのための必要な権限、遂行のための補佐機能、強力な政策スタッフの配置が求められる。
B教授会の機能の再構築
学士力答申では、「学部教育」から学士課程教育への転換が謳われている。「学士課程教育が学部教育として専門領域に分断され…教育目的が専門領域に限定され…広い意味での教養の獲得と基礎能力の育成(を妨げるのであれば)…このガバナンスの形態には大きな欠陥がある」(大学分科会議論)。伝統的な学部教育から、学生の学び、育ちを軸とした学位プログラム教育への転換に対応する学部教授会の機能が問われている。大学運営の手続機関的性格から教育そのものの改革推進、実行組織としての役割の重視へ、新たな組織のあり方が問われている。
C教学改革推進組織
教育の恒常的改革に向けて、IR(Institutional Research)組織の役割と機能が注目されている。IRは教育や経営に関する情報を収集・分析し改革を支援する組織だ。特に学生の学習、履修、評価に関する調査、データ分析、研究を行い、改善案を提示することで改革推進に役割を果たしている。また最近では、教育目標に対し学習者がどのような手順、環境、教材で学習すれば高い学習効果を生むかの手法、インストラクショナル・デザイン(ID)も注目を集めている。第三者評価も単に認証評価をクリアするのではなく、自己評価、教育評価、各種の実態調査が、実際の教育改善に結びつかなければ意味がない。
教育の開発やFDの推進を専門的に行う教育開発センターも作られており、またこれらの業務を継続的に担う教育開発室のような事務機構も重要性を持つ。学生実態や他大学カリキュラムを持続的にモニターする業務組織の存在は、改革に客観性と現実性を持たせる。そして何よりもこれらの機能が統合的に力を発揮する組織整備が必要だ。
DFDとSDの推進と結合
それらの推進の主体となる教職員の職能開発と教職協働の取組みも重要である。義務化されたFDを力に、授業内容・方法の改善に止まらず広く教員の職能開発を進めなければならない。多様な学生の増加は、困難さを持つ学生を成長させ、学習成果を上げる手法、研修の実質化を求めている。また教員と協働する専門性の高い職員の育成も不可欠だ。絹川氏も提起する学術専門職のような、カリキュラムや教育体系の編成に当たって法制度やデータ、学生実態を熟知し、前述のIDの手法を駆使できるような専門的人材の養成も急務だ。この点でFDとSDの同時推進と一段高い所での結合が求められる。
E職員の教学運営への参画
前述したヒドゥンカリキュラムで多くの学生が学習への関心を高め、成長している現状を考えると、教育力や満足度の向上には、これを担う教員と職員との力の結合が不可欠だ。そのためにも従来の教員のみによる教学統治を転換し、教学組織への職員の正式参画を大きく前進させなければならない。経営担当副学長や学長補佐への職員の登用を始め、教学各会議体への職員の委員としての参画が適切な形で行われ、その提案が生かされることが、真の教職共同を作り出す。
教学経営の確立に向けて
私大の教学分野での目標によるマネジメントはまだ十分とはいえない。教学経営の確立には、大学個性化の方針・目標の確立、教育体系、推進組織の統合的な整備が必要だ。学士力答申の「教育プロセスからアウトカムへ」という提起は、「学生を中心とした教育への転換」というメッセージとして極めて重要な意味を持つ。外からのアウトカム評価ではなく、各大学がそれを自立的改革に活せるかが重要だ。今日の教育改革の焦点は、学生本位の教学マネジメントへの転換ができるか否かにある。学長のリーダーシップ、教職員の熱意、教職協働による学生満足度の向上と成長が求められている。
今こそガバナンス機能強化を 日米に見る金融危機への対応
問われる理事会のガバナンス機能
大学を取り巻く環境が激しく変化するのに伴って、理事会の役割と責任が高まっている。特に、大学運営に「健全性、透明性、誠実性」を確立するためコンプライアンス(法令遵守)やアカウンタビリティ(説明責任)といった大学のガバナンス機能の強化を求める声が強い。つまり、大学の運営が特殊な体質・文化に基づくものでなく、組織倫理や社会規範を遵守するという社会性が問われているわけである。
《大学のガバナンス》
ガバナンスは、一般的に「統治」と訳されている。この言葉は「舵を取る」という意味のラテン語が語源で、これが変じて「将来に向けて方向性を定めること」と理解されてきた。しかし、近年では企業の世界で不祥事が相次いだことから、コーポレート・ガバナンスでは、経営陣に対して「企業倫理や社会規範を遵守し、組織の健全性、透明性、誠実性を高めること」と定義している。
一方、大学のガバナンスも補助金の虚偽申請、補助対象工事の水増し請求などの不祥事を受け、二〇〇五年私立学校法が改正され、理事、監事の役割と責任が明確化された。コンプライアンスやアカウンタビリティといった大学のガバナンス機能の強化を目指すものである。ところが、大学は法律の改正や答申を受けたとしても、その本質を理解した上で、自ら変わろうとする意欲に欠ける。私立学校法の改正も、多くの大学で理事会の機能強化が図られたとは言い難い面がある。
ところが、大学のガバナンス体制を根底から揺るがすような事態が起きた。リーマン・ブラザースの破綻に端を発した米国発の金融危機である。為替スワップや仕組み債といった、いわゆるデリバティブ(金融派生商品)によって資産運用をしていた大学が、大きな損失を出している。報道されているだけでも駒澤大が一五四億円、立正大が一四八億円、慶應大が二五〇億円などの損失や評価損を出しており、駒澤大では理事長が責任を取って辞任している。
事態を重く見た文科省は、年明けの一月六日、学校法人運営調査委員会がまとめた「学校法人の資産運用について」(意見)と題する文書を全国の文科省所管学校法人理事長宛に出した。この中で、調査委員会は「学校法人の運営は、学生生徒の納付金、善意の浄財である寄付金、国民の税金からなる補助金によって支えられている」とした上で、「学校法人の理事長を含む理事は学校法人に対して善良な管理者の注意義務を負っていることを再認識する必要がある。経営の最終的な意思決定及び理事の職務執行の監督を掌る機関は理事会であることを前提として、資産運用に関する責任ある意思決定と執行管理が行われる体制を確立すること」を求めている。
筆者の手元に、某証券会社が調査した大学法人の資産運用実績(十九年度)のリストがある。それによると資産運用収入を運用可能資産で割った「資産運用利回り」が一〇%を超える法人が二校、四〜一〇%の法人が三五校、二〜四%の法人が六二校となっており、利回り二%を超える法人は九九校で、リストにあがっている二七八法人の三五%に上っている。日常的な支払いもあるので運用可能資産のすべてを運用に回していることはありえない。仮に半分を運用していたとすると、運用利回りはこの倍になる。つまり運用利回り二%の法人は、実際には四%を超える利回りを出していたと推定される。低金利のこの時代に、四%を超える利回りを出していたとすれば、リスクの高い運用を行っていた可能性がある。
《ガバナンス機能の日米比較》
今回の金融危機による損失という点では、米国の大学の方がはるかに被害は大きい。クロニクル紙によれば損失額は、ハーバード大が八〇億ドル(基金額三四六億ドル)、イェール大が六〇億ドル(同二二五億ドル)、デューク大が一二億ドル(同六〇億ドル)など多くの大学が、金融危機の発生からたった四か月間で基金総額の一五〜三〇%を減少させている。
ハーバード大をはじめ、基金の豊富な大手の大学は経常経費の約三分の一を運用益が占めている。当然、基金額の減少は大学運営に深刻な打撃を与える。各大学は、基金運用の見直しに取りかかるとともに、予算の削減や教職員採用の凍結(ジョージア工科大、スタンフォード大)、新規建設工事の延期(コーネル大、ダートマス大、MIT)、学長を含めた管理職の給与凍結(ミネソタ大)、テニュアでない教員二〇〇人の契約打ち切り(アリゾナ州立大)、夜間・休日のエアコン停止(ハワイ大)などの対策を打ち出している。
このように金融危機の影響は、日米ともに大学の資産運用の失敗という点では同じであるが、異なる点がいくつかある。
(1)ガバナンス機能
米国の大学は損失を出した時点で、いち早く学生、卒業生、教職員に学長名で文書を送り、具体的なデータを添えて経緯を説明し、窮状を訴えるとともに理解を求めている。また、社会に向けてもウェブサイト上で情報を公開するとともに、メディアを通じて今後の運用方針や対策などを発表している。
これに対し、わが国では一部の大学がウェブサイト上に損失の事実を載せているが、その内容は「損失は出たが、大学の運営に影響はない」というだけのもので、具体的な運用額や運用方法、損失額のほか損失の責任、今後の方針等には触れていない。さらに、損失が明らかになりながら、なんの行動も起こしていない大学もある。これでは、とても経営を担う理事会が社会に対して“説明責任”を果たしているとは言い難い。
「健全性、透明性、誠実性」というガバナンス機能が米国の大学では示され、日本では示されていないわけで、わが国の大学理事会の未成熟さを浮き彫りにしているといえよう。
(2)運用組織と原資
米国の大学の基金運用は、私立・州立を問わず基本的に大学とは別組織の「基金団体」が行っている。この団体が卒業生や篤志家、民間企業から寄付を募る。基金団体は、運用のプロを採用し、投資顧問会社を通じて株や国債、為替、デリバティブなど多様な手法でリスク分散型の投資を行い、その運用益を大学に提供している。つまり、運用の原資は寄付金であり、大学の運営資金が使われることはない。
一方、わが国の大学は大学自身が、大学の資金を使って運用している。しかも、大学に投資の専門家はいないから、証券会社が持ち込んだ案件を判断する能力も、リスクを回避する手段も持ち合わせていない。さらに米国との最も大きな違いは、大学には経常費補助金として多額の税金が投入されているという点だ。「税金を使って運用をし、損失が出たら税金で補填している」と取られかねない。また「目的を持って積み立てられた基本金を原資として運用することは、目的外使用といえないか」という意見もある。
国立大学法人の場合、余裕金の運用は国債や格付けが一定以上の社債、預金、金銭信託などに制約されている。一方、私立大学には法的な制約がない。もともと学校法人会計基準は、リスクを伴う資産運用を想定していない。損失が発生した場合は、貸借対照表の欄外に注記することになっているが、具体的な内容までは踏み込んでいない。
一月二十七日に開催された、私大協会の「私立大学財政基盤の充実に関する研究協議会」で文科省の豊岡宏規・参事官は、資産運用について「法人の経営判断と自己責任で行うもの」とした上で、「大学が学内規程等によって正式な手続きを踏んでいるか」「責任の所在が明らかになっているか」等の観点から「法人に損害を与えたという点で、法律上、理事会が損害賠償の対象になる場合がある」と注意を促している。
このように考えると、資産運用を行っていた全ての大学は、その内容について正しい情報を公開する必要がある。そうでなければ、納税者を納得させることはできないし、「運用する資金的な余裕があるのなら…」といって補助金削減の口実に使われることも心配される。まさに、大学理事会のガバナンス機能に基づいた見識が問われている。
《ガバナンス機能強化に向けて》
わが国の大学は、資産運用に限らず多くのリスクにさらされている。定員割れによる経営危機、論文の盗用、科研費の不正使用、教職員のセクハラやアカハラ、学生の大麻所持、入試の出題ミスなど数え上げればきりがない。ところが、それらのリスクに対する理事会の認識はそれほど高くない。その場限りの対応はするものの、リスクを回避するための組織的な取り組みを行っている大学は少ない。事件・事故が起きた場合に情報を小出しにし、実態を明らかにしないという姿勢が伺える。大学が社会の中で存在するという意義に基づいて行動し、評価されるためには理事会のガバナンス機能を強化する必要がある。
米国では、エンロン事件やワールドコム事件などの企業不祥事を受けて、二〇〇二年にSarbanes-Oxley法(企業改革法)が施行された。この法律は、企業に対して組織の透明性や誠実性を高めるとともに、経営者の責任と義務を明確にすることによってコーポレート・ガバナンスの確立を目指したものである。いわば、企業の不祥事根絶法とでもいえるものだが、大学のような非営利組織は対象になっていない。
しかし、米国大学理事者協会のスーザン・ジョンストン副会長は「米国赤十字社の個人情報漏洩事件など、近年公共性を有する非営利組織で倫理性が問われる事件が起きている。このため、非営利組織にもSO法を適用すべきではないかという意見が高まっている。だからこそ、大学理事会には、社会の支持を得るための“誠実性”が求められており、その基本はアカンタビリティである。したがって、アカウンタビリティを理解し、実践できる人材が大学の理事に就任すべきである。理事会に出席して手を挙げるだけの理事を求めていない」と語っている。
資産運用の失敗で明るみになったわが国の大学理事会の未熟さを打破するための方策として
@米国の大学が取り組んでいる理事研修を参考にして、理事の能力を開発するための研修システムを確立・制度化すること。
A理事会の運営を補佐する有能なスタッフを養成すること。
B外部の有識者による「アドバイザリー・ボード」を設け、理事会への助言とチェック体制。
―を検討し、理事会のガバナンス機能を強化することが求められている。