平成21年3月 第2352号(3月11日)
■教育制度の見直しを
近年、大学全入との声が聞こえ、高等教育と言われている大学も、今や大衆教育といってもよい時代になった。多くの人たちが高等教育を受けられることは歓迎すべきことだが、問題が多いことも指摘されている。
大学進学の目的意識の希薄さに加え、新入生の学力のばらつきや基礎学力の不足に多くの大学が戸惑っており、補修授業などを取り入れたり何らかの対策に追われている。また、学力上位のものと下位のものとの差が大きくなり講義が成立しないという声もある。専門の学力は修士課程でするというような風潮もある。要するにレベルが低下したと言うことである。
大学が学力の問題に悩んでいる一方で、TV等では、公設研究機関、企業の種々の研究所での大学ではできないような科学的成果や難しい実験や製造現場の映像を提供している。高校生の中には知的好奇心が刺激され、期待に胸ふくらませて大学に入学して貧弱な施設でがっかりした者もいるかも知れない。
二十一世紀社会は一国だけで生きていけない。地球規模の温暖化問題や環境問題、資源争奪戦や食糧不足、政治や経済をはじめ、学術・技術などすべての分野でこれまで以上に激しい競争の世紀でもある。この競争に勝つために必要なものと言えば、やはりすぐれた人材と知恵である。中国の春秋時代の名宰相管仲の言葉「一樹一穫は穀なり。一樹十穫は木なり。一樹百穫は人なり」にあるように、古くから人材育成の大事なことは言われており、人材育成は国家の最重要課題である。さらに大学は単に知識の蓄積と伝達ではなく、長寿社会にあっては一生涯を通じての「学びの歓び」を身につけることのできる場でもあろう。
現在の教育制度が作られてから約半世紀を経過した。生涯教育、IT、教育特区等の出現など、教育・社会環境が大きく変わった。大学進学率が今のように高くなることなど当時想像できただろうか。教育制度は人を作る制度でもあり、その影響は後々まで大きく影響するので、軽々に変更するものではないが、「教育制度の疲労」を感じるこの頃である。
そろそろ抜本的に見直す時が来たのではないだろうか。