平成19年10月 第2291号(10月10日)
■学士課程教育の再構築に向けて
第三章 改革の具体的な方策
第一節 学位の授与、学修の評価
(国際的な動向)
○これまでの諸答申において、大学教育あるいは学士課程教育において育成すべき資質・能力に関しては、種々の提言が行われてきた。特に、基本的な考え方としては、「課題探求能力」の育成を重視すべきこと、「二十一世紀型市民」の育成・充実を共通の目標として念頭に置くべきことなどが示されてきた。こうした基本的な考え方は妥当なものであるが、学士課程で学生が身に付ける「学習成果(ラーニング・アウトカム)」を具体化・明確化していこうとする動向に照らしてみると、未だ抽象的かつ曖昧であると言わざるを得ない。
○今日、大学教育の改革をめぐっては、「何を教えるか」よりも「何ができるようにするか」に力点を置き、その「学習成果」の明確化を図っていこうという国際的な流れがある。その背景には、次のような点がある。
ア グローバルな知識基盤社会や学習社会において、学問の基本的な知識を獲得するだけでなく、知識の活用能力や創造性、生涯を通じて学び続ける基礎的な能力を培うことが重視されつつある。それらは、多様化・複雑化する課題(例えば、人口問題、資源エネルギー問題、地球環境問題など地球の持続可能性を脅かす課題)に直面している現代の社会を支え、よりよいものとしていく責任を果たす、自立した市民にとって不可欠な資質・能力となってきている。
イ 高等教育自体のグローバル化が進展し、学生や学位取得者の国際的な流動性が高まる中、知識・能力等の証明である学位の透明性、同等性が要請されるようになってきている。なお、労働の面でも流動化が進み、個人の学習や訓練の履歴、知識・能力等を証明するシステムが必要となりつつある。
ウ 企業の採用・人事の面において、コンピテンシー概念が導入され、産業界は、若年労働者を供給する中心的な役割を担うようになった大学(とりわけ学士課程)に対し、職業人としての基礎能力の育成を求めるようになってきている。
○先進諸国では、人材開発を国家の競争力向上のための重要政策として位置づけ、その一環として、例えば、アメリカにおける連邦労働長官諮問委員会(SCANS)の報告(一九九二年)(ワークプレイス・ノウハウの提示)、イギリス教育・雇用省のナショナル・スキルズ・タスクフォースの調査報告(二〇〇〇年)(スキルの定義と概念の提示)などの動きが見られる。
高等教育による「学習成果」については、イギリスの高等教育制度検討委員会(デアリング委員会)の報告(一九九七年)における勧告(獲得すべきスキルの提示)、オーストラリアにおける大学卒業時の知的能力の測定(グラデュエート・スキル・アセスメント)といった動きが見られる。アメリカでは、連邦教育長官諮問委員会の報告書に基づく行動計画が策定され(二〇〇六年)、連邦政府がアクレディテーション団体に対し、評価基準における「学習成果」の一層の重視を求めている。
国を超えた取組として、欧州では、国際競争力を備えた「欧州高等教育圏」の実現を目指し、域内各国の学位制度の標準化、学修内容を共通様式で示す「学位証書補足資料」(ディプロマ・サプリメント)の導入に向けた取組が進行中である。学士についても、一般的属性や各分野特有の属性に関する枠組みづくりが研究されている。域内では、イギリスが先導的であり、高等教育質保証機構(QAA)が、大学関係者と協同して、学位の種類毎の「学習成果」を示した「高等教育資格枠組み」や、学士等の各分野別の学位水準基標(サブジェクト・ベンチマーク)を策定している。
○こうした国レベルの枠組みの下、個別の大学や評価機関も、「学習成果」を重視した取組を進め、それぞれの機関の個性や特色を踏まえ、学位授与の方針等を具体化している。このような国家政策と個々の大学との一種の協調的な営為は、当該国の大学の国際展開や留学生獲得の面で寄与している面が少なくない。
(我が国の課題)
○我が国の大学を取り巻く環境も、こうした先進諸外国と異なるものではない。しかし、「日本の学士が、いかなる能力を証明するものであるのか」という国内外からの問いに対し、現在の我が国の大学は明確な答を示しえず、国もこれまで必ずしも積極的に関わろうとはしてこなかった。
個々の大学が掲げる人材養成目的や建学の精神は、総じて抽象的であり、学位授与の方針として、教育課程の編成・実施や学修評価の在り方を律するものとは十分に成りえていない。かねて「入難出易」と評され、評価の厳格化が求められてきたが、実態はどうであろうか。進学率が上昇し続け、「大学全入」に至ろうとする時期を迎えているが、入学生の約八割が修業年限で卒業し、卒業までに退学する者は一割程度(見積り)に止まるという状態に目立った変化はない。大学卒業生全体の学力が低下したという実証的な分析結果は無いものの、産業界のそうした印象、さらに言えば不信感を払拭できるような具体的な根拠を、大学も国も十分に持ち合わせているとは言えない。
○大学が学生に身に付けさせようとする能力と、企業が望む能力との乖離、ミスマッチもかねて指摘されてきた。近年では、「企業は「即戦力」を望んでいる」という言説が広がり、就職難の状況も背景として、学生の資格取得などの就職対策に精力を傾ける大学が目立つようになった。しかし、実際に企業の多くが望んでいることは、むしろ汎用性のある基礎的な能力であり、就職後直ちに業務の役に立つというような「即戦力」は、主として中途採用者に対する需要であると言う。こうした「誤解」の例に示されるように、大学は、企業の発する情報を必ずしも正確に理解しているとは言えず、また、企業も、自らの求める人材像や能力を十分明確に示し得ていない。
○こうした中、国においては、基礎力の養成を求める産業界の意向を踏まえた政策的な対応も始まっている。例えば、厚生労働省は「若年者就職基礎能力」(平成十八(二〇〇六)年)、経済産業省は「社会人基礎力」(平成十八(二〇〇六)年)を提起している。これらは、必ずしも大卒者のみを念頭に置いたものではないが、産業界の期待・要請する能力、コンピテンシーを簡明に表現したものとして参考に値する。
しかし、大学は、自主性・自律性を備えた公共的な機関であり、また、学士課程教育の目的は、職業人養成に止まるものではない。より幅広く、学士課程教育は、自由で民主的な社会を支え、その改善に積極的に関与する市民、生涯学び続ける学習者を育むこと、知の世界をリードする研究者への途を開くこと等の重要な役割・機能を担っている。
このことを踏まえて、学士課程の「学習成果」の在り方を更に吟味することが求められる。
○国の大学改革においては、大学設置の規制を緩和したり、機能別の分化を促進したりすることにより、個々の大学の個性化・特色化を積極的に進めてきた。その結果、我が国の大学全体の多様化は大いに進んだが、「学士課程あるいは各分野ごとの教育における最低限の共通性があるべきではないか」という課題は必ずしも重視されなかった。
例えば、学位に付記する専攻分野の名称は年々多様化し、その種類は、現在、約五八〇に達し、さらに約六割は専ら当該大学のみで用いられている名称となった。このように過度に細分化された状態が、真に学問の進展に即したものなのか、学生の「学習成果」の在りようを適切に表現しているのか、能力の証明としての学位の国際通用性を阻害する恐れはないのか、懸念を持たざるを得ない。
また、最近の新設大学の中からは、資格試験予備校と内実が変わらない大学の実態が明らかとなり、認可の在り方に対する厳しい社会的な批判が生じたことも看過できない。
単に認可要件を緩和して大学の新規参入を促進するのみでは、学位の水準の維持・向上に繋がらないという点を、教訓として十分に認識する必要がある。
○以上のような国際的な動向や我が国の実情を踏まえてまとめると、今後、「学習成果」を重視する観点から、各大学では、学位授与の方針や人材養成の目的を明確化し、その実行と達成に向けて教育活動を展開していくことが必要となる。また、国として、そうした大学の取組を支援していくとともに、個別大学の取組を支える基盤として、分野を横断し、さらには各分野にわたり、学位の水準の具体的な枠組みづくりを促進していくことが極めて重要な課題となる。
〈改革の方策〉
○このような課題意識に立って、改革の方策を次のとおり提言する。ここでは、取組の着手点として、分野別の議論に先立ち、分野横断的に我が国の学士課程教育が共通して目指す「学習成果」について審議し、「学士力(仮称)」として掲げた。本委員会では、我が国の学士課程の多様な現実(アメリカのリベラル・アーツ型から医歯薬学教育等の職業教育まで)を踏まえる必要があるという認識に立って議論を行い、できる限り汎用性があるものを提示するよう努めた。すなわち、ここに掲げる「学習成果」については、どの分野を専攻するのか、将来像答申の掲げる諸機能のいずれに重点を置くのかを問わず、それぞれの大学、学部・学科において、自らの教育を通じて達成していくものとして受け止めていただきたいと考えている。
ただし、これは、個々の大学における学位授与の方針等の策定に向けた参考指針となることを意図したものであり、もとより、その適用を国が各大学に強制することを求める趣旨ではない。学士課程の「学習成果」について、一定の標準性が望まれるとしても、その実現や評価の手法は多様であるべきであり、各大学の自主性・自律性が尊重されなければならない。今後の審議では、将来的な大括りの分野ごとの「学習成果」の在り方の検討を念頭に置きつつ、まずは、学士課程全体を通じた「学習成果」の在り方に関して、大学関係者のみならず、各方面の意見を幅広く聴きながら、引き続き検討を深めていきたいと考えている。
○学士課程教育については、諸答申において、教養教育と専門基礎教育とを中心とするという考え方が謳われ、教育基本法の新たな条文では、「高い教養と専門的能力を培う」(第七条)旨、大学の基本的な役割として規定されている。こうしたことを踏まえ、学士課程教育で身に付けるべき「教養」とは何かという論点も無視できない。「教養」の意味・内容をめぐっては、多年にわたって様々な議論のあるところであるが、今回は、「学習成果」という観点から、参考指針について記述している。これらは、「教養」を身に付けた市民として少なくとも行動できる能力として位置づけることができる。
○もとより、「教養」は、文化的・哲学的な色合いを帯びた概念であり、コンピテンシー等の考え方のみでは語り尽くせないものである。過去の答申が、教養教育の在り方について、「自らが今どのような地点に立っているかを見極め、今後どのような目標に向かって進むべきかを考え、目標の実現のために主体的に行動する力を持つこと」と端的に説明しているように、自省や省察といった営みは「教養」と不可欠な関係にある。
このような点を踏まえ、どのように「教養」の内容を具体的に考え、教育活動を展開していくかは、各大学の設置の趣旨・理念、建学の精神などに基づき、当該大学が主体的に判断していくこととなる。いずれにせよ、今回の提言は、参考指針として掲げた能力の枠内に「教養」を押し込めようとするものではなく、より高次の目標を追求しようとする多様な考え方を尊重する立場に立っている。外部から与えられる「学習成果」に止まらず、目指す「学習成果」を自ら設定し、必要な行動ができる人材を育てることができるならば、それが理想であると言うこともできよう。
【大学の取組】
◆大学全体や学部・学科等の人材養成の目的、学位授与の方針を定め、それを学内外に対して積極的に公開する。
その際、それらが抽象的な記述に止まらず、「学習成果」を重視する観点から、具体的で明確なものとなるように努める。
◆学位授与の方針の策定に当たって、PDCAサイクルが稼動するようにする。
学内の共通理解を確立すること、実践の段階に応じて目標を具体化すること、客観的に測定可能な指標によって予め目標設定しておくこと等に留意する。
◆学位授与の方針等に即して、学生の学習到達度を的確に把握・測定し、卒業認定を行う組織的な体制を整える。
各大学の個性や特色、専門分野の特質に応じて、客観性・標準性を備えた学内試験の実施や外部試験の結果の活用についても検討し、適切に対応する。
◆大学の実情に応じて、相互に学位授与の方針の策定・実施に関与する仕組みについて検討する。
例えば、大学間連携を実践する場合、その取組の一環として検討する。
◆学位に付記する専攻分野の名称については、学問の動向や国際通用性に配慮して適切に定める。
類例がなく定着していない名称は避けるよう努める。仮にそれを用いる場合、依拠・関連する既存の学問領域との関係について説明責任を果たすようにする。
【国による支援・取組】
◆国として、学士課程で育成する「21世紀型市民」の内容(日本の大学が授与する「学士」が保証する能力の内容)に関する参考指針を示すことにより、各大学における学位授与の方針等の策定や分野別の質保証枠組みづくりを促進・支援する。
各専攻分野を通じて培う「学士力(仮称)」
〜学士課程共通の「学習成果」に関する参考指針〜
1. 知識・理解
専攻する特定の学問分野における基本的な知識を体系的に理解するとともに、その知識体系の意味と自己の存在を歴史・社会・自然と関連付けて理解する。
(1)多文化・異文化に関する知識の理解
(2)人類の文化、社会と自然に関する知識の理解
2. 汎用的技能
知的活動でも職業生活や社会生活でも必要な技能
(1)コミュニケーション・スキル
日本語と特定の外国語を用いて、読み、書き、聞き、話すことができる。
(2)数量的スキル
自然や社会的事象について、シンボルを活用して分析し、理解し、表現することができる。
(3)情報リテラシー
多様な情報を適正に判断し、効果的に活用することができる。
(4)論理的思考力
情報や知識を複眼的、論理的に分析し、表現できる。
(5)問題解決力
問題を発見し、解決に必要な情報を収集・分析・整理し、その問題を確実に解決できる。
3. 態度・志向性
(1)自己管理力
自らを律して行動できる。
(2)チームワーク、リーダーシップ
他者と協調・協働して行動できる。また、他者に方向性を示し、目標の実現のために動員できる。
(3)倫理観
自己の良心と社会の規範やルールに従って行動できる。
(4)市民としての社会的責任
社会の一員としての意識を持ち、義務と権利を適正に行使しつつ、社会の発展のために積極的に関与できる。
(5)生涯学習力
卒業後も自律・自立して学習できる。
4. 統合的な学習経験と創造的思考力
これまでに獲得した知識・技能・態度等を総合的に活用し、自らが立てた新たな課題にそれらを適用し、その課題を解決する能力
◆将来的な分野別評価の実施を視野に入れて、大学間の連携、学協会等を積極的に支援し、分野別の質保証の枠組みづくりを促進する。
例えば、「学習成果」や到達目標の設定、コア・カリキュラムの策定、モデル教材やFDプログラムの研究開発などを促進する。併せて、海外の先導的な事例に関する情報収集を行い、その成果を広く提供していく。
◆「学習成果」の測定・把握、「学習成果」を重視した大学評価の在り方などについて、調査研究を行う。
諸外国の先進事例を調査する。また、国として直接、あるいは、大学間の連携強化に向けた取組の支援を通じ、学生の生活実態や価値観、学習状況に関する実証的なデータを整備する。
◆学位に付記する専攻名称の在り方について、一定のルール化を検討するとともに、学問の動向や国際通用性に照らしたチェックがなされるようにする。
ルール化の検討に当たっては、学協会等との連携協力を図る。また、英名表記の国際通用性の確保に留意する。学部等の設置審査や評価に際しては、唯一単独の名称を用いる場合、関連する学問領域との関係について十分な説明を求め、必要に応じ、見直しを含め適切な対応を促す。
◆産学間の相互理解を深め、連携を強化するため、関係者の対話の機会を設ける。
そうした機会などを通じ、産業界のニーズを学士課程教育の改善に向けて適切に反映するとともに、大学の実情に関する産業界の理解の増進を図り、必要な支援や協力(例えば、企業の採用活動の早期化等の是正、職業教育分野の「学習成果」等の共同研究など)を要請する。