平成19年1月 第2257号(1月1日) 2007年新春特別号
■2007年 新春座談会
「全入時代の教育と私学経営 高度化と多様化への対応」
学校法人制度を堅持し私学振興を 建学の精神の下、特色ある教育を展開
グローバル化時代の教育の質保証
大橋 今、グローバルという言葉が至る所で飛び交っていますが、それは教育の世界でも他人事ではありません。教育の質の保証というのは、日本国内だけの話ではなくて、今やグローバルに考えなければならない時代になってきています。
例えば、学士にはそれなりのレベルがあることが、国際的な常識となっています。ですから、学部を卒業してから修士に進むとき、基本的には世界中どこの大学院でも受け入れてもらえることになります。それは学位の国際同等性が、暗黙の前提となっているからです。ですから、日本の学士のレベルもグローバルに承認されるレベルを保たないと大変危険なことになってしまいます。日本の学部を出た人が、よその大学の大学院に入ろうとするとき、学士号の互換性が崩れて個別に学力チェックを受けなければならなくなる事態を考えれば深刻です。
私が先ほど全入時代になると大変苦しい状態が待っていると申し上げたのは、入ってくる学生が多様になってきても、出すときには国際的に学士と言えるようにして出さなければならない。そのためには、従来に比べると格段に厳しい教育に対する負担がかかってきます。そのことを念頭に置いて申し上げたつもりです。その覚悟と認識を、すべての大学が共有する必要があります。一部の大学でもその信頼を破ると、すべての大学に悪影響が及んできます。認証評価が義務化されましたが、設備や教員という見えやすい尺度で評価するだけでなく、学位レベルの保証まで見とどけていただきたい。学士レベルの国際同等性を確保する責任は当然大学が負いますが、認証評価機関には、それを確認する責任があるでしょう。
廣川 それから気になっているのは、これまでの政治の結果として非常に地方の過疎化が進んでいることです。したがって、昔から歴史と伝統があり、その地域にとって知と文化の重要な拠点としての大学が、経営努力をしてもどうしても過疎化のために学生が集まらず、学校法人活性化・再生研究会による「中間まとめ」でいうイエローゾーンに入るとか、もっと厳しい状況の場合もあり得ると思います。
教育が公共性を持つとは、経済理論だけで対応することではないと思います。したがって、今赤字であっても長い目で見て継続していくことに意義があるならば、国が積極的に支援をしていくことが公の教育の場では考えていくべきではないかと申し上げたいのです。