アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.549
関係性をつくる広報
地域社会で必要とされる大学をめざして
日本私立大学協会が主催する、広報担当者の協議会が3月17日に開催される。この会は2012年の3月に初めて開催され、今回で3回目になるものである。同協会が主催する事務局の分野別研修会は、学生生活指導に始まり、事務局長、教務、経理、就職というように事務部門の殆どをカバーしているが、唯一、広報・学生募集の部門だけが取り残されていた状況であった。過去に何回か開催を要望する声もあったようであるが、この部門は大学の収入の中心にかかわる部分であり、各大学がこれまでの活動で蓄積してきたノウハウがその成果を左右するため、門外不出の部外秘とされていたこと、そして同じマーケットを争うライバルという関係でもあることから、他大学と一緒に情報を交換し、共に協議するというようなことは難しかったためと思われる。
その姿勢がここにきて変わってきたのは、大学を取り巻く環境の変化によるものであろう。18歳人口は減少し続けるにもかかわらず、大学はわずかながらも増加してきている。また、大手の大学等においての学部増といった動きは継続している。このような中でそれぞれの大学が存在意義を示し、地域、社会に必要とされる大学となるためには、正しい意味での広報活動を各大学が展開していくことが不可欠となってきたためではないだろうか。すなわち、協働して取り組むべきテーマが認識されたということである。
ここで「正しい意味での広報活動」と表現したが、これはこれまでの広報が間違っているということではなく、これまでは広報の意味が限定されていたということに対しての問題提議という趣旨である。すなわち、これまでは広報というと自分の大学の良さを受験生や社会一般に対してアピールし、大学の認知度を上げること、社会での評価を高めることを目的とし、その結果、多くの受験生を獲得するための活動と解されていた。
このこと自体は現在も、そしてこれからも広報の重要な機能であることは間違いないと思われるが、これからの広報を考えるうえで必要なことは、その働きをさらに広げていくことである。どのような方向に広げていくかといえば、自分の大学が対象としている学生はどのような学生であるかということを明確にし、その対象である学生のニーズや不安、不満といった現状をきちんと認識し、その状況に適切に対応した教育や支援を提供できるための情報を提供するといった、一連の統合された体系的な活動をめざしてということである。
広報とは、一般にPublic Relationsの和訳とされている。「公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会」のホームページを見ると、パブリックリレーションズについて次のように書かれている。
〈パブリックリレーションズ(Public Relations)は20世紀初頭からアメリカで発展した、組織とその組織を取り巻く人間(個人・集団・社会)との望ましい関係をつくり出すための考え方および行動のあり方である。日本には第2次世界大戦後の1940年代後半、米国から導入され、行政では「広報」と訳されたのに対し、民間企業では「PR(ピーアール)」という略語が使われてきた。しかしその後「PR」は「宣伝」とほとんど同じ意味で使われるようになり、本来持っていた意味から離れてしまった。そのため多くの組織では、その職務を「広報」と呼ぶことが多くなっている。ただ広報という言葉は、組織と社会あるいは公衆(パブリック)とのよい関係づくりという意味が失われ、組織の一方的な情報発信と受け取られがちである。パブリックリレーションズが本来持っていた〈よい関係づくり〉という点を忘れてはならない。〉と。
これを大学広報に当てはめてみると、広報の働きは大学と大学を取り巻く関係者(受験生、在学生、卒業生、高等学校の教員、保護者、学生が就職している企業、地域社会等)との望ましい関係づくりを目的とするものということになる。
では、望ましい関係づくりのために必要なこととはどのようなことであろうか。一般の人間関係で考えてみると、良い関係をつくるためには、まずはお互いの間に信頼関係が必要となる。そして信頼関係を築くためには、相手のことを良く知ることがまず必要となる。
このため、大学の広報活動においても、まずは大学のことを十分に知ってもらうことと、広報の対象となる相手を良く知ることが求められる。
次に必要となるのは、お互いに相手から何らかの価値を得られるという関係である。よく言われている、Win―Winの関係である。例えば受験生と大学の関係でいえば、大学にとっては入学してもらうことで学納金収入という財政面での価値を受けることができる。そして、その反対給付として、大学は入学者に対して相手が望んでいる何らかの価値を与えなければならない。そのためには、価値を与えることのできる仕組みをつくり、それを相手にきちんと伝えることである。そうすることで初めて、Win―Winの関係をつくる条件が整うことになるのである。
このように相手に対して望んでいる価値を与えることのできる大学となるためには、学内にその仕組みを作らなければならないのであるが、そのためには、学内の教職員がそのような仕組みをつくることの意義や有用性を理解していて、仕組みをつくることについて合意している必要がある。このような仕組みをつくることの意義や有用性を理解してもらうこと、少なくとも考えるきっかけを与えるということも、広報の役割といえる。この役割は、今後、ますます重要なものになってくると思う。
どのような価値を学生に与えるべきか、すなわちその大学の教育内容や手法に関しての話し合いは、教授会で行われることになるであろう。教育の当事者であり、それぞれの分野の専門家が会する会議体であるから、当然のことといえる。ただ、これまでの傾向を見ていると、どうしても大学側、教える側の視点に偏りがちで、受け手側の視点が欠けがちになりやすい。ここを補うのも、受け手側と日常的に接している広報部門の役割である。
このような広報活動が展開できて初めて、顧客や社会に対して、その大学ならではの価値を提供できる大学となることができるようになるのである。すなわち、各大学はそれぞれの立ち位置に立って有効かつ適切な教育活動を展開することができ、社会や地域にとって存在意義のあるものとなることができるのである。また、学ぶ学生にとっても、自らに合った大学を選ぶことができ、入学後もそれぞれの置かれた状況に相応しい適切な教育・支援を得ることができ、その結果、必要とされる力をつけることができ、社会へ参加していくことができるようになるのである。
このような大学になることができたならば、その大学は地域社会で必要とされる大学、「この大学がここにあって良かった」と地域社会の人たちから言われる大学になることができる。これが、大学の本業における地域貢献ではないだろうか。そしてそのための関係性をつくることが、これからの広報に期待される働きである。