平成20年3月 第2307号 (3月5日)
■学園創設100年目の抱負
学校法人大谷学園理事長(元法務大臣) 左藤 恵
西暦二〇〇八年は戊(つちのえ)子の年であり、私が生まれたのは一九二四年甲(きのえ)子で、還暦から後、二回目の子年を迎えることになる。私自身国会議員から引退して八年が過ぎたが、在職中同年の方が何人か在職されていた。私の誕生日は二月二十八日であるが、大正十三年は閏年で二十九日があった。その近辺にお生まれになった人を列挙すると、二月二十六日が竹下 登元総理、誕生日を四年に一度しか祝えない二月二十九日生まれの共産党の小林政子女史、そして三月三日頃の生まれの村山富市元総理を数えることが出来た。私の生まれた時のことを亡母に聞いたところ、午後十時半頃とのことで、あと一時間半遅れたら四年に一度しか誕生日が廻ってこなくなってよかったかどうか珍しいケースになるところだった。それよりも竹下元総理と村山元総理の間に挟まれていたので大臣は三度も勤めさせて頂いたが総理とはいかず、これが本当の「I am sorry」と言うところだろう。
私が理事長を勤める大谷学園は、祖父が明治の末期、学園を創始して、今年で一〇〇年目に当たり、十月十四日の記念日には盛大にお祝いをするつもりであるが、この記念行事にさきがけて、二年前から女子大学を男女共学として大阪大谷大学と名称を変更し、薬学部を新設し、富田林市にあるキャンパスは、新たな活力があふれ始めている。古くからある阿倍野台の中学・高校についてはこれから老朽校舎を改築しなければならず、今年が一〇〇周年記念行事の第二段階として新たな展開を図る計画であり、今までの子女に対する「報恩感謝」の教育から男女共生社会での二十一世紀の大谷学園教育に向かっての進歩の鐘を一層高く鳴らすべき今年こそ、私の子年での抱負である。