アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)
No.456
IRの発展・深化と定着に向けて 第48回公開研究会から
はじめに:公開講演会の狙いと講演テーマ
小稿では、私学高等教育研究所主催の第48回公開研究会『IRの基本原理と活用―国際比較と日本型IR』(平成23年7月7日)における講演内容を簡単に紹介しつつ、わが国におけるIR(Institutional Research)定着の方向性について述べる。
同公開研究会の狙いは、各大学の質的充実・質保証と対外的な存在意義の向上・高度化を図るためにIRの役割がますます重要となり、その発展と深化が求められているとの認識から、IRの基本原理を改めて考察し、米国等の諸外国での活用状況を比較し、「日本型IR」の在り方を考察することにある。
研究会では次の三氏による講演が行なわれた。@山田礼子氏(同志社大学社会学部教授高等教育・学生研究センター長)「IRの基本原理と米国での活用、日本での応用」、A小林雅之氏(東京大学大学総合教育センター教授)「IRの国際比較:米国・日本」、B池田輝政氏(名城大学大学院大学・学校づくり研究科教授)「日本型IRの実践:記憶にとどまるデータづくり」である。ここでは、三氏の講演内容より幾つかの主要トピックごとに論点をまとめていきたい。
一、IRとは何か:基本原理の理解
わが国ではIRへの関心が近年高まっているとはいえ、大学の教育・研究、管理・運営ならびに経営等に関して責任を有する立場の中でも、まだIRについて十分な理解が広まっているとは言えないのが実情ではなかろうか(山田、小林)。言い換えると、わが国でのIRは未だその導入期にあると考えられる。
IRの定義は、米国でもさまざまに述べられている(山田)。例えば、目的から見ると「高等教育機関内部で行なう調査であり、組織の企画、政策決定、意思決定を支援する情報の提供である」、また以上に加え「全分野における資源配分、管理、評価」を行なうものであるとの定義が一般的である。機能からみた定義として「機関の業績(成果)に関するデータ収集、機関の環境に関するデータ収集、収集したデータの分析と解釈、機関の計画・政策策定と意思決定支援情報への変換」があり、これには「対内的・対外的なレポート作成・公表」を付け加えることも必要である。
このように、IRの先発国である米国においても定義は多様である。それは大学内外の諸条件が変化していることと、IRに求められる役割への期待が変化していることなどによる。したがって、IRの定義・基本原理は、統一的固定的なものと捉えるのではなく、常に発展・深化していくものであると理解することが適切であろう。
二、米国におけるIRの発展と現状:その役割・組織
米国で初期に重視されたIRの役割は、「情報提供」であった。これは、機関の計画策定等の基本的な事実認識・問題把握に不可欠だからである。その後、情報の獲得・提供に関し、「組織的情報力(organizational intelligence)」という役割が重視された。これは、A技術的分析的情報力、B問題に関する情報力、C文脈的情報力の三つからなり、これらすべてを含めてIRの役割であると捉える(小林)。
さらに、これらの情報力に加え、外部への報告と戦略的計画の策定という役割が指摘され、「学生・教員に関する情報の調査分析、年次計画や戦略計画の策定、アクレディテーション・政府への報告書作成」などが重視されるようになった。ここで重要な点は、情報収集、調査分析、報告書作成を通じて、当該大学の変化を促進し、質的向上を継続的に実現することが、各大学の主たる目的であるべきということである(小林)。要するに「IR=機関調査」は、調査そのものが目的ではなく、大学の発展こそが目的なのである。
次の問題は、こうした役割・機能を担うべき組織・人材・資源の問題である。これは、大学内部の組織と大学外部の組織の二つの視点から見る必要がある。
大学内部の組織は、各大学の規模・全学的な組織形態・人的財務的資源などにより、幾つかの形態に分かれる。米国の研究者・ヴォルクワインは、IR部門の組織形態分類として、「規模の軸」と「組織発展・分権化の軸」の二つの軸から、次の四つの類型を示している(山田、小林)。第一に相対的に小規模で組織が未分化・非集権的な類型、第二に相対的に大規模で組織分化が進み集権的な類型、第三に比較的大規模であるが組織が未分化なために部局間での重複など無駄の多い類型、そして第四に比較的大規模で組織分化が進み集権的な類型、以上である。
また、組織構造についてヴォルクワインは、官僚的なピラミッド型の上意下達的な構造と、専門職集団の組織にあるように専門的判断や実績に基づいた合意形成的な構造を分けている。実際には、これら二つの構造の二者択一ではなく、とくに大学という機関では、これら二つが同時に存在しているので、IRの実施と意思決定のプロセスで、どの組織類型を採用するかとともに二つの組織構造をどのように組み合せるか、あるいは役割分担をどう行なうかが枢要な課題となる。
大学外部の組織として、米国ではAIR(Association for Institutional Research)の存在が大きい。この組織は、IR人材(研究者というよりは、専門的実践的な人材)の育成とデータ・情報の提供、それらを通じた高等教育機関の質的向上を使命としている。つまり、IRを各大学が単独に実施するだけではなく、専門家集団のネットワークを通じて、使命達成の役割を充実させていくことが、外部組織の働きとして重要な点である。
三、わが国におけるIR導入の現状と課題
わが国では、IRの重要性が認識され始めているとはいえ、この用語自体に未だ馴染みが少ないのが実情である。大学人の中でも、IRとは何かを的確に理解しているケースは少ないとみるべきであろう。また、どれか一つの定義を受動的に理解するのではなく、IRの目的・機能自体が大きく変わっていくものであるとの的確な理解に立つことが重要である。
IR組織の導入状況について、同志社大学江原氏による調査(10年)では「IRオフィスあり」との回答が136大学のうち29校(21%)であったが、IRという名称を使用しているのは10%であった(山田、小林)。たしかに日本でも、名称に拘らなければ、米国のIRで実施している役割・機能の多くは、殆どの大学で実施していると考えるべきである。しかし、重要な点は、わが国大学でのIR関連業務が、IRの意義と機能を的確に理解して有機的に実施されているかどうかということである。
IRの基本原理として重視すべきことは、自らに関する情報収集・調査分析が、政策策定、教育研究の計画作成・財務管理、機関全体の教育研究実績・経営・管理運営等に、どのように効果的に活用されているかである。また、各部門が収集・保有しているデータ・情報等を、全学的に総合的な視点から集約し、経営陣が大学マネジメントに活用できるかである。この意味で、「ガバナンスの視点からのIRという認識」を強化し、特定の部局がデータ・情報を囲い込むこと無く全学的なデータベースを構築し、これらを大学経営に活かすような組織構築こそが重要となる(池田)。
最後に、わが国においても、IRに関する大学間の連携を構築していくことが不可欠である。米国のIRから基本原理や活動を学び導入するときに、各大学が個々バラバラに行なうのではなく、大学が協力・連携しつつ重要な理解を共有する仕組みの構築が大きな意味をもつ。この点で、連携四大学(北大、大阪府大、甲南大、同志社大)におけるIRネットワークシステムの構築(山田)は、今後わが国でIR導入と発展・深化を進めていく上で、極めて大きな役割を果たし、指針を与えるものである。