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平成20年9月 第2331号(9月17日)

地域共創 ―高島平再生プロジェクトとは―<中>
  "自由な教育"学生と市民が体現 GPがもたらした「予期せぬ難問」も

  大東文化大学 環境創造学部環境創造学科教授 山本孝則氏

 一口に「大学の地域連携」というが、Googleで「地域連携 大学」と検索すると、六六万件強がヒットする(○八年七月現在)。また、二○○七年度現代GPの「地域活性化への貢献」の「地元型」「広域型」の合計で採択となった件数が四八、大学等の応募件数は二三九であった。つまり、これらの事実が示唆することは、いまや大学にとって地域連携が大学存立の必須事項になったという時代の変化であろう。ポイントは、いうまでもなく史上例を見ないスピードの「少子高齢化」の進行である。
 本来、少子化と高齢化とは表裏一体の関係にあるはずである。にもかかわらず、「少子化対策」「少子化社会対策基本法」、「高齢社会対策」「高齢社会対策基本法」のように、「少子化社会」や「高齢化社会」といったそれぞれ独自の社会が存在するかのように想定し、それぞれに独自な「対策」があるかの如く取り組むのが常であった。こういう硬直した現実を目の辺りにすると、少子化も高齢化も、放置しておけば間違いなく日本という社会を衰亡させる原因になりうるのである。
 高島平再生プロジェクト(高P)が全国的な規模で共感を持って受け止められた理由の一端は、日本の縮図・高島平が「本来表裏一体のはずの少子高齢化問題の全体」、ひいては閉塞感の蔓延する日本社会に最初の風穴を開けるのではないかという、熱い期待があってのことではなかろうか。
 《高島平が変われば、日本も変わる!》。実際、それを端的に教えてくれているのが、団地内に本学が設置した「コミュニティ・カフェサンク」内の各種学習教室である。そこには、いまや失われた感がある教育の本来の姿がある。書道を教えたい学生の池田君(書道学専攻)が「書道学びたい人、この指とまれ」とばかりに声を挙げる。すると、彼の両親や祖父母に近い一五人ほどの「社会人の生徒」が「学生の先生」を囲んで和気あいあいと半紙に向う。そこには、教授する側への感謝の念、学びに来てくれることへの感謝の念はあっても、「卒業のため」「単位のため」という「強制された教育」の気配はどこにもない。
 学生、市民がその役割を入れ替えながら、ときに教え手となり、ときに学び手になる。これこそが自発性に支えられた真の教育、即ち「自由な教育」の姿であろう。こうした自発的な学びの場を主催し、教え手の役割を担える人材を育てる。これが大学教育の真骨頂に違いない。同様な趣旨から、「英会話」「日本語」「中国語」「抹茶」「童話の語り方」「地球環境問題」などが開催されているが、本物の学びの時空が実現しているのは、書道教室と同じである。
 カフェサンク内に併設されたFMサンク(ミニFM)は、高Pに基づく現代GPのプログラムのなかで最も具体化が遅れた分野であった。しかし、ここでも、高Pの目的をはっきりと自覚した小川君(法学部三年)が自発的にプロデューサーを引きうけてくれたことで、十月からの本格放送に向けた目処が立ってきた。また、カフェサンクの看板デザインについては、教員は作業のお膳立てをするだけであとは、学生・地元住民の手で実現する手はずを整えた。
 このように、高Pの運営において学生・地元住民・教員という異質な層の協力・連携に徹底的にこだわるのは、「多世代共住・多文化共生」という高Pの根本ビジョンへのこだわりでもある。
 一番重要なカフェサンクの運営も、高Pのボランティアの枠組みに基づき学生諸君がシフト制で「開店時間」を決めている。カフェサンクの外でも、災害時の住民サポートを目指す「大東レスキュー隊」、毎週土曜日の夕方に広大な団地の中を巡回し、子どもやお年寄りに安心感を与えている「団地見回り隊」、デイケアセンターでのお年寄りとの交流など、献身的な社会貢献活動が続けられている。こうした活動を行う学生(一般市民の場合も同じだが)は、サンクポイントと呼ばれる「地域通貨」が与えられる。サンクポイントは本学がサブリースした居室の賃料の一部として受け取ることよって、高島平における学生のボランティア促進、地域の商業施設との交流活性化など、サンクポイントの基礎固めが可能になったと言えよう。
 まだまだ課題山積の高Pではあるが、曲がりなりにもここまでこられたのは、自発的に高島平の街と大学の再生を願う教職員、地元住民、そして誰よりも、高Pに共感しプライドをもって取り組んでいる学生諸君のお陰だ。そして、忘れてはならないのは、カフェサンクやミニFMが実現するきっかけになった現代GPの存在だ。現代GPに採択されたことの重みは、単に助成金を得たことにとどまらず、高Pの認知度を一挙に高めたという意味で、大きなエポックとなった。
 しかし他方で、現代GP選定は、「自由な意志に基づく地域―大学再生活動としての高P」とは異質な、教員の「職務としての高P」、「文科省の助成金業務としての高P」という、いま一つの顔をもたらすことになったのである。
 高P活動を担っていた教員だけでコンパクトにGP活動も担っていくのであれば、そうした「ネジレ」はまず生じなかったであろう。だが、これまでの担い手に加え、環境創造学部GP実施委員会は、高Pと関わりを持たなかった教員をも包摂して発足した。というのも、環境創造学部の教員は専攻分野やキャリアを著しく異にしているという事情を配慮し、現代GPへの総合的な取り組みにより学部のまとまりを創っていく、という狙いがあったからである。
 同学部の専任教員二○名中一四名(七○%)がGP実施委員会で、その三○〜四○%が現代GP選定以前には高Pと関わりの薄かった教員である。こういう構成のもとでは、「自由意志の高島平再生プロジェクト委員会(教員、住民、学生で構成)」と「職務としてのGP実施委員会(一四名の専任教員のみで構成)」との間で、ある種のネジレが生じうることは充分予想できた。
 実際、恐れていたことが現実のものとなる。高Pの運営上の最大の特徴は、大学関係者と地元住民が「地域の共同の利益」をイコールパートナーの立場で追求しているところにあった。それに加えて、現代GPで求められているのは、高P活動に参加しているGP学生委員会など、「学生の自主性」を最大限引き出すことである。「学部自治」の担い手である教員の組織ひとつとっても、その意思形成の難しさは並大抵ではない。そこに、地域活性化の担い手として実力を蓄積してきている高島平の地元住民、社会経験に乏しい学生達を加えて、「高島平における団地と大学の再生」に向けて意思形成していこうというのである。
 それだけではない。「高P委員会代表」と「GP実施委員会委員長」とが別人格であるという事情によって、地域連携のパイオニアとして四年間の実績を誇った高Pの活動は、「組織的な意思形成の困難」という壁にぶつかることになる。この五月十八日、カフェサンクは、高島平二丁目団地自治会長、板橋区長、同教育長、UR東日本支社長などを招き、正式にオープンした。しかし、その数日前まで、「店内」のどこにも利用の基本原則も明示されていなければ、運営の基本理念も周知されていなかったのである。
 一体、大東文化大学の高島平再生活動はどこで、誰が意思決定するのか。
 そうした疑問と不安が地元住民、学生、職員の中からだけではなく、ほかならぬ「GP実施委員会」の教員の間からも一挙に噴出するところとなった。前稿の末尾で触れた「予期せぬ難問」とは、大学におけるガバナンスの在り方のことだったのである。
(つづく)

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